先日スタッフのMさんが、「はなはなひろば」に向かう途中で、花園保育園の園児の散歩の列に出会ったのだそうです。Mさんに向かってニコニコしながら手を振っている女の子が目に入り、よく見ると何年か前に頻繁に「はなはなひろば」に来てくれていたSちゃんでした。小さな子どもが、スタッフのMさんを覚えていてくれたことをMさんはとても嬉しかったと言っていました。
街中のどこかで、「はなはなひろば」に来ていた親子、来ている親子に会った時スタッフは声を掛けようと心がけているのですが、やり過ごしてしまいそうになる時もあります。
そんな時気づかれたら、お母さんのほうからも「○○さん!」と声を掛けてくださいね。せっかくひろばで交流のできているスタッフと、お母さん・子どもたちなのですから。
挨拶だけでもいいし、立ち話でもいいし、声を掛け合うことで、お互いに気持ちが近くなる気がするのです。
また、その和やかな光景は、たぶん通りがかりの人たちから見ても、なかなかいいものだと思えるのですが・・・・
M
17日(土)は、9月の土曜日オープン日でした。(奇数月第3土曜日、偶数月第2土曜日)
土曜日オープンの日は、日常的に来所している親子と、保育園通いをしている親子との混成ひろばとなります。
何ヶ月ぶりかで会うYちゃんは見違えるほど成長した女の子になっていましたし、そのお母さんは第2子の出産を間近に控えいつ出産日が来てもよいような状況になっていたり、1か月ぶりに会うHちゃんはまたまた少年の顔・体つきになっているのにびっくり。元気いっぱい走り回っていたRちゃんは、保育園通いが始まって、集団生活の中でいろいろ鍛えられ成長している様子が見受けられました。
Iさんはふたりの子どもたちと一緒におばあちゃんも来られ、ひろばで遊んでいかれました。わたしと同じ年齢と伺っていたおばあちゃんにとても親しみを覚えました。
この日、もうひとりおばあちゃんがお孫さんのSちゃんを連れていらっしゃいました。いつもママと来るときにはひろばに馴染んでいるのに、今日は調子が狂ってしまったのか、ひろばの中に入ると泣き出してしまい、ついには抱っこして外に連れ出しあやしておられましたが、ひろばで遊ぶことは断念し、わずかな時間で帰られました。せっかくふたりで見えたのに、とても残念!
このような、卒業組に混じって現役の親子が楽しく遊んだり、おしゃべりしたりの1日でした。
ひと月に1回だけの土曜日オープンですが、この日を楽しみにしている親子もあり、たいせつな日になっていると思いました。
M
あいにくの天候で、出足を心配していた「絵本と友だち」のイベント(9月20日)でしたが、キャンセル4組があった中で、5組の参加がありほっとしました。
もう「はなはなひろば」にはおなじみとなった「絵本と友だち」のグループの人たちですが、毎回内容の新しいものをやってくださるので、何が飛び出すか楽しみですし、グループの方たちの努力と熱意に打たれます。
グループの名前から、本の読み聞かせをするだけかと思ってしまわれそうですが、この日の演目は、指人形・ペープサート・パネルシアター・歌をみんなで歌う・大きな絵本小さな絵本の読み聞かせ・工作(楽器つくり)など多彩な内容です。
絵本と友だちの皆さんは、鶴見区内のケアプラザや地区センターなどで活動をしているそうですが、毎回工夫されて、楽しい内容でこどもたちを引きつけてくれます。
この日の5人の子どもたちも一つひとつのプログラムに食い入るように目を向け、真剣そのものの表情をしているその様子を見ているわたしたちは、こんな小さな子どもたちも、ちゃんと内容が分かるんだと改めて驚きを覚えました。本当に夢中になると子どもたちは、無意識に吸い寄せられるように紙芝居の舞台の傍まで歩いたり、はいはいで行ってしまうのですよ。
15分から20分の間、集中できるのは、すばらしいことです。
次回は、12月にありますので、ぜひみなさん参加してくださいね。
M
先日、野村さんが2歳の仁志君の質問にどのように答えたらよいかということを、「はなはなひろば」に投げかけられました。(ブログ参照)
子どもたちの“どうして?”“なぜ?”の問いかけに対しての野村さんの向き合い方はすばらしいと思いました。
よく、パパやママは、子どもたちの質問に対して、そっけなくしたり、無視したり、うるさいわねと言ったりという場面を目にします。多分、このようなことが大人から続くと”ああ、大人は答えてくれないんだ。”と子どもなりに納得してしまい、決して大人に向かって質問しなくなってしまったりします。
子どもが質問を発することは、成長していく過程でとても大事なことだと思っています。
ある年齢になったら「自分で調べてごらん。びっくりするようなことが分かるよ」と言ってあげても良いかも知れません。このときにも、「自分で」と突き放さずに、ひとこと「一緒に調べようか」という姿勢を持つことも必要です。
“なぜ”に対して、大人の真剣な対応があって、それではじめて、子どもは一つ一つ、不消化にならず納得したような気持ちになっていくのでしょう。
本当のことは言えなくてもいいのです。ただ、ちゃんと大人がまじめに答えてあげることです。昨夜、深夜にラジオを聴いていたら、「千の風になって」の作者新井満氏が「陸前高田の松は、なぜ1本だけ残ったのだろう」と言うことをずーっと考えていたという話をされました。
考えていたら、何日も眠れなかったそうです。
そして自分で解き明かした結論は7万本もあった松のうち1本だけが残されたのは、7万本の松たちの強い思いがあったから。7万本の松はすべて、みんな仲のよい家族・親戚だった。津波が来たとき、一番末子のその1本松を何とか周囲の松たちがかばって、”元気に生きていっておくれ”と切なる思いを持ったのだ。お父さんも、お母さんも、兄弟も、親戚もみんな津波に流されながら、1本の松を守ったのだ。1本でも生き延びて、また前のようなきれいな松原に生まれ変わってもらいたい。その思いが伝わってあのたった1本の松は立っていられるのだ。
でも、末っ子の1本の松は、どうして自分だけ生かされたのだろうかと、ずーっと悲しい思いをしながら、変わり果てた海際に立っているのではないかと。」
いい話だなあと思いました。
台風はどこから来るの?
海のほうからよ。
どうして海のほうから来るの?
台風てね、広く・遠い海でおぎゃって生まれるんだって。
そしてだんだん大きくなっていくんだって。そして、だんだん大きく育っていくんだって。
こんなやり取りができたら、素敵だと思いませんか。
あくまでも、まじめに子どもと向き合いながら、時にはユーモラスに、時には科学的に、そして時にはユメのような話を語りあえたら、きっと、成長する子どもたちにとって、一生忘れられむ思い出となることでしょう。
目に見えるもの、科学的なものしか信じられないなんて、淋しすぎると思いませんか。
M