明治初期の朝鮮・京城の姿。
2015-05-08 13:54:41
テーマ:朝鮮人論
明治初期に朝鮮の京城へ旅をした日本政府の外交官・宮本小一外務大丞が朝鮮の状況を書き残している。
そのなかからいくつかピックアップしてみよう。
全文はURLリンクで見てください。
●朝鮮国には旅宿というものがなく、公務ある者の旅は各府衙門(官庁のこと)に泊まり、平民は旅先での適当な民家を宿としている。
●この間の道は1等の官道のようであるが、それでも道幅は2メートル前後に過ぎない。至るところが凸凹であり、車の往来が出来ない悪路である。
●汚水が路の中央に溜まり、牛馬の糞がうずたかく積もり牛骨が散乱している。
しかし誰も掃除する者がない。夏であるから一層臭気を覚える。
その他の道は、4、5メートル余り。凸凹を修繕するということがない。道路端の溝梁はない。人家が道に出っ張っているのと、引っ込んでいるのとが並んでいて、頗る不整である。
王宮は壮大である。しかし庭には青草が生い茂っている。かつて掃除をしたことがないようだ。
●途中の各官庁には風呂というものが無かったが、ここ清水館では日本人のために風呂場が新たに作ってあった。
●途中の宿には敷地の一隅に便所が設けられていたが、頗る不潔で堪え難かった。また、部屋に銅製の蓋付きの缶があり、通常はこれで用足しをするという。
普通、朝鮮人民の家には便所がないとも言う。
そのためか、いたる所で糞尿の臭気が甚だしく数万の蒼蝿が舞い、部屋にも満ちて煩わしく、耐えられない位である。雨が降る日だけ臭気が治まった。
●食事は1日2回で、たいてい10種類から17、8種に至る。
三尺四方ばかりの有脚盆にうずたかく盛り上げて、倒れ落ちるのを恐れるばかりである。
牛豚鶏魚の肉、草餅、羮汁など、みな、器、皿に堆積する。しかし臭味がひどく箸を下す者が少ない。
ただ桃李、林檎、瓜などは臭味がないので食べられる。沙果・・林檎に似て頗る大であるが美味ではない。マクワウリ、葡萄、西瓜、梨の類が多い。
水煮の卵、牛肉、豚肉、鶏肉、麺、カラスミ、乾し魚を削ったもの、或いは日本人のためにと焼き魚も出した。蜜を湯で溶いてミル(海草)と煮餅をあえたものなど。それらが、1人に対して実に10人分程もある驚くべき量であった。
炎熱の時節でもあり、その異様の臭いに堪えきれず、胃腸も慣れないこともあって食傷を恐れて箸を下す者が稀であった。
なお、庶民のものは不潔で食べるべからずと言う。
●味醂はない。砂糖も無いので蜜を代用している。
●銅の箸で食事をする。箸が重くて物をはさむのに不自由である。
●米は日本のものと似るが、粘質に乏しく日本の下等品よりも劣る。
●草木が少ないということは、それを愛玩して植える人もないということである。
●柑橘類の木はいよいよ無い。蜜柑を朝鮮では殊更に珍なるものとし、毎年冬至の祭りに日本から求めて国王自らこれを食するのが例典という。
●桜は釜山にある。対馬の人が植えたものなれば、朝鮮固有のものではない。京城近村で一本あったのを見たことがあると人の語るのを聞いた。しかし、開花の時でないから確認はできない。
●土地は痩せていないようである。丘陵は雑木ばかりであり、開墾をしたこともあるが村民が懶惰(なまけもの)だからついにそれも止めたと言う。
●石炭は、修信使がかつて我が国の汽船に乗ったときに初めてそれを見たと言う。後に帰国してから山中に石炭を見たという。しかし掘る方法を知らないと言うので、後に(理事官-宮本小一が)石炭抗を掘る方法を書記して朝鮮国に送るを約束した。
●一般民家
