はなはなひろば活動日誌

横浜市鶴見区にある
子育て支援施設の日誌です

本当のことは言えなくても・・・

2011-09-09 14:06:12 | 日記

先日、野村さんが2歳の仁志君の質問にどのように答えたらよいかということを、「はなはなひろば」に投げかけられました。(ブログ参照)
子どもたちの“どうして?”“なぜ?”の問いかけに対しての野村さんの向き合い方はすばらしいと思いました。
よく、パパやママは、子どもたちの質問に対して、そっけなくしたり、無視したり、うるさいわねと言ったりという場面を目にします。多分、このようなことが大人から続くと”ああ、大人は答えてくれないんだ。”と子どもなりに納得してしまい、決して大人に向かって質問しなくなってしまったりします。
子どもが質問を発することは、成長していく過程でとても大事なことだと思っています。
ある年齢になったら「自分で調べてごらん。びっくりするようなことが分かるよ」と言ってあげても良いかも知れません。このときにも、「自分で」と突き放さずに、ひとこと「一緒に調べようか」という姿勢を持つことも必要です。
“なぜ”に対して、大人の真剣な対応があって、それではじめて、子どもは一つ一つ、不消化にならず納得したような気持ちになっていくのでしょう。
本当のことは言えなくてもいいのです。ただ、ちゃんと大人がまじめに答えてあげることです。昨夜、深夜にラジオを聴いていたら、「千の風になって」の作者新井満氏が「陸前高田の松は、なぜ1本だけ残ったのだろう」と言うことをずーっと考えていたという話をされました。
考えていたら、何日も眠れなかったそうです。
そして自分で解き明かした結論は7万本もあった松のうち1本だけが残されたのは、7万本の松たちの強い思いがあったから。7万本の松はすべて、みんな仲のよい家族・親戚だった。津波が来たとき、一番末子のその1本松を何とか周囲の松たちがかばって、”元気に生きていっておくれ”と切なる思いを持ったのだ。お父さんも、お母さんも、兄弟も、親戚もみんな津波に流されながら、1本の松を守ったのだ。1本でも生き延びて、また前のようなきれいな松原に生まれ変わってもらいたい。その思いが伝わってあのたった1本の松は立っていられるのだ。
でも、末っ子の1本の松は、どうして自分だけ生かされたのだろうかと、ずーっと悲しい思いをしながら、変わり果てた海際に立っているのではないかと。」
いい話だなあと思いました。

台風はどこから来るの?
海のほうからよ。
どうして海のほうから来るの?
台風てね、広く・遠い海でおぎゃって生まれるんだって。
そしてだんだん大きくなっていくんだって。そして、だんだん大きく育っていくんだって。
こんなやり取りができたら、素敵だと思いませんか。
あくまでも、まじめに子どもと向き合いながら、時にはユーモラスに、時には科学的に、そして時にはユメのような話を語りあえたら、きっと、成長する子どもたちにとって、一生忘れられむ思い出となることでしょう。
目に見えるもの、科学的なものしか信じられないなんて、淋しすぎると思いませんか。
            M