10年くらい前だろうか、わずか一株だった万年青が今では目を見張るほど増えている
そんな万年青が去年、初めて実をつけた。当然赤くなったのも初めてのこと(^^)ウレシイ
そんな万年青が去年、初めて実をつけた。当然赤くなったのも初めてのこと(^^)ウレシイ
「生かされて生きる」ということと、もう1つ知っていただきたいことは、「精神と心の違い」ということです。
「精神」というのは、この生かされているというところから生じる意識です。
それは肉体に備わっている自然なものです。
一方、人間だけが持っている人間意識があり、それを「心」(感情)といっています。
これは、親や社会から習い覚えたもので、自己中心的になりがちです。
「心」(感情)を主体として生きてゆくと、「精神」とは違い、公平性に欠け、全体を見渡すことができずに、
自分の利益だけしか見えなくなります。自然性がなく、かたよりがちになるのです。
「精神」が中心となり、「心」(感情)がそれに従っていればよいのですが、
「心」(感情)が中心となりますと、「精神」は働けなくなります。
自分の都合のよいように、自分が利益するようにしか、考えなくなります。
そうすると、自己中心的な人間となります。
それゆえに、争いが絶えないのです。
日常生活は、皆つながっています。
人間は生かされているがゆえに、自然ともつながっています。
そうしたつながりの中で自然に生きるには、「心」で生きるのではなく「精神」で生かされて生きてゆくようにします。
「精神」というのは、この生かされているというところから生じる意識です。
それは肉体に備わっている自然なものです。
一方、人間だけが持っている人間意識があり、それを「心」(感情)といっています。
これは、親や社会から習い覚えたもので、自己中心的になりがちです。
「心」(感情)を主体として生きてゆくと、「精神」とは違い、公平性に欠け、全体を見渡すことができずに、
自分の利益だけしか見えなくなります。自然性がなく、かたよりがちになるのです。
「精神」が中心となり、「心」(感情)がそれに従っていればよいのですが、
「心」(感情)が中心となりますと、「精神」は働けなくなります。
自分の都合のよいように、自分が利益するようにしか、考えなくなります。
そうすると、自己中心的な人間となります。
それゆえに、争いが絶えないのです。
日常生活は、皆つながっています。
人間は生かされているがゆえに、自然ともつながっています。
そうしたつながりの中で自然に生きるには、「心」で生きるのではなく「精神」で生かされて生きてゆくようにします。
「心」の後につけた(感情)は私の思い方。読み方。
十全翁の言われている「生かされて生きている」「心と精神の違い」を踏まえて「五つの柱」を実践して行こう。
睡眠の力 : 早寝早起
呼吸の力 : 深い大きな呼吸
食事の力 : よく噛む 食べ過ぎない
働きの力 : 心(感情)ではなく 肉体で働く
性の力 : 人間性の根本を養うところ 自然の目に見えない「いのちのエネルギー」を「気」といいますが、
これは、生殖器から吸収しているのです。
睡眠の力 : 早寝早起
呼吸の力 : 深い大きな呼吸
食事の力 : よく噛む 食べ過ぎない
働きの力 : 心(感情)ではなく 肉体で働く
性の力 : 人間性の根本を養うところ 自然の目に見えない「いのちのエネルギー」を「気」といいますが、
これは、生殖器から吸収しているのです。
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