今日のあさイチは毒親についてでした。リアルのときは食事しながらなのでかなり流し見だったので、午後、暇になった時に+で改めて観てみました。
毒親って言葉、最近の話だとは思っていたけど、10年前の漫画発祥だったんだ。ほんとに最近なのね〜。うちの母は、身体的な暴力はなかったから、ずっと自分は虐待児ではない、そこまでじゃないんだろうなって思ってた。30の夏までは。ある日、不意に、ほんと突然、自分も虐待されてきてたんだってことがストンと胸に落ちてきた。理解してしまった。
前職でまだ物流部門にいた頃だ。通勤路に割と大きな図書館があって、毎日寄っては本を貪るように読んでいた。ADHDのことを知ったのもそこの本がきっかけだった。片づけられない女たちのヒットの前でね。なんだっけ、のびたジャイアン症候群?違うな、何だったっけ。先生に珍しい!ジャンルは何だったの?と聞かれたんだよなぁ。ん、へんてこな贈り物のほうか。何に分類されてたんだろう?あの頃、虐待サバイバーの本とか心理学系の本とかよく読んでたのよね。そのへんだと思うけど。
うんそれで。サバイバーの本を読んでいて、自分はそこまででは、と思っていたのだけど。
母は言葉の暴力を私に振るっていたんだって理解しちゃったのよね。生きづらいのは私のせいじゃなかった。理解しようとしない、その姿勢すら見せなかった母が悪かったんだって。
そして絶望した。わかりあえる日は来ないのだと。私の望みが叶う日は来ないのだと。
愛されてなかったわけではないと思うのだけど。私が欲しかった形ではなかった。生きてきた時代が違うこともあるけど。母の望むような娘でもなかったけど。いや、それは違うか。私はただありのままの私を認めてもらいたかったんだよね。今でも母は言う。なんでこんなふうに生まれちゃったのかしら?って。いやいや、そこで否定しないでよ。そういう子でもいいんだよって、私の承認欲求を満たして欲しかった。
満たされることがなかったから、私は生きづらかった。そういうこと。