面白き 事も無き世を 面白く
住みなすものは 心なりけり

極限の中で。

2011年03月28日 | ニュースから
過酷労働もう限界、両親は不明…原発の東電社員がメール(朝日新聞) - goo ニュース


事故現場には、復旧作業に従事し続ける社員の皆さんがいる。
その正に最前線からのメールを読むと、息苦しささえ感じるほど、いたたまれない。
軽々に「仕事だから当たり前」「そんなことは覚悟のうえで会社に入ったのだろうが」などとは、とても自分には言えない。
ネット上で飛び交う作業員の皆さんに対するそれらの言葉に、インターネットの持つ醜い側面を見せつけられて辟易として気分が悪くなるが、そんなことも吹き飛ぶほど、現場からのメールは凄まじい。

このように“現実”に向き合うと、無意識のうちに罪悪感のようなものが生じてくる。
大きな重荷が肩にのしかかってきたような感覚に襲われ、気分が落ち込んでしまいそうだ。
様々な「マイナスの情報」に接しているうちに芽生えてくる危険性についての記事があった。


地震の報道「サバイバーギルティー」に注意(R25) - goo ニュース


「サバイバーギルティー」という言葉を初めて知ったが、「助かった者が罪悪感、無力感を感じてしまうこと」を指すらしい。
アメリカで起きた、いわゆる「9.11」事件の時に、何度もあのビルが崩れ落ちたりする映像を見過ぎた人、特に子供たちにはショックが大きく残ったのだとか。
ショッキングな映像を繰り返し見ていると気分が滅入っているというのは、人間として誰もが持つ感情の動きだろう。

被災しなかった人たちがサバイバーギルティーにならないためには、日常生活を滞りなくおこなうことが大切であるという。
確かに、実際には被災していない人々までもが気分的な落ち込みにハマりこんでしまえば、日本の復興は更に遅くなってしまうだろう。
今の自分が置かれている状況をしっかり認識して、自分にできること・できないことを見極め、良い意味での「割り切り」が必要だ。

自分が無事でいるということは何も悪いことではなく、普段と変わりなく日常生活を送ることこそが、自分に与えられた“役割”だ。