嘘の吐き方(うそのつきかた)

人はみんな嘘をついていると思います。僕もそうです。このページが嘘を吐き突き続ける人達のヒントになれば幸いです。

笑う気力が低下ちう。

2005年03月16日 21時03分27秒 | 駄文(詩とは呼べない)
再び僕は
いや、僕の世界は
開けた視界と精一杯の可能性と真っ黒な絶望色の雲と
遠くまで見渡せる苦悩の投射に覆われた。

やらなければならないこと、やりたいこと、そういうものは何一つとして発生していない。

どうでもいい、疲れた。
けれど何かを書き殴っている

この事自体がどうしようもない矛盾だ

海辺のカフカを読もう。そして読み終わったら死のう。
そんな事を考えた。

物語の展開に自分の運命を任せるのも
それはそれで面白いと思う
読書が苦手な僕だけど、もう少し真剣に読めるようになるかもしれない

今更ここで、僕の言説に耳を傾け、本気で止める人間も居ないだろう
居たとしても、僕を説得できるとは、到底思えないのだし。

一つ困った事があるとすれば
僕には死ぬ理由が何も無いということだ
だからそれを本の中に求める。
物語の中には、もしかしたら僕が死ぬのにふさわしい、もっともらしい口実があるかもしれないから。

僕はきっと僕にトドメを刺すような
そんな綺麗で美しい刃を探しているのかもしれないけど
あいにく今のところ、そういう何かには出会っていない

無責任な生き方が楽だと思っている人間が時々居るようだけど
それはとんでもない誤解だと思う
僕は自分の人生が楽だなんて思ったことは、ほんの数秒あるかないかだ。
もちろん逆説的に過酷な生き方だと言っているわけでもない。

何故なら人の心は、僕を取り囲む世界は、100%の無責任さを許すようには、
決して出来てはいないのだから。
そしてまた、僕は自分が誰かを傷つけるたびに、硬く心を閉ざさねばならないのだから。

僕を現在地に引き止める引力の正体はなんだろう
僕はいったい、何を迷っているのだろう
現実的な問題は山積みだし、生活は明らかに破綻しているけれど
それでも解決すべき問題が見当たらない時、人は何を悩むのだろう
僕はまるで、悩むべき何かを探して迷っている夢遊病者だ。

僕は僕の背中で回るルーレットで、コインを賭ける面白い数字を、探している。