・執着は、常に必ず執着せざるを得ない事情があってはじめてそうなる
ものであるから、それに執着しないようにという思想の矛盾を捨てて、
そのままに執着すればよい。そうすれば心は外界の刺激に応じて変化
しつつ、執着は自然になくなっていくのである。
・禅語に、「心は萬(ばん)境(きょう)に随(したが)いて転ず。転ずる処、
実に能(よ)く幽なり。流れに随いて性を認得すれば、無喜亦無憂なり」
ということがある。われわれの心は、周囲の事情の変化につれて、常に
たえず移り変わるものである。強く打てば大きく鳴り、軽く当たれば
かすかに響く、その変化の滑脱自在なことは、誠に幽玄微妙である。
・ちょうど鏡の前に物がくれば映り、去ればなくなって、影をもとどめ
ないようなものである。この心の流れのままに随っていれば、そこに
自己本来の性情を見ることができる、そのときには、喜びはそのまま
喜びであり、憂いはそのまま憂いである。ことさらに憂う必要もなけ
れば、また喜びを憂うこともできない。思想では何ともやりくりはつ
かないのである。すなわちここに苦楽の判定を超越し、気分本位をす
てて、現実そのままの事実本位となるのである。
(『神経質の本態と療法』より 森田正馬 著 白揚社)

ありのまま あるがまま…の森田療法