随処作主立処皆真
(ずいしょにしゅとなれば、りっしょみなしんなり)
この禅語を調べてみるといろいろな表現の仕方があるけれど、共通しているのは「主体性を持つ」ということだ。
人間関係において流されることの多かった私には、大切な言葉だ。 こだわらない でも 流されない p(^^)q
昨日のボランティアに当てはめてみると、ボランティアであるという立場を自覚した上で主体性を持つ、ということになるのかな。
ボランティアに入ると毎回、体中の細胞が生き生きし出してスイッチがONになる そんな感じだ。
調べた中で好きだったのはこの表現だ。
臨済禅師は、「随処に主と作れば、立処皆な真なり」とおっしゃっております。
どこへ行っても主になって、主体性を失うな、主人公になれ。そうすればその人の行動には間違いはない。
こうはっきりと示しておられるのですが、これを、どこへ行っても自由に勝手なことをしてもよい
というお言葉と解釈するなら大変な間違いだと言わねばなりません。
「随処に主と作れ」とは、威張れということでもなければ、自由に勝手なことをせよということでもありません。
どこへ行ってもその場所を愛せよということです。愛情を持てということなのであります。
その時、その場の主体(心を置く)になりきって驕らず、明鏡止水でありたい・・・ところであります(^^ゞ ナンチャッテネ
人間関係において流されることの多かった私には、大切な言葉だ。 こだわらない でも 流されない p(^^)q
昨日のボランティアに当てはめてみると、ボランティアであるという立場を自覚した上で主体性を持つ、ということになるのかな。
ボランティアに入ると毎回、体中の細胞が生き生きし出してスイッチがONになる そんな感じだ。
調べた中で好きだったのはこの表現だ。
臨済禅師は、「随処に主と作れば、立処皆な真なり」とおっしゃっております。
どこへ行っても主になって、主体性を失うな、主人公になれ。そうすればその人の行動には間違いはない。
こうはっきりと示しておられるのですが、これを、どこへ行っても自由に勝手なことをしてもよい
というお言葉と解釈するなら大変な間違いだと言わねばなりません。
「随処に主と作れ」とは、威張れということでもなければ、自由に勝手なことをせよということでもありません。
どこへ行ってもその場所を愛せよということです。愛情を持てということなのであります。
その時、その場の主体(心を置く)になりきって驕らず、明鏡止水でありたい・・・ところであります(^^ゞ ナンチャッテネ
毎日反省 毎日感謝
この日のボランティアの思い出は・・・
♥ ご自分で痰の処理が出来た方のOKサインを見たこと
♥ 2人の方に肩甲骨の輸気をしたこと ♪ 1.2.3 ♪ 3.2.1
♥ 水分をたくさん摂取して欲しい方の気持ちを察して工夫みたら
午前も午後もエンシュアを全部飲んでくれたこと
♥ 反省もあって…すこし出しゃばり過ぎた感アリ・・・σ(^^;)
この日のボランティアの思い出は・・・
♥ ご自分で痰の処理が出来た方のOKサインを見たこと
♥ 2人の方に肩甲骨の輸気をしたこと ♪ 1.2.3 ♪ 3.2.1
♥ 水分をたくさん摂取して欲しい方の気持ちを察して工夫みたら
午前も午後もエンシュアを全部飲んでくれたこと
♥ 反省もあって…すこし出しゃばり過ぎた感アリ・・・σ(^^;)