なおじい(HOBBY:カメラ・ビデオ撮影・DVDオーサリング/資格:ラジオ体操指導員・防災士・応急手当普及員)

身についている『ワザ 』でボランティア活動・地域社会とのコミュニケーション、楽しいシルバーライフ目標で有意義に過ごす 。

こども代表の「平和への誓い」全文 広島被爆70年

2015年08月06日 15時45分13秒 | ブログ

こども代表の「平和への誓い」全文 広島被爆70年

2015年8月6日13時19分

 昨年(さくねん)の8月(がつ)20日(はつか)、土砂(どしゃ)災害(さいがい)に巻(ま)き込(こ)まれ、大切(たいせつ)な仲間(なかま)の一人(ひとり)を失(うしな)いました

 今(いま)まで、当(あ)たり前(まえ)のように一緒(いっしょ)に過(す)ごしていた仲間(なかま)が、突然(とつぜん)いなくなるという悲(かな)しみを知(し)りました

 昭和(しょうわ)20年(ねん、1945年〈ねん〉)8月(がつ)6日(むいか) 午前(ごぜん)8時(じ)15分(ふん)

 照(て)りつける太陽(たいよう)の下(した)、一発(いっぱつ)の原子(げんし)爆弾(ばくだん)が、建物(たてもの)、自然(しぜん)、そして、たくさんの人々(ひとびと)の大切(たいせつ)な命(いのち)を奪(うば)いました

 この日(ひ)のことを経験(けいけん)していない私(わたし)たちですが、大切(たいせつ)な人(ひと)を失(うしな)う悲(かな)しみは、想像(そうぞう)することができます

 あの日(ひ)から70年(ねん)

 今(いま)の広島(ひろしま)は、色(いろ)とりどりの花(はな)が咲(さ)き、緑(みどり)豊(ゆた)かで、みんな笑顔(えがお)で過(す)ごすことのできる素敵(すてき)な街(まち)です

 この街(まち)で、今(いま)、私(わたし)たちは、平和(へいわ)への思(おも)いを感(かん)じています

 平和(へいわ)を考(かんが)えるきっかけは、身近(みぢか)なところにあります

 平和記念公園(へいわきねんこうえん)で見(み)たたくさんの折(お)り鶴(づる)

 広島平和記念資料館(ひろしまへいわきねんしりょうかん)を訪(おとず)れて知(し)った原子爆弾(げんしばくだん)による被害(ひがい)の事実(じじつ)

 悲(かな)しみ、苦(くる)しみとともに、平和(へいわ)への強(つよ)い思(おも)いが込(こ)められた被爆体験者(ひばくたいけんしゃ)の話(はなし)

 そして、私(わたし)たちこども代表(だいひょう)による「平和(へいわ)への誓(ちか)い」

 祖父母(そふぼ)たちが、この70年間(ねんかん)ヒロシマを生(い)き抜(ぬ)いて、私(わたし)たちに命(いのち)をつないでくれました

 私(わたし)たちは、今(いま)まで受(う)け継(つ)がれてきた命(いのち)と平和(へいわ)への思(おも)いを受(う)け止(と)め、考(かんが)え、自分(じぶん)たちにできることから、「小(ちい)さな平和(へいわ)」をつくろうとしています

 もう一度(いちど)、身近(みぢか)な友達(ともだち)、世代(せだい)の違(ちが)う人々(ひとびと)、様々(さまざま)な国(くに)や地域(ちいき)に住(す)む人々(ひとびと)と、平和(へいわ)について共(とも)に考(かんが)えてみませんか

 広島(ひろしま)に育(そだ)つ私(わたし)たちは

 事実(じじつ)を

 被爆者(ひばくしゃ)の思(おも)いや願(ねが)いを

 過去(かこ) 現在(げんざい) 未来(みらい)へと

 私(わたし)たちの平和(へいわ)への思(おも)いとともにつないでいく一人(ひとり)となることを誓(ちか)います

平成(へいせい)27年(ねん、2015年〈ねん〉)8月(がつ)6日(むいか)

こども代表(だいひょう) 広島市立白島小学校(ひろしましりつはくしましょうがっこう)  6年(ねん) 桑原悠露(くわはらゆうろ)

      広島市立矢野南小学校(ひろしましりつやのみなみしょうがっこう) 6年(ねん) 細川友花(ほそかわゆか)


王さん、甲子園で始球式 久々マウンド、外角ストライク

2015年08月06日 12時07分06秒 | ブログ

王さん、甲子園で始球式 久々マウンド、外角ストライク

2015年8月6日11時27分

 

 左腕から放たれた白球は、勢いよく捕手のミットに収まった。鹿児島実―北海(南北海道)の開幕試合で始球式を務めたのは、プロ野球福岡ソフトバンクホークス球団会長の王貞治さん(75)。元プロ野球選手としては史上初めて始球式を行った。

