2月の別名は梅見月。こんな梅よもやま話ご存知ですか?
備後梅と目白
節分を終え、立春をむかえました。まだ雪の残る寒い季節ですが、
いち早く春の訪れを知らせる梅の花は、1月下旬~5月上旬まで、約3ヶ月間かけて、ゆっくりと日本列島を北上します。南北に長い日本列島です、あなたのお住まいの近くで梅の見頃が始まっているかもしれません。
江戸時代に花見と言えば、大衆支持率の高い桜に対して、通人が愛でる梅は、盆栽、庭木、切り花と大人気でした。今ある300種類以上はほぼ江戸時代につくられたといわれています。各地で梅祭りも始まりました。
只今受験シーズン「学問の神様」の菅原公が、こよなく愛したという梅「飛梅」の伝説は有名ですね。本日はそんな梅のよもやま話をみていきます。
いち早く春の訪れを知らせる梅の花は、1月下旬~5月上旬まで、約3ヶ月間かけて、ゆっくりと日本列島を北上します。南北に長い日本列島です、あなたのお住まいの近くで梅の見頃が始まっているかもしれません。
江戸時代に花見と言えば、大衆支持率の高い桜に対して、通人が愛でる梅は、盆栽、庭木、切り花と大人気でした。今ある300種類以上はほぼ江戸時代につくられたといわれています。各地で梅祭りも始まりました。
只今受験シーズン「学問の神様」の菅原公が、こよなく愛したという梅「飛梅」の伝説は有名ですね。本日はそんな梅のよもやま話をみていきます。
「花も実もある」美しいだけでなく実用的。漢方から染物まで使われた梅
緋梅系 紅千鳥
未熟な梅の果実を薫製(くんせい)にしたものを烏梅(ウバイ)といい、鎮痛・解毒作用がある健胃整腸の妙薬として、煎じて風邪薬や胃腸薬として用いられました。「熱冷まし」「下痢止め」「咳止め」「食物や薬物中毒」「回虫駆除」「止血」「すり傷」「切り傷の手当て」など昔から民間薬として重宝され、漢方薬として現在も用いられています。
また、梅には「クエン酸」が多く含まれており、 紅花から「紅」の色素を取り出す時、その天然のクエン酸を染色の「媒染剤(ばんせんざい)」として利用しました。
観賞用に、薬用にと梅の木をたくさん植えた江戸時代の梅人気は地名に残るほど。「梅屋敷」「梅が丘」などお近くに「梅」がつく地名ありませんか?その土地の由来や歴史をひもといてみていくのも、奥深いですね。
また、梅には「クエン酸」が多く含まれており、 紅花から「紅」の色素を取り出す時、その天然のクエン酸を染色の「媒染剤(ばんせんざい)」として利用しました。
観賞用に、薬用にと梅の木をたくさん植えた江戸時代の梅人気は地名に残るほど。「梅屋敷」「梅が丘」などお近くに「梅」がつく地名ありませんか?その土地の由来や歴史をひもといてみていくのも、奥深いですね。
300種以上の梅の3分類とは?あなたのお好みは?
