JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

私は柳のごとく

2007年10月01日 | a-c

「すべてのことは、人間がやったとおもわずに、天がやったとおもったら良かろう。たとえば、小僧に水をかけられたら、原なかで雨に降られたとおもってあきらめる。屋根から瓦のかけらが落ちてきたら、憎い家だとおもわずに、これは通りあわしたこの身の災難、これは天から降ってきたものとおもってあきらめる。なにごとも天から我が身へふりかかった災難と、かようにあきらめをつけます。仏説で申しまする因縁、われわれのこの未熟な心学では、天のなす災いと書いて天災と読ませますが、おわかりでございますかなぁ」
落語『天災』のなかで、短気で喧嘩っ早い八っつぁんが、紅屋の隠居、紅羅坊名丸(べにらぼうなもる)に諭されるくだりであります。

今日の昼、いつもの喫茶店でランチを食べていると、週刊誌を読みながらNさんが
「しかし、今の子は恐ろしいよね、何処かで鉈を使った殺人事件が起これば、流行のように鉈殺人を起こそうとする、だれそれが自殺したって騒げば、俺も俺もと志願者が出てきて、裏ネットが問題になると俄然アクセス数が増えるってんだから・・・・・」

するとマスターが
「まったく、子供だけじゃなくて、全部がおかしくなってんじゃないの。恐ろしいねぇ。だけど、世の中そこら中の人がイライラして、そのくせおびえてて、っていう感じでしょ、そんな中にいれば子供じゃなくてもおかしくなる気持ちも分かんなくもないけどね。」

「そうだよなぁ、いろんな意味でストレスの原因の塊みたいな世の中だもんなぁ、俺みてぇに酒やおねぇちゃんで紛らわせるヤツはいいんだろうけど・・・」

「おいおい、Nさんの非行をそれで正当化しても説得力無いと思うけど(笑)」

「いや、でもさ、ほら昔は、中学生向けの雑誌なんかに、悶々とした心はスポーツとか体を動かすことで発散しろみたいなこと書いてあったじゃん。今の子はスポーツくらいじゃ治まらないほど悶々してんだろうねぇ、いっそのこと学生割引でもつくってソープへでも行かせるなんてぇのはどうかねぇ?」

「バカ言ってんじゃないの、Nさんの悶々は、中学生からず~~と今でも下半身ばっかなんでしょうけど、今の子の悶々は違うところにあんだから」とママ

私までつられて笑ってしまいましたが、
世の中どうしてこうもいらついている人ばかりになってしまったのか?ふとそんなことを考えてみたわけですよ。
きっとね、人間の最大処理能力を世の中が超えてしまったんじゃないかと・・・・

例えば、例えばですよ。
昔の営業マンは携帯もポケベルさえも無かったわけでしょ、もちろん交通機関だって今みたいじゃないから、取引先を回るにしても大変だったでしょう。それが、携帯を持ち、交通機関も発達すれば、当然、効率が上がって仕事量も増えてくる。ここですよここ、昔なら非効率ではあったもののその間に時間が存在して、時に『サボリ』という行為があったとしても、逆にそれがゆとりにも思え、仕事にさらに身が入る。それが無くなったら・・・

お店でアルバイトに頑張ったからと売り物のコーラを一杯飲ませた店長がいたとします。そのアルバイトは、コーラ一杯で店長の優しさを知り仕事に励む、てな事もあるじゃないですか。それが仮にml単位まで管理できるシステムが出来上がったとすると、棚卸しは楽になるでしょうが、店長のこの手は使えなくなるかもしれませんし、在庫管理に今以上の注意を配らなくてはいけなくなるかも・・・・・・

