こども代表の「平和への誓い」全文 広島被爆70年
2015年8月6日13時19分
昨年(さくねん)の8月(がつ)20日(はつか)、土砂(どしゃ)災害(さいがい)に巻(ま)き込(こ)まれ、大切(たいせつ)な仲間(なかま)の一人(ひとり)を失(うしな)いました
今(いま)まで、当(あ)たり前(まえ)のように一緒(いっしょ)に過(す)ごしていた仲間(なかま)が、突然(とつぜん)いなくなるという悲(かな)しみを知(し)りました
昭和(しょうわ)20年(ねん、1945年〈ねん〉)8月(がつ)6日(むいか) 午前(ごぜん)8時(じ)15分(ふん)
照(て)りつける太陽(たいよう)の下(した)、一発(いっぱつ)の原子(げんし)爆弾(ばくだん)が、建物(たてもの)、自然(しぜん)、そして、たくさんの人々(ひとびと)の大切(たいせつ)な命(いのち)を奪(うば)いました
この日(ひ)のことを経験(けいけん)していない私(わたし)たちですが、大切(たいせつ)な人(ひと)を失(うしな)う悲(かな)しみは、想像(そうぞう)することができます
あの日(ひ)から70年(ねん)
今(いま)の広島(ひろしま)は、色(いろ)とりどりの花(はな)が咲(さ)き、緑(みどり)豊(ゆた)かで、みんな笑顔(えがお)で過(す)ごすことのできる素敵(すてき)な街(まち)です
この街(まち)で、今(いま)、私(わたし)たちは、平和(へいわ)への思(おも)いを感(かん)じています
平和(へいわ)を考(かんが)えるきっかけは、身近(みぢか)なところにあります
平和記念公園(へいわきねんこうえん)で見(み)たたくさんの折(お)り鶴(づる)
広島平和記念資料館(ひろしまへいわきねんしりょうかん)を訪(おとず)れて知(し)った原子爆弾(げんしばくだん)による被害(ひがい)の事実(じじつ)
悲(かな)しみ、苦(くる)しみとともに、平和(へいわ)への強(つよ)い思(おも)いが込(こ)められた被爆体験者(ひばくたいけんしゃ)の話(はなし)
そして、私(わたし)たちこども代表(だいひょう)による「平和(へいわ)への誓(ちか)い」
祖父母(そふぼ)たちが、この70年間(ねんかん)ヒロシマを生(い)き抜(ぬ)いて、私(わたし)たちに命(いのち)をつないでくれました
私(わたし)たちは、今(いま)まで受(う)け継(つ)がれてきた命(いのち)と平和(へいわ)への思(おも)いを受(う)け止(と)め、考(かんが)え、自分(じぶん)たちにできることから、「小(ちい)さな平和(へいわ)」をつくろうとしています
もう一度(いちど)、身近(みぢか)な友達(ともだち)、世代(せだい)の違(ちが)う人々(ひとびと)、様々(さまざま)な国(くに)や地域(ちいき)に住(す)む人々(ひとびと)と、平和(へいわ)について共(とも)に考(かんが)えてみませんか
広島(ひろしま)に育(そだ)つ私(わたし)たちは
事実(じじつ)を
被爆者(ひばくしゃ)の思(おも)いや願(ねが)いを
過去(かこ) 現在(げんざい) 未来(みらい)へと
私(わたし)たちの平和(へいわ)への思(おも)いとともにつないでいく一人(ひとり)となることを誓(ちか)います
平成(へいせい)27年(ねん、2015年〈ねん〉)8月(がつ)6日(むいか)
こども代表(だいひょう) 広島市立白島小学校(ひろしましりつはくしましょうがっこう) 6年(ねん) 桑原悠露(くわはらゆうろ)
広島市立矢野南小学校(ひろしましりつやのみなみしょうがっこう) 6年(ねん) 細川友花(ほそかわゆか)