野梅系 冬至梅
梅は中国原産の花木で、朝鮮半島を経由しておそらく弥生時代に日本に渡ってきたといわれています。正確な渡来時期はまだわかっていませんが、『万葉集』では100首を超える歌が詠まれていることから、奈良時代にはすでに栽培されていたようです。
観賞価値の高い花を咲かせる「花ウメ」と薬や食品加工用に向く良質の実をつける「実ウメ」に分けられ、目的の違いにより剪定方法や肥培管理など栽培方法が異なります。
花ウメの観賞対象は花のほかに香りや、幹の形や枝ぶりです。寿命の長い樹木なので、年月をかけて樹形をつくるのも楽しみの一つです。「花ウメ」にも非常に多くの品種があり、研究者によりいくつかの分類法があります。なかでも、明治時代に書かれた『梅譜』の著者である小川安村が、木の性質や花の特徴などから「性(しょう)」というグループに分けたものを基本として、それぞれの「性」を野梅系、緋梅系、豊後系の3つの系統に振り分けた「3系9性」の分類法が知られています。
〇野梅系(やばいけい)
野梅から変化した原種に近い梅。中国から渡来した梅の子孫と言われる。枝は細く、花も葉も比較的小さい。花や葉も小ぶりだが、とてもよい香りがする。
〇緋梅系(ひばいけい)
野梅系から変化したもの。枝や幹の内部が紅く、花は紅色・緋色のものがほとんど。 花が白くても、枝の髄が紅いものはこの緋梅系に入る。葉は小さく、性質は野梅性に近い。庭木や盆栽に使われるものが多い。
〇豊後系(ぶんごけい)
梅と杏(アンズ)との雑種。葉は大きく育ちの良いものが多い。アンズに近く、花は桃色のものが多い。
みんなの趣味の園芸(梅)
観賞価値の高い花を咲かせる「花ウメ」と薬や食品加工用に向く良質の実をつける「実ウメ」に分けられ、目的の違いにより剪定方法や肥培管理など栽培方法が異なります。
花ウメの観賞対象は花のほかに香りや、幹の形や枝ぶりです。寿命の長い樹木なので、年月をかけて樹形をつくるのも楽しみの一つです。「花ウメ」にも非常に多くの品種があり、研究者によりいくつかの分類法があります。なかでも、明治時代に書かれた『梅譜』の著者である小川安村が、木の性質や花の特徴などから「性(しょう)」というグループに分けたものを基本として、それぞれの「性」を野梅系、緋梅系、豊後系の3つの系統に振り分けた「3系9性」の分類法が知られています。
〇野梅系(やばいけい)
野梅から変化した原種に近い梅。中国から渡来した梅の子孫と言われる。枝は細く、花も葉も比較的小さい。花や葉も小ぶりだが、とてもよい香りがする。
〇緋梅系(ひばいけい)
野梅系から変化したもの。枝や幹の内部が紅く、花は紅色・緋色のものがほとんど。 花が白くても、枝の髄が紅いものはこの緋梅系に入る。葉は小さく、性質は野梅性に近い。庭木や盆栽に使われるものが多い。
〇豊後系(ぶんごけい)
梅と杏(アンズ)との雑種。葉は大きく育ちの良いものが多い。アンズに近く、花は桃色のものが多い。
みんなの趣味の園芸(梅)
松竹梅のいわれは?
豊後系 楊貴妃 八重で遅咲き
松・竹・梅は、三つの等級を表す場合によく使われますが、梅は百花の長として、長寿のシンボルとされてきました。また、中国では、松と竹は冬の寒気に耐えて緑を保ち、梅は寒さの中、百花に先がけて花を咲かせることから、 松・竹・梅を「歳寒三友(さいかんさんゆう)」といい、それが日本に伝えられました。三友とは友としてふさわしい「正直な人・忠実な人・多聞な人」を云います。 「松」は厳冬にも落葉せず、断崖絶壁にも良く根を張ることから、忍耐強く、真心を尽くす人。「竹」は節を持った人。また隠し立ての無い正直な人。「梅」は厳冬に咲く事から、激しい状況でも笑顔を絶やさない人。
梅の実は、やがて落ちて芽を出す事から、 生命のしるしとされています。奈良時代から祝儀や縁起物の一つとして、また画題や祝い事の飾りなどにも用いられてきました。
梅は他にも、 高潔な美しさを君子にたとえた「四君子(しくんし)」(梅・菊・蘭・竹)、 清楚な美しさの画材とされる「三清(さんせい)」(梅・竹・水仙)などの呼称を持ちます。
なんでも梅学(梅の月向農園)
http://minabe.net/gaku/seibutsu/bunrui.html
梅の実は、やがて落ちて芽を出す事から、 生命のしるしとされています。奈良時代から祝儀や縁起物の一つとして、また画題や祝い事の飾りなどにも用いられてきました。
梅は他にも、 高潔な美しさを君子にたとえた「四君子(しくんし)」(梅・菊・蘭・竹)、 清楚な美しさの画材とされる「三清(さんせい)」(梅・竹・水仙)などの呼称を持ちます。
なんでも梅学(梅の月向農園)
http://minabe.net/gaku/seibutsu/bunrui.html
「雪かと思えば梅の花びらだった」と梅の高貴さを歌ったのは誰?