先日ブログ仲間のクリスさんとの会話(コメントでですが)ではありませんけど、医療技術が進み、今や超未熟児までも正常に育てられる時代です。その代わり、それを実施しようとすると大幅に時間を取られ、医師の負担は増えるばかり。普通に出産すれば、母子ともに正常であるのがあたりまえで、そこに大きなリスクがあることを、医療の進歩が私達に忘れさせてしまっているから、死産や母親が死亡するといったことが起きると、第一に医師を疑うようになっていく。医師は当然そんなリスクを避けるために、扱う出産を選ぶように・・・・・

そこで、話は『天災』に戻るわけで
昔なら紅羅坊名丸が言うように『天災』と心に言い聞かせ、いらつきも抑えられていたことが、技術が進歩して『天災』では済まされないものにどんどん変わっていて、八っつぁんなみにいつも短気でいなくちゃ生きていけなくなっているのが現代?
そんな社会に生きている子供たちに「気に入らぬ風もあろうに柳かな」なんて、柔軟な心を説いても、「そんなことしてたら、負け組の組長も出来ないよ」てなこと言われるのが落ちかも知れないなぁ。なんてね。

「いやいや、そんな世の中であればこそ、柳のように柔軟な心で生きて行かなくちゃいけないんだ!私はそうあるぞ!」
「車を運転しながら、他全部のドライバーに文句を言い続けるあんたが言っても、なんの説得力もないね。」
「・・・・・」

ともかく、八っつぁんに紅羅坊名丸が説くくだりをもう一つ。
「馬鹿なことを言いなさるな。あなたが腹を立て、親を打ち打擲(ちょうちゃく=殴ること)するというのは、人の守るべき道に欠けている話だよ。『梁を行く鼠の道も道なれや、同じ道なら人の行く道』道の外に人なし、人の外に道なし、道は片時もはなれるものはない、はなれるものはこれ道に非ず、烏に反哺(はんぽ)の考あり、鳩に三枝の礼儀あり、羊は跪いて親の乳を吸う。雀は忠(ちゅう)と鳴き、烏は考(かう)と鳴く、鳥類でさえ忠孝忠孝と鳴く、まして万物の霊長たる人間は、忠孝忠孝と鳴いてもらいたいなぁ」
(「烏に反哺の考あり、鳩に三枝の礼儀あり」とは、烏は老いた親烏に口移しに餌をやり、鳩は親鳩より三つ下の枝にとまる、親には礼儀と孝行とを重んじなければいけないとの教え)

さて、今日の一枚は、クリスさんの話が出ましたので、ソニー・クリスにしてみました。

1962年にヨーロッパに渡ったクリスは、アメリカ復帰後1966年10月(「THIS IS CRISS」)から、プレスティッジに約半年に一枚のペースでアルバムを残しました。今日のアルバムはその四枚目。
クリスのアルバムの中では、比較的地味目の一枚というイメージもありますが、なめらかで軽快な「いやぁクリスだぁ」といった感じは、じゅうぶんに楽しめる一枚だと思います。ただ、表題曲「THE BEAT GOES ON !」でのクリスは、ちょっとだけ雑に吹いている気もするのですが、私の思い過ごしでしょうか?

そうそう、シダー・ウォルトンのピアノもなかなかなもので、いい味を出しています。

ちなみに、このアルバムもプレスティッジ盤ではなく、ビクターの国内盤での所有です。

THE BEAT GOES ON ! / SONNY CRISS
1968年1月12日録音
SONNY CRISS(as) CEDER WALTON(p) BOB CRANSHAW(b) ALAN DAWSON(ds)

1.THE BEAT GOES ON !
2.GEORGIA ROSE
3.SOMEWHERE MY LOVE
4.CALIDAD
5.YESTERDAYS
6.ODE TO BILLIE JOE

追伸、
そういえば、ソニー・クリスはノイローゼで演奏活動を中断したり、最後は日本公演を目の前にしてロサンゼルスで自殺したんでしたよね。(1977年11月19日)彼はいったい何にいらついていたのでしょう? 八っつぁんとはまるきっりイメージの違うクリスも、柳のようにしなやかに風をかわす器用さは無かったのでしょうね。