大阪市北区で行政書士・海事代理士・マンション管理士を営んでいる原田行政書士法務事務所の駅ブログ

主に学生時代から撮り続けている全国の駅の写真等をブログで毎日公開しています。

旧国鉄天北線 上音威子府駅!

2020年11月16日 | 

北海道中川郡音威子府村字上音威子府にあった上音威子府駅は、音威子府駅からオホーツク沿岸を迂回して南稚内駅までの148.9kmを結んでいた全線単線非電化のローカル線だった天北線の一般駅として、1914(大正3)年11月7日に開業しました(開業時は宗谷線に所属)。
しかし、天北線が国鉄からJR北海道に移行後の1989(平成元)年5月1日に廃止されたことに伴い、上音威子府駅も廃駅となりました。

かつては千鳥式に配置された単式ホーム2面2線を有していて列車交換も可能でしたが、1973(昭和48)年9月に交換設備が廃止され旧下りホームの線路が撤去されてからは、単式ホーム1面1線のみの無人駅でした。
開業時に建てられた古い木造駅舎が、廃止時まで構内の西側に健在でした。

上音威子府駅が属していた天北線は、昭和40年頃から貨物・利用者共にが減少し、1981(昭和56)年の営業係数(100円の売り上げを得るために必要な費用)は887にまでなっていました。そのため、1980(昭和55)年12月27日の国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)施行による特定地方交通線選定の際には第2次特定地方交通線に選定されますが、営業キロが148.9kmもあった長大路線であったため地元の自治体が特別な配慮を求めたことや、沿線道路が未整備だったため、冬季の代替輸送に問題があるとして一時廃止承認が保留されたものの、その後、運輸省(現・国土交通省)の調査結果を受けて1985(昭和60)年8月2日に追加廃止承認されてしまいます。 沿線自治体は天北線対策協議会を開いて存続運動を展開しますが、1988(昭和63)年に開かれた第4回対策協議会でやむなくバス転換を受け入れました。

そして天北線は、1987(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)に承継された後、1989(平成元)年5月1日に廃止され、それに伴い上音威子府駅も廃駅となりました。

  <上音威子府駅の年表>

 ・1914(大正3)年11月7日:国鉄宗谷線の一般駅として開業
 ・1919(大正8)年10月20日:線路名が宗谷線から宗谷本線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1930(昭和5)年4月1日:音威子府駅~稚内駅間を宗谷本線から分割し線路名を北見線に改称したことに伴い、同線の駅となる
 ・1961(昭和36)年4月1日:線路名が天北線に改称されたのに伴い、同線の駅となる
 ・1973(昭和48)年9月17日:貨物・荷物取扱い廃止、交換設備を廃止、駅の無人化
 ・1987(昭和62)年4月1日:国鉄分割民営化により北海道旅客鉄道(JR北海道)の駅となる
 ・1989(平成元)年5月1日:天北線の廃止に伴い廃駅となる。

 
(駅 名 標)

 
(駅舎・ホーム側)

 
(上音威子府駅駅舎)


 今日もご訪問有難うございます