鈴鹿の枝垂れ紅梅
わが園に 梅の花散るひさかたの 天より雪の流れくるかも
万葉の時代、大伴旅人はこのように「雪かと思えば、梅の花びらだ、天から降ってくるようでなんと美しいことか」と雲の上の神々の世界を思わせる高貴さを漂わせ、梅の美しさを表現しました。万葉集には100種以上、梅の歌があるそうで、この時代からすでに梅が愛でられていたことがわかります。
そして、平安時代の貴族・菅原道真は、平安京朝廷内での藤原時平との政争に敗れて遠く大宰府へ左遷されることとなった延喜元年(901年)、屋敷内の庭木のうち、日頃からとりわけ愛でてきた梅の木・桜の木・松の木との別れを惜しんだその時、梅の木に語りかけるように詠んだのがこの一句。
東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ
(東風が吹いたら(春が来たら)芳しい花を咲かせておくれ、梅の木よ。大宰府に行ってしまった主人(私)がもう都にはいないからといって、春の到来を忘れてはならないよ)
飛梅は元来、菅原道真の配所(府の南館)跡に建立された榎社の境内にありましたが、太宰府天満宮が造営されると本殿前に移植されたといわれています。このほか、後代に道真を祭神とする神社に株分けされたものが各地に現存しています。
太宰府天満宮本殿前の左近(本殿に向かって右側)に植えられている梅は樹齢1000年を超えるとされる白梅で、太宰府天満宮に植えられた梅のなかではいちばん先に咲き始めるといわれています。
北野天満宮では祥月命日にあたる2月25日に「梅花祭」が開かれます。約2万坪の境内には、50種約1500本の梅があり、紅梅殿船出の庭では10~15時に、豊臣秀吉公の北野大茶会にちなむ野点の席が上七軒の芸舞妓総出のご奉仕により行われます。
梅の花言葉は「高貴」「忠実」です。
別名、春告げ草ともよばれる梅は、寒さ厳しい中でも、早春を思わせ私たちを元気づけてくれる花々の一つです。
身近に出会う梅に少し足をとめて春への息吹を味わってみませんか?
万葉の時代、大伴旅人はこのように「雪かと思えば、梅の花びらだ、天から降ってくるようでなんと美しいことか」と雲の上の神々の世界を思わせる高貴さを漂わせ、梅の美しさを表現しました。万葉集には100種以上、梅の歌があるそうで、この時代からすでに梅が愛でられていたことがわかります。
そして、平安時代の貴族・菅原道真は、平安京朝廷内での藤原時平との政争に敗れて遠く大宰府へ左遷されることとなった延喜元年(901年)、屋敷内の庭木のうち、日頃からとりわけ愛でてきた梅の木・桜の木・松の木との別れを惜しんだその時、梅の木に語りかけるように詠んだのがこの一句。
東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ
(東風が吹いたら(春が来たら)芳しい花を咲かせておくれ、梅の木よ。大宰府に行ってしまった主人(私)がもう都にはいないからといって、春の到来を忘れてはならないよ)
飛梅は元来、菅原道真の配所(府の南館)跡に建立された榎社の境内にありましたが、太宰府天満宮が造営されると本殿前に移植されたといわれています。このほか、後代に道真を祭神とする神社に株分けされたものが各地に現存しています。
太宰府天満宮本殿前の左近(本殿に向かって右側)に植えられている梅は樹齢1000年を超えるとされる白梅で、太宰府天満宮に植えられた梅のなかではいちばん先に咲き始めるといわれています。
北野天満宮では祥月命日にあたる2月25日に「梅花祭」が開かれます。約2万坪の境内には、50種約1500本の梅があり、紅梅殿船出の庭では10~15時に、豊臣秀吉公の北野大茶会にちなむ野点の席が上七軒の芸舞妓総出のご奉仕により行われます。
梅の花言葉は「高貴」「忠実」です。
別名、春告げ草ともよばれる梅は、寒さ厳しい中でも、早春を思わせ私たちを元気づけてくれる花々の一つです。
身近に出会う梅に少し足をとめて春への息吹を味わってみませんか?