Kunozan Toshogu Shrine, Shizuoka City, Shizuoka Pref.
さてさて、「久能山東照宮」にやって来たワタクシは、東照宮の建造物を興味深く見ていました
。

東照宮は徳川家康を祀った神社ですが、大阪の年配の方には「家康は嫌いや」「家康は好かん」という人が多いんです。
理由は単純明快で、大阪は豊臣秀吉によって町が大きく発展しました。ですので、秀吉を好む大阪人が多いんです。
その秀吉を裏切り、大坂の陣で豊臣家を滅ぼしたということで、家康を嫌う人が多いんですよ。
ただ、これはあくまでも年配の人のことでありまして、若い人にはそんな意識は無いと思います
。

これは「神廟」と言いまして、徳川家康の遺骸を埋葬した場所です。その写真の前で、こんなことを書くのもちょっと気が引けるのですが、
実はワタクシも家康ってあまり好きじゃないんです。まず、家康には「戦場で華々しく活躍する英雄」としての姿も無ければ、
秀吉のように「農民の子から天下人へ大出世した」という物語もありません
。

皆さんもご存知のように、まだ三河の小大名だったころは隣国の今川義元に従属していましたが、
「桶狭間の戦い」で織田信長が義元を破ると、今川を見限ってあっさりと織田と同盟を結びます。
その信長が「本能寺の変」に倒れると今度は豊臣秀吉に従いますが、秀吉が病で死去するや豊臣家をないがしろにし、
ついには「大坂の陣」で豊臣家を滅亡へと追いやります。どうも家康からは「義理」「人情」を感じないんですよ
。

でも、情に流されないからこそ260年も続く徳川幕府を築くことが出来たのでしょうし、
東京の発展の土台を作ったのも間違いなく徳川家康です。ですので、彼の歴史的な功績はワタクシも認めざるを得ません
。

一番左にある葵の御紋が逆さまになっているのがわかるでしょうか。
久能山東照宮にはいくつか逆さになった葵の御紋がある理由は、あえて完璧に造らず、さらなる発展への願いを込めたと考えられています。
そういう思慮深さが、徳川家の繁栄をもたらしたのかもしれないですね
。

久能山東照宮のすぐ南には駿河湾が広がります。温暖な静岡らしい光景かなと思います
。

たくさんの温室が見えるかと思いますが、これは久能山の特産品である「石垣いちご」の温室なんです。
生産が始まったのが1896年だと言いますから、130年の歴史があるイチゴなんですね
。

再びロープウェイに乗って日本平に戻ります。この後は静岡駅に向かい、大阪への帰路に着くことになりますね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2
子どもの頃、毎日のようにテレビでは時代劇が放映されていました。当時の時代劇は時代考証などもいい加減だったと思います。
それでも、時代劇を見ているうちに歴史上の人物や事件に興味や関心を持つことが多かったです。
今は時代劇といっても、NHKの大河ドラマくらいしかありませんよね。
ただ、今回の大河ドラマの「べらぼう」は今まであまり取り上げられなかった遊郭や浮世絵師などにスポットを当てているので、
私としてはとても興味深く放送を見ています。ただ、遊郭に関して子どもに説明するのは親としては難しいでしょうな。
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さてさて、「久能山東照宮」にやって来たワタクシは、東照宮の建造物を興味深く見ていました



東照宮は徳川家康を祀った神社ですが、大阪の年配の方には「家康は嫌いや」「家康は好かん」という人が多いんです。
理由は単純明快で、大阪は豊臣秀吉によって町が大きく発展しました。ですので、秀吉を好む大阪人が多いんです。
その秀吉を裏切り、大坂の陣で豊臣家を滅ぼしたということで、家康を嫌う人が多いんですよ。
ただ、これはあくまでも年配の人のことでありまして、若い人にはそんな意識は無いと思います



これは「神廟」と言いまして、徳川家康の遺骸を埋葬した場所です。その写真の前で、こんなことを書くのもちょっと気が引けるのですが、
実はワタクシも家康ってあまり好きじゃないんです。まず、家康には「戦場で華々しく活躍する英雄」としての姿も無ければ、
秀吉のように「農民の子から天下人へ大出世した」という物語もありません



皆さんもご存知のように、まだ三河の小大名だったころは隣国の今川義元に従属していましたが、
「桶狭間の戦い」で織田信長が義元を破ると、今川を見限ってあっさりと織田と同盟を結びます。
その信長が「本能寺の変」に倒れると今度は豊臣秀吉に従いますが、秀吉が病で死去するや豊臣家をないがしろにし、
ついには「大坂の陣」で豊臣家を滅亡へと追いやります。どうも家康からは「義理」「人情」を感じないんですよ



でも、情に流されないからこそ260年も続く徳川幕府を築くことが出来たのでしょうし、
東京の発展の土台を作ったのも間違いなく徳川家康です。ですので、彼の歴史的な功績はワタクシも認めざるを得ません



一番左にある葵の御紋が逆さまになっているのがわかるでしょうか。
久能山東照宮にはいくつか逆さになった葵の御紋がある理由は、あえて完璧に造らず、さらなる発展への願いを込めたと考えられています。
そういう思慮深さが、徳川家の繁栄をもたらしたのかもしれないですね



久能山東照宮のすぐ南には駿河湾が広がります。温暖な静岡らしい光景かなと思います



たくさんの温室が見えるかと思いますが、これは久能山の特産品である「石垣いちご」の温室なんです。
生産が始まったのが1896年だと言いますから、130年の歴史があるイチゴなんですね



再びロープウェイに乗って日本平に戻ります。この後は静岡駅に向かい、大阪への帰路に着くことになりますね。
使用したカメラ:FUJIFILM X-Pro2
子どもの頃、毎日のようにテレビでは時代劇が放映されていました。当時の時代劇は時代考証などもいい加減だったと思います。
それでも、時代劇を見ているうちに歴史上の人物や事件に興味や関心を持つことが多かったです。
今は時代劇といっても、NHKの大河ドラマくらいしかありませんよね。
ただ、今回の大河ドラマの「べらぼう」は今まであまり取り上げられなかった遊郭や浮世絵師などにスポットを当てているので、
私としてはとても興味深く放送を見ています。ただ、遊郭に関して子どもに説明するのは親としては難しいでしょうな。