昨日は源氏講座でした。
柏木の巻を学びました。
国宝源氏物語絵巻にも、柏木で何点か絵があるのは皆さんご存知でしょう。
夕霧が病床の柏木を訪問する場面もありました(柏木二)
大納言になったお祝いに行ったのですが、柏木は衰弱していて横になったままです。
烏帽子をつけていたのが不思議でしたが、これは貴族として礼儀なのだそうです。
夕霧が病床の柏木を訪問する場面もありました(柏木二)
大納言になったお祝いに行ったのですが、柏木は衰弱していて横になったままです。
烏帽子をつけていたのが不思議でしたが、これは貴族として礼儀なのだそうです。
自分と光源氏との間に「いささかなることの違い目」があったと、
柏木ははじめて夕霧にその理由をほのめかすのでした。
柏木ははじめて夕霧にその理由をほのめかすのでした。
あの蹴鞠の時から、夕霧は柏木の女三宮への恋慕を知っていましたが、
事情をうすうす感じてはいるものの、はっきりとは断定できないままにいました。
↑この事は、後の横笛巻にもつながっていきます。
事情をうすうす感じてはいるものの、はっきりとは断定できないままにいました。
↑この事は、後の横笛巻にもつながっていきます。
そして光源氏が薫を抱いている国宝絵巻の柏木三の場面は、
源氏物語の最大の見せ場ともいえます。
以前にも書きましたが、その表情が秀逸と思います(拙文 柏木と女三宮の図参照)
源氏物語の最大の見せ場ともいえます。
以前にも書きましたが、その表情が秀逸と思います(拙文 柏木と女三宮の図参照)
これが因果応報というテーマなのでしょうか。
三田村雅子先生による構図の説明も面白いものでした。
『光源氏が画面の上端のラインに押しつぶされるような姿勢ので描かれているのは、
柏木の子である薫をそれと知りながら自分の子であるかのように振舞わなければならない彼の心理に即した表現なのでしょう』(「芸術新潮2月号」国宝源氏物語の誘惑より抜粋)
柏木の子である薫をそれと知りながら自分の子であるかのように振舞わなければならない彼の心理に即した表現なのでしょう』(「芸術新潮2月号」国宝源氏物語の誘惑より抜粋)
柏木の子供と知っている光源氏は
自分から薫の顔を見たり抱こうとはしないので、何も知らない女房達から、
ご自分のお子なのに不思議に思うと描かれた文章がありました。
自分から薫の顔を見たり抱こうとはしないので、何も知らない女房達から、
ご自分のお子なのに不思議に思うと描かれた文章がありました。
女三宮はその理由を知っています。
ついに五十日(いか)の祝いに薫を抱きながらじっと見つめる光源氏。
夕霧の子供や明石女御の子供達とは様子が違っていて、
目もとがかをり、心なしかあの柏木に似ていると思う光源氏の胸中は・・・
夕霧の子供や明石女御の子供達とは様子が違っていて、
目もとがかをり、心なしかあの柏木に似ていると思う光源氏の胸中は・・・
「この君、いとあてなるに添へて愛嬌つき、
まみのかをりて笑みがちなどをいとあはれと見給ふ。
思ひなしにや、なほいとようおぼえたりしか」 (柏木)
まみのかをりて笑みがちなどをいとあはれと見給ふ。
思ひなしにや、なほいとようおぼえたりしか」 (柏木)
後に宇治十帖の主役になる薫の鮮やかな登場でした。
罪を背負って生まれてきた薫。
薫を抱きながら、
白楽天の漢詩をひきもうこの世にいない柏木をも思い、
「汝が父に似る事なかれ」とほろほろ涙する光源氏。
なかなか奥深いものがあります。
罪を背負って生まれてきた薫。
薫を抱きながら、
白楽天の漢詩をひきもうこの世にいない柏木をも思い、
「汝が父に似る事なかれ」とほろほろ涙する光源氏。
なかなか奥深いものがあります。
今回、柏木の巻で柏木賛辞が多い事を知りました。
女三宮との和歌のやりとりで
「 立ち添ひて消えやしなまし憂きことを
思ひ乱れるけぶり(煙)くらべに
おく(後)るべうやは。 」
女三宮との和歌のやりとりで
「 立ち添ひて消えやしなまし憂きことを
思ひ乱れるけぶり(煙)くらべに
おく(後)るべうやは。 」
と、激しい愛の言葉をもらった柏木は
その和歌と最後に鳥のような字で和歌を送り衰弱していきます。
その和歌と最後に鳥のような字で和歌を送り衰弱していきます。
「 行方なき空のけぶり(煙)となりぬとも
思ふあたりを立ちは離れじ 」
これは相聞歌ととるべきなのでしょうね。
思ふあたりを立ちは離れじ 」
これは相聞歌ととるべきなのでしょうね。
男児出産を聞き、権大納言の位を与えられながらも、
柏木はついに泡のように亡くなります。
柏木はついに泡のように亡くなります。
愛と共に生き、死んでいった青春。
「あはれ衛門のかみ」 柏木へのはなむけの言葉が心に残りました。