ネイチャー・コンタクト ~ 自然とディープにふれあおう ~

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鎮守の森は大切な森(その7):千葉県野田市桜木神社編(3)

2013年06月27日 | 3.日本人と神社と自然
5月の連休中、千葉県野田市にある桜木神社さんを訪ねて聞いてきたお話
を肉付けしながらまとめています。
肉付けとは、私が他の機会に見聞きした、お話の内容に一致する具体的な事例
がメインです。
今回は第三弾で、最終回となります。


鎮守の森が昔ほど大切にされなくなった原因

前回までの内容のように、昔の日本人は山村なら山の神様、漁村なら大漁
や海上安全の神様、農村なら水田の神様と、その生活に密着した神様を祀
って感謝や祈願をしてきました。
鎮守の森はそうした自然の恵みを神様からの恵み、または神様のこもる森
として大切にされてきたのです。

このように神社は地域の人々によって支えられ、大切にされてきました。
今で言う町内会は昔は直会(なおらい)といって、神事の後にその一部と
して神社の社の中で行なわれてきました。
これは神の前で町の話し合いをするという意味合いがあり、最後にお供え
ものを下げて、みんなでいただくという風習がありました。

こうした風習がなくなってしまったのは戦後からです。
戦後になると神社から人々が離れていきコミュニティが崩壊。国などから
の公的な補助もなくなって、神社にも「経営」が必要になってきました。
経営が苦しくなれば神社もつぶれてしまいます。若い人が町から出て行く
一方で高齢化が進み、神社の維持管理ができなくなって、鎮守の森もろと
も神社が姿を消していくというのが典型的な例です。
このように神社もその存続のために商業化せざるを得ないという現状も
あるのです。

2011年3月11日の東北大震災の際は、津波から避難するため神社の高台
(鎮守の森)に集まって助かった地域の人々もいるようです。
この地域では神社と地域とのつながりとコミュニティとが失われていな
かったのです。
こうした出来事もあり、神社と地域とのつながりが見直され始めています。

もう一つの原因としては、神社から人々が離れていったのと平行して、
自然からも離れていったということがあります。
ほんらい自然は、もちろん脅威も与えてきたけれど人々に恵みを与える
存在で、人々はそれに感謝してきました。
ところが生活が便利になってくると、次第に自然を邪魔者扱いするように
なりました。
具体的には落ち葉が車の上に落ちて汚れる。木に止まった鳥が糞をして
汚いなどという苦情が神社にが寄せられるようになり、仕方なく木々を
切ってしまうようになってしまったのです。

自然は生活面においても、文化面においても、観光においても大切な資源
です。
神道はその自然を大切にしてきた宗教であり、神社には鎮守の森があって、
社はただそこにたたずんでいるだけで良いというのが理想の形です。
この鎮守の森を守っていくためには、いかに神社に(あるいは鎮守の森に)
人々をを引き込むか、またそれをいかに持続していくかが課題になると
思います。


●2010年6月に屋久島旅行をしたときのことです。
 宮之浦の川向神社に行ってみました。お参りしようと近づくと、中で
 床座りテーブルがコノ字型に並べられ、子供たちが会議をしている
 様子だったので驚きました。
 昔はこのように町内の集まりが行なわれていたのでしょう。


●横浜元町にある元町厳島神社には神社敷地内か隣接地か未確認ですが、
 自治運営会館があります。
 昔は社で町内会が行なわれていた名残だと考えられます。

(*上の写真二つは記事を書いた後、7月5日に追加したものです。)

桜木神社さんを訪ねてのあとがき

私は地元横浜の町なかに残された小さな自然のある公園などで、自然観察
会を開くなどの活動をしています。
最近、地元でも地方に出かけても、落ち葉をきれいに掃いてしまったり、
木々を伐採してしまったり、枝を乱暴な切り方で切ったりと、鎮守の森が
大切にされなくなってきているような事例をよく目にします。

北島三郎の「祭」という歌でも歌われているように、日本人は自然の恵み
を神様からの恵みとして感謝を捧げてきたし、鎮守の森を大事にしてきた。
なのになぜ…という疑問。
一方、天孫降臨ということで、渡来して縄文人支配を始めた弥生人が神様
として祀られていることもあるので、その中でなぜ鎮守の森も大切にして
きたのか。
このような鎮守の森は、神社にとってどういう存在なのか確かめたくなり、
今回の取材にいたりました。

桜木神社さんではジブリ映画のBGMが流れる中、古民家の雰囲気たっぷりの
ホールで神主さんのお話を聞くことができ、神社は縄文時代からの自然信仰
から始まっているということをよく確かめることができたとともに、始めて
聞くような話もあり、大変勉強になりました。

特に印象深かったのは直会(なおらい)についてで、昔は神の御前で町の
話し合いが行なわれたというお話です。
神の御前でというのは大きなポイントだと思いますし、以前、屋久島を
旅行したとき、町の神社に出かけていくと社の中で子ども会のような子供
たちの集会が開かれているのを見たことがあるので、「あぁ、あれか~!」
と思い出しました。
また、今でも神社の敷地内かそのそばに町内会館が建っている事例をよく
見かけるのはその名残でしょう。

今後も、自然を大切にしている神社を訪ね、その理念についてお話を聞い
たり、祭事を取材していこうと思います。