嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

本を読むのはつまらない

2004年10月17日 04時17分00秒 | 駄文(詩とは呼べない)
部屋の机に積んである本を整理しているうちに
いくつかの本を読んでみようという気になった
ほとんどが読みかけの本だし
いい機会だから─そんな軽い動機となにげない気持ちの揺らぎで
何冊も本を手にとって気付いた。

僕が持っている本はどれもこれもつまらない。
不思議だ。
何故こんなにもつまらない本ばかりしか無いのか。
数ページ読むだけでもう読むのが嫌になるような本ばかりだ。
この本達は、明らかに魅力を発していない。

つまらない本を面白く読む必要なんか無い
つまらない本だとはっきり言い捨てる事の方が僕には大事だ
そこで何故つまらないのか考えてみた

僕にとって小説の時間というのは著者との仮想対話の時間であり
作者への興味が湧いている時、親近感を持っている時しか
その世界へ入り込めない、という特性がある。
知りたいという願望の喪失
薄れてしまった好奇心
「この本は遠すぎる」
あまりにも遠すぎるんだ。
本を手に取っても
本を開いても
ページをめくっても
文字を目で追っても
そこにはありありと情景が映し出される事は無く
固い活字がカツカツコチコチと規則正しく並んでいるだけ
僕の意識は仮想空間へ跳ぶ事をやめたのか。
はたまたそんなものは最初から無かったのか。

空想を空想と定めたり
文字を物語と意味づけしたりするものの正体はなんなのか
そもそも固く並んだ文字の中にどうやって物語性を見出しているのか
想像力が貧困なのか
接続が拒否されているのか

悲しいかな僕にはこれらはもう紙切れにしか見えない
古新聞と同じ程度の価値しか無い

ああそうかそうかそういうことか
僕は過去に興味なんか無いんだ
僕は過去なんか見たくないんだ
僕は今しか見ていない
いや、今すらも見ていないかもしれない

あーそうだ思い出した気付いた解った
つまらないのは本じゃない
つまらないのは俺だ
俺がつまらないから
本もつまらない
なるほどこりゃどうにもならないや。

僕は本を閉じた。