奈良)「龍田古道」は風の郷、三郷でPR始動
2018年2月1日
奈良と大阪を結んだ古代の道「龍田(たつた)古道」をPRしようと、沿道の三郷町の住民が活動を始めた。周囲の法隆寺や信貴山などに埋もれがちな町の知名度を高めるのが狙いだ。
《龍田山 見つつ越え来し 桜花(さくらばな) 散りか過ぎなむ 我が帰るとに》
万葉歌人の大伴家持(おおとものやかもち)が、平城京から難波(大阪)に着いた際に詠んだ歌だ。龍田山は三郷町と大阪府柏原市の境付近にあった山々の呼称で、歌碑が三郷町内にある。
龍田古道は、この龍田山を越えた道。柏原市立歴史資料館の安村俊史館長によると、山越えのルートは何本かあったようで、飛鳥時代までさかのぼるという。
三郷町内には古道の道標やゆかりのある名所が点在する。龍田大社は古くから風の神として信仰を集め、平隆寺(へいりゅうじ)は聖徳太子が創建したと伝わる。万葉集に詠まれた三室山や磐瀬(いわせ)の杜(もり)には歌碑が立つ。
そんな古道のPRに乗り出したのが、町民らでつくる「風の郷(さと) 龍田古道プロジェクト」(田淵友一代表)だ。メンバーは町商工会と町、町内の奈良学園大の「産官学」を母体にした約20人。
きっかけは2015年に開かれたまちづくり講座だった。課題は「町の認知度をどうやって上げるか」。受講生だったギャラリーマネジャーの垣本麻希さん(41)とライターの西尾顕子さん(47)は龍田古道に着目した。
「幼いころ、『聖徳太子が自宅前の道を通ったかもしれない』と親から聞かされた。当時は興味なかったけど、郷土を学んでその価値に気づいた」と垣本さん。西尾さんも「和歌山県の熊野古道のように、海外からもウォーキングに訪れる地域になれば」と思い描く。
垣本さんらは16年、研究会を結成し、龍田山を越える道を実際に歩いた。翌年、プロジェクトを本格的に始動。第1弾として地元の写真家、澤戢三(しゅうぞう)さん(75)に依頼し、新緑の古道と大和川から望む夕景の2種類のポスターを作った。SNSなどで観光客に向けた情報発信を計画する。
一方で課題もある。奈良学園大の調査では、道沿いに残る歴史的な道標が、自動販売機の陰になっている例があった。ハイカーが休憩できる場所も少なく、古民家を利用したカフェや観光案内所を構想中だ。
町は補助金で活動を支援する。柏原市と16年に連携協定を結び、古道の活用で合意した。案内地図の看板を設けることも検討する。
プロジェクトの田淵代表は「龍田古道は古代と同じ風を今も感じられる場所。多くの人に歩きに来てもらえるよう活動を続けたい」と話す。