神社には必ずといっていいほど鎮守の森があります。
神社と鎮守の森との関係を調べようと思い、鎮守の森保全への理解を訴えて
いらっしゃる、千葉県野田市の桜木神社さんを訪ねました。
その時の内容の第二段です。
宮司さんに聞いたお話に肉付けをしながらまとめています。
私たちは自然の恵みによって生かさせてもらっています
●私の日常的な朝食の内容(おかずのみ)
写真はこの記事を書いている私の日常的な朝食(写真はおかずのみです)。
左上から順番に次のとおりです。
①オクラのおひたし … オクラ、かつおぶし、ゴマ、しょうゆ
②山川漬けの黒酢漬け … 原材料は干しダイコン、ゴマ、昆布、しょうゆ
黒酢など
③サケの切り身 … サケ
④サラダ … トマト、キュウリ、豆腐
⑤味噌汁 … 味噌、かつおぶし、長ネギ
私たちは日々このように食物を食べているから元気に生きられるのです。
食べ物がなかったら、餓死してしまいますね。
では、これらの食物は一体どこから来たのでしょう。
オクラやダイコン、トマトやキュウリは畑で育ったものでしょう。畑の作物
はもちろん人の手間もかかっていますが、日光や土壌、雨水などによって育
ったものです。サケや昆布は海を泳いでいたり生えていたりしたものを人間
が捕獲、採集してきたものです。
このように私たちの食べるものはみな、畑で育ったり海を泳いだりしていた
生き物なのです。
私たちはこのように他の生きものたちの命をいただくことによって生かさせ
てもらっているのであり、「いただきます。」とは元々そういう意味なのです。
お店に行くとこれらの魚や野菜たちはパックに入って売られていて、お金で
それを買います。
これは人間どうしのやりとりであって、肝心の生きものや自然に対する感謝
の気持ちは置き去りにされてしまっています。
このように単なる物品交換のように食べ物を扱っているばかりでは、自然が
大切なものという認識も薄れていってしまうでしょう。
農作物を育てたり、魚介類を捕獲・採集したり、運搬したりと手間がかかって
いるため、その労働に対してお金を払うというしくみはあって当然かもしれ
ません。
しかし私たちの食料になるために捕獲され殺生された魚介類たちには、これら
魚介類を育ててくれた海の自然には、また太陽や雨水や畑の土壌を豊かにして
くれるミミズなど、自然の恵みに対しては一方的に搾取するばかりで、何も
支払われません。
せめて感謝の気持ちくらいは持ちたいものです。
神社と鎮守の森との関係を調べようと思い、鎮守の森保全への理解を訴えて
いらっしゃる、千葉県野田市の桜木神社さんを訪ねました。
その時の内容の第二段です。
宮司さんに聞いたお話に肉付けをしながらまとめています。
私たちは自然の恵みによって生かさせてもらっています
●私の日常的な朝食の内容(おかずのみ)
写真はこの記事を書いている私の日常的な朝食(写真はおかずのみです)。
左上から順番に次のとおりです。
①オクラのおひたし … オクラ、かつおぶし、ゴマ、しょうゆ
②山川漬けの黒酢漬け … 原材料は干しダイコン、ゴマ、昆布、しょうゆ
黒酢など
③サケの切り身 … サケ
④サラダ … トマト、キュウリ、豆腐
⑤味噌汁 … 味噌、かつおぶし、長ネギ
私たちは日々このように食物を食べているから元気に生きられるのです。
食べ物がなかったら、餓死してしまいますね。
では、これらの食物は一体どこから来たのでしょう。
オクラやダイコン、トマトやキュウリは畑で育ったものでしょう。畑の作物
はもちろん人の手間もかかっていますが、日光や土壌、雨水などによって育
ったものです。サケや昆布は海を泳いでいたり生えていたりしたものを人間
が捕獲、採集してきたものです。
このように私たちの食べるものはみな、畑で育ったり海を泳いだりしていた
生き物なのです。
私たちはこのように他の生きものたちの命をいただくことによって生かさせ
てもらっているのであり、「いただきます。」とは元々そういう意味なのです。
お店に行くとこれらの魚や野菜たちはパックに入って売られていて、お金で
それを買います。
これは人間どうしのやりとりであって、肝心の生きものや自然に対する感謝
の気持ちは置き去りにされてしまっています。
このように単なる物品交換のように食べ物を扱っているばかりでは、自然が
大切なものという認識も薄れていってしまうでしょう。
農作物を育てたり、魚介類を捕獲・採集したり、運搬したりと手間がかかって
いるため、その労働に対してお金を払うというしくみはあって当然かもしれ
ません。
しかし私たちの食料になるために捕獲され殺生された魚介類たちには、これら
魚介類を育ててくれた海の自然には、また太陽や雨水や畑の土壌を豊かにして
くれるミミズなど、自然の恵みに対しては一方的に搾取するばかりで、何も
支払われません。
せめて感謝の気持ちくらいは持ちたいものです。