日々、刻々、自分の心の声を聴く習慣がついた今、今日はふと
「悟り」ってどんな意味だろう?と思い辞書を引いてみた・・・すると
知らなかったことを知ること。 気がつくこと、感づくこと。
・・・と、あった。
思わず口元が緩んだ(^-^)私にとってとても身近な言葉が並んでいたからだ。
今まで私にとって悟りと言えば、お釈迦様の悟り、仏教で言うところの悟り…であり
[仏教] 迷妄を払い去って、生死を超えた永遠の真理を会得すること。
辞書ではこう言った表現がされ、私もそうとしか思っていなかった。
なので「…何となく、悟った気がするんだけどなぁ…」と感じつつも
「身の程知らずよね~ おこがましいな」と苦笑いしていた (^m^ゞ
なので、私は今にして気づいたのだけど σ(^^;)
菩薩行というのは
知らなかったことを知ること。 気がつくこと、感づくこと。
それを経て
迷妄を払い去って、生死を超えた永遠の真理を会得すること。
悟りに至る
・・・私たちは日々修行しているのね。
仏教学者さんがこう言っている。
「最高の悟りを得ようと願う心を起こした人は、実はみな菩薩なのです。」と。
お釈迦様の仏教や大乗仏教の好きなところ取りをして
心を磨く、鍛える修行をしていこう p(^曲^)v
夢は大きく 心は広く 想いは深く 気持ちはまあるく
ね (*^人^*)
~ 御木 幽石さんのポストカードの言葉から ~
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生きるとは何かとか 悟りとは何かって 思い詰めていて
座禅してみたり 真冬でも学生服だけで登校したりしていて
なにがなんだかよくわからなかった
いまでもよくわかんないけど
よくわかんないんだけど 自分なりに たどりついた境地っていうか思いがある
どういえばいいんだろう
生きているってそれだけで奇跡だよねっていう思い
自分では生きてるって思うけど それって生かされているんだよね~って思えること
自分 自分って叫んでも それはなにかの計らいっていうか
繋がりの中での出来事だよねっていう思いがあって
もちろん 自分は自分なんだけど そう思う自分は
自分だけではないんだという
いろんな繋がりのなかで自分という意識を獲得してきたんだということが見えてきた
もちろんどの繋がりを選ぶかはまかされてはいるけどね
現実的には 好みや快、不快があるからね
コメントを読んで、こんな言葉が浮かび上がって来たよ。
初めに、「人は関係性の中で生きている。」
次に、存在立脚。
最後に、互尊独尊。
互尊独尊の文字を見ていたら、クスッと笑いながら
ふとこの言葉が浮かびました(^m^)b
ラグビーでよく言われるの♪
「ひとりはみんなのために みんなはひとりのために」
ヾ(^。^*))((^O^)v\(^▽^)/ヾ(^。^*))((^O^)v