 王さんは開会式で母校の早稲田実西東京)の入場行進を見守った。その後の開幕試合で、後攻の北海の選手が守備についた後、白いシャツに帽子姿の王さんがマウンドへ。「高校野球100年」の横断幕を持った、第1回大会出場校の現役部員を背に、鹿児島実の1番打者・有村健太選手に向けて投げた。外角のストライクゾーンに決まり、観客からは大きな歓声と拍手が沸き起こった。

 歓声に帽子を取って応えた王さんは「内心、自分でもドキドキしていました。試合に出ている人たちの勢いを感じたので、出ている選手たちのためにと思って投げました。思ったよりも良かった」と笑顔で語った。

 プロ野球で通算868本塁打の世界記録を持つ王さんは、早稲田実ではエース兼主力打者として活躍。1年生だった第38回大会(1956年)から4季連続で甲子園に出場。2年生の時には春の第29回選抜大会で優勝投手となり、夏の第39回大会では無安打無得点試合も達成した。

 「甲子園は野球の原点。勝った、負けたではない。ファンも特別な思いを持って見てくれている。選手は思いきって、胸を張って堂々と戦って欲しい」と後輩たちにエールを送った。


これが被爆4日後のヒロシマ 360度パノラマ写真に

2015年08月06日 08時06分58秒 | ブログ

これが被爆4日後のヒロシマ 360度パノラマ写真に

2015年8月5日23時08分

 

 広島に原爆が投下されてから4日後の1945年8月10日、朝日新聞大阪写真部の宮武甫(はじめ)カメラマン(故人)が被爆地の惨状を撮影していた。そのネガフィルムを朝日新聞は高画質スキャナーで読み取り、汚れや傷の部分をデジタル処理で修復。計11枚の画像をつなぎ合わせ、360度のパノラマ写真にした。

 宮武氏は8月9日に広島市に入り、翌10日に下柳町(現・中区銀山町)の旧広島東署(3階建て)の屋上から撮影した。朝日新聞は10年前の2005年、ネガをもとにパノラマ写真を作成し、180度分を紙面に掲載。360度分は複数の施設で展示された。

 今回の高画質化は被爆70年に合わせた取り組みで、焦土と化した広島の街をより鮮明に再現した。被爆から1カ月あまり後の「枕崎台風」で地表が洗い流されたこともあり、広島平和記念資料館の落葉裕信・学芸員は「(この写真がとらえた様子は)被爆者が見た街全体の惨状に最も近いだろう」と指摘。被爆者の証言などと照合すれば、「被爆の実態がより詳しく分かるようになるのではないか」と話す。

 修復した写真データは18年春のリニューアルオープンをめざす資料館に提供する


第50回交通安全子供自転車全国大会~速報(一部)

2015年08月06日 08時03分39秒 | ブログ
第50回交通安全子供自転車全国大会~速報
2015年08月05日(水)
本日、東京ビッグサイトで開催されました第50回交通安全子供自転車全国大会の結果についてお知らせします。
芸北小学校チームは、昨年度を上回る第5位という大健闘でした!!
個人の部においては、第1位に山脇平、第3位に水野南という素晴らしい成績を残しました!みんな、よくがんばりました!
詳細は後日お知らせします!

猛暑列島 約9割で真夏日 5年ぶり

2015年08月06日 05時10分46秒 | ブログ

猛暑列島 約9割で真夏日 5年ぶり

   2015年8月5日 16時32分

 
うだるような暑さが続く日本列島。最高気温が30度以上の真夏日となったのは、全国のアメダス928地点のうち800地点を超えて、およそ9割に。800地点を超えるのは、2010年以来5年ぶりで、めったにないことです。
 

広範囲での暑さ めったにない記録

きょう午後3時までの最高気温は、全国928地点のアメダスのうち、818地点で30度以上の真夏日に。800以上の地点で真夏日となるのは、2010年以来5年ぶりのこと。それ以前は2007年の一度しかなく、これだけ広い範囲で真夏日になることは、めったにない記録といえそうです。
また、35度を超えて猛暑日となった所も多く、東京・大阪・名古屋はいずれも6日連続の猛暑日に。東京では連続猛暑日の記録を更新しました。
 

東北の猛暑日地点 過去最多に

特に気温が上がったのは東北です。福島県伊達市梁川で39度7分を記録したことをはじめ、161地点中、61地点で猛暑日(午後3時現在)となり、過去最多記録となりました。
暑さは北の大地にも。北海道では根室で33度6分と観測史上最も高い気温に。札幌も34度5分と猛暑日目前まで上がり、厳しい暑さとなりました。
 

夜も気温は下がらず 夜間も熱中症に注意

厳しい暑さを受けて、北海道から沖縄までの広い範囲に「高温注意情報」が発表されています。日が落ちても気温は下がらず、夜9時ごろまで30度以上の暑さが続く所も。夜間も「冷房や扇風機を上手に使う」「寝る前にコップ1杯の水を飲む」など、熱中症対策を心がけましょう。