源氏物語と共に

源氏物語関連

源氏物語の成立と巻名

2008-05-25 10:28:57 | 日記

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万葉集和歌の木簡発見!



http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080523-00000080-san-soci
先日に、NHKニュースでもしていたが、
紫香楽宮跡から、古今集でも歌の父・母とされている和歌の木簡が発見されたの事。
これによって成立年代がずいぶん判ってくるそうだ。


源氏物語の成立については、紫式部日記1008年11月、五十日の祝いの所にある
『あなかしこ、このわたりに若紫やさぶらふ』
(このあたりに若紫はいらしゃるか?)という藤原公任の問いかけに対して、


『源氏に似るべき人も見えたまはぬに、かの上はまいていかでものしたまはむ・・』
(源氏の君に似ていそうな人もお見えにならないのに、ましてあの紫の上が
どうしてここにいらっしゃるのでしょうかと思って私は聞き流していた)


という文によって、若紫の巻の成立を推し量ることが出来る。


また若紫はいらしゃるか?という言葉で、あまり時間が経っていない親しみと、
また式部の『かの上』の言葉から、若紫では十歳頃であるから、
紫の上がすでに『対の上』『紫の上』呼ばれていた時代で
若い頃の薄雲・朝顔・少女あたりの成立をも推し量っている。
(片桐洋一 源氏物語の誕生と伝来)


つまり、1008年11月にはすでに若紫あるいは紫の上と呼ばれていた巻が
存在していたので、今年は源氏千年紀になるという事。
またそれぞれ巻の名前については、2通りの考え方があり、
すでに作者がつけていた、あるいは後世につけた名前とするそうだ。
どの巻の名前もなかなか的を得ていて良いと思う。


完成から10年ほどで評判となり、受領の娘である
孝標女(たかすえのむすめ)が源氏物語を一の巻から読んだとされ、
『五十よまき』54巻なのか、50余巻なのか定かではないようだ。


名前のみ載っており、欠損している「輝く日の宮」や「壷前栽」などもある。


「匂宮」は、最古の古系図では「薫中将の巻き」とされていて、
鎌倉時代には「匂兵部卿」の名前と併記されていたとも。(清水婦久子 源氏物語の千年)


いずれにせよ、1000年もの間に語られ、写本によって伝わった源氏物語は
やはりそれだけ素晴らしいという事でしょう\(~o~)/


絵画音楽にも影響の強い源氏物語は
平安貴族の頂点を表すものとして当時をしのぶロマンかもしれません。


それにしても、問いかけた公任に知らん顔をしていたという紫式部はちょっといやらしい。
清少納言なら得意げにさっと進み出て何かを伝えたことでしょう~


国宝紫式部日記絵詞ではこの場面のその後の戯れが描かれているが、
文化博物館では期間外で本物が見られなかったのは残念です。


先日に、片桐洋一氏がいわれたこの場面の断簡をしげしげと見ながら、
やはり酔っ払った小右記の作者・藤原実資(右下)が、
女房の裾をひっぱっているように思いました(笑)


ちなみにその上の剥落した着物の人物は公任とか。