初めて黙想会に参加しました。
どんな風にやるのか、判らないことばかりで少々緊張しながらの参加でしたが、参加した皆さんはとてもよくして下さり、気持ちよく参加できたのですが…。
…肝心の、神父様のお話が面白くありませんでした。
私としては初の日本人の神父様のお話でもあり、この黙想会を教えて下さった方からお話の上手な方、と聞いていたので楽しみにしていたのですが…期待しすぎた?
話題もその方の?修道会の話だけだったので、求道者の私には判らない(興味もない)話だったというのも関係しているとは思いますが。
とりあえず、第一講話が終わってミサ。
説教が長い。
論点がまとまっていない訳ではないのだけれど、例示が多く、くどくど述べすぎの上、調子が一本調子なので退屈。
…でもここまでは相手のせいばかりとはいえない(自分にあわないだけかもしれないから)と思っていたのだけど。
例示の中で、外国人の方が広島・長崎を見学して、「日本人はこれほどの災禍を受けても相手を許している。復讐しようとしていない。だから私もひとを許そうと思う」という感想に触れて、「新しい考え方を教わった」…と。
「確かに、その通りだと思った」…と。
冗談ではない。
実際被爆者の方々の中にはキリスト者もいらっしゃるだろうし、主の教えに従って許す、と思っている方もいらっしゃるかもしれない。
でも、キリスト者以外の方は?
私は被爆者ではないが、あの行為を許すつもりなはい。
日本軍にしても、ナチスドイツの行為にしても同じ。
人を傷つける、損なう、あれほどの行為を許す気はない。
一面的な見方にもほどがある。
国によっては、受けた屈辱には復讐が当然、という国々もあるから、そういう国の人から見れば、日本人は許している、ように見えるかもしれない。
でも実際、復讐の方法があるとでも?
日本にそんな方法はないし、実力もない。
やったところでもっと無惨に負けるだけなのは、最初から分かり切ったこと。
神父様の言葉が、「そういう見方もあるのだなと思った」とかだったら、これほど腹は立たなかったと思う。
それ以上聞く気がなくなり、昼食時間になったのを幸い退席した。
私は戦争を知らない世代だ。
だから、うかつにそのことに関しては語るべきでないと思っている。
筆舌に尽くせぬ、という言葉があるが、あまりにも辛い体験をした人は、語ることができないことがある。
時間の流れと共に、それらの体験を語り継ぐべきだと思い、辛さを抱えていても語り始める方が居る。
辛い記憶を心に抱いたまま、よかったことだけを語る方もいる。
辛いからこそ、語る方もいる。
それら全てに対し、どんなに想像しても決してそういう方々の経験に届かないことを知っているから、黙ってそれらを聞き、感じ、沈黙の尊敬を払うこと。
それだけが私にできることだと思っている。
(未来にそれらを生かし、平和な社会を築く、という努力は払うべきことだと思っているが)。
合わない話を聞くのは辛いものだが、政治と宗教だけは決して聞けないものだと思い知った。
どんな風にやるのか、判らないことばかりで少々緊張しながらの参加でしたが、参加した皆さんはとてもよくして下さり、気持ちよく参加できたのですが…。
…肝心の、神父様のお話が面白くありませんでした。
私としては初の日本人の神父様のお話でもあり、この黙想会を教えて下さった方からお話の上手な方、と聞いていたので楽しみにしていたのですが…期待しすぎた?
話題もその方の?修道会の話だけだったので、求道者の私には判らない(興味もない)話だったというのも関係しているとは思いますが。
とりあえず、第一講話が終わってミサ。
説教が長い。
論点がまとまっていない訳ではないのだけれど、例示が多く、くどくど述べすぎの上、調子が一本調子なので退屈。
…でもここまでは相手のせいばかりとはいえない(自分にあわないだけかもしれないから)と思っていたのだけど。
例示の中で、外国人の方が広島・長崎を見学して、「日本人はこれほどの災禍を受けても相手を許している。復讐しようとしていない。だから私もひとを許そうと思う」という感想に触れて、「新しい考え方を教わった」…と。
「確かに、その通りだと思った」…と。
冗談ではない。
実際被爆者の方々の中にはキリスト者もいらっしゃるだろうし、主の教えに従って許す、と思っている方もいらっしゃるかもしれない。
でも、キリスト者以外の方は?
私は被爆者ではないが、あの行為を許すつもりなはい。
日本軍にしても、ナチスドイツの行為にしても同じ。
人を傷つける、損なう、あれほどの行為を許す気はない。
一面的な見方にもほどがある。
国によっては、受けた屈辱には復讐が当然、という国々もあるから、そういう国の人から見れば、日本人は許している、ように見えるかもしれない。
でも実際、復讐の方法があるとでも?
日本にそんな方法はないし、実力もない。
やったところでもっと無惨に負けるだけなのは、最初から分かり切ったこと。
神父様の言葉が、「そういう見方もあるのだなと思った」とかだったら、これほど腹は立たなかったと思う。
それ以上聞く気がなくなり、昼食時間になったのを幸い退席した。
私は戦争を知らない世代だ。
だから、うかつにそのことに関しては語るべきでないと思っている。
筆舌に尽くせぬ、という言葉があるが、あまりにも辛い体験をした人は、語ることができないことがある。
時間の流れと共に、それらの体験を語り継ぐべきだと思い、辛さを抱えていても語り始める方が居る。
辛い記憶を心に抱いたまま、よかったことだけを語る方もいる。
辛いからこそ、語る方もいる。
それら全てに対し、どんなに想像しても決してそういう方々の経験に届かないことを知っているから、黙ってそれらを聞き、感じ、沈黙の尊敬を払うこと。
それだけが私にできることだと思っている。
(未来にそれらを生かし、平和な社会を築く、という努力は払うべきことだと思っているが)。
合わない話を聞くのは辛いものだが、政治と宗教だけは決して聞けないものだと思い知った。