その家屋は石と泥をもって築立し、稲藁を葺いて屋根としている。茅は焚き火の用に使うという。窓が小さく、大人が家に入って立つことが出来ないようだ。たいていの家に「床」というものが無く、土の上に藁むしろを敷いて座す。
その狭さ不潔さといい殆ど穴居の類である。
そういう家が表裏の別なく密集し、路地には乱石が磊落して、ほとんど足をいれることが出来ない。村の中央の家に行こうとするには、どの路地をどう曲がっていけばよいのか分からないぐらいである。
寝起きするのも容易でないような家の中にはわずかに1、2の炊具を見る。
ただ、日本人の眼に入るのは、貧家に不釣合いなほど大きな黒色の磁器甕がどこの家にもあるということである。これは木の樽が無いゆえの水を溜める甕であろう。質は頗る堅牢である。
●庶民の姿
村民は、粗食に甘んじ寒寂に耐え、人間世界は斯くの如しと思うのみで、悠々として歳月を送る風がある。奔走して労働し寸陰を惜しんで急するという気性は無い。長煙管をもって煙を弄びながら余念無く日本人を見つめる姿は、山静かにして日長き殆ど太古の少年の如しである。
●一般人の服は木綿白色である。富貴の者は「紬(つむぎ)」を用いる。
庶民の場合、男女の服装がそう変わらないように見える。
(かつて黒田全権大臣は釜山草梁において一般男女の区別がついてない。)
染料はまだ無いようである。縞小紋の類はない。赤、紫、橙、黄など、人の目を悦ばす色もない。
婦人などで色のある服も見るが支那か日本から輸入したものである。
近来、日本から外国の染料を輸入しているから、漸次これを用いるようになるだろう。
●炎天陽光を遮る傘の類がない。ゆえにいかなる炎天であっても帽子なき者は天日を避ける術が無い。
雨傘は粗末なものがある。あるいは頭だけを覆う油紙の扇のようなものがある。雨が上がれば畳んで懐中に入れる。
●虎は、北部咸鏡道あたりで多く獲れるという。落し穴を作って捕獲するという。
皮は貢税の代わりとなるようで検印がある。官員の給料に当てることもある。
●いいかげんなのは国風
時間を守ることをしないのは朝鮮の国風である。そのことを気にする者はいない。公務などにおいても同様である。
対談をしていても詐偽をもって答えたり、去ることを言わないまま帰ったりする。甚だしいのになると、話の途中で立ってどこかに行ってそのまま戻って来ない。
皆これらは朝鮮の風習である。
★編纂解説者の宮本氏の文書を読んでの感想★
・「官妓の舞」・・・朝鮮の舞楽は、唐から伝わったものを古風を失わざるをもって誇るとあるから、独創のものではないらしい。
・やはり朝鮮には病院はなかったようである。釜山草梁公館に開設された日本のものが最初であるようだ。しかし、韓国の歴史関連の書物にはその記述があることは聞かない。
□結論□
この朝鮮の実態を書き残した宮本小一外交官は、最後にこう記している。
「帰国する頃には、京城に行った者は半数が病人である。重症の下痢の者が多い。中の一人(金子鉄蔵)が医官の治療の甲斐なく死亡した。
(高熱を発して吐瀉を繰り返し心停止に至る。病状については「宮本大丞朝鮮理事始末 十/4 慶応4年3月から明治9年9月p23」に詳しい。
赤痢の症状に似る。氷水の飲食が原因とも考えられる。また、奥 義制書記官が重体となり、帰国後長崎の病院に入院して一命をとりとめている。)
この病は一種の風土病でかつて台湾で流行したものと同じ種類であろう。また朝鮮は悪性の熱病も多いという。
浅間艦に居た者も下痢や脚気になった者が多い。
今後、朝鮮国に人を派遣する場合は、予防法に注意すべきを要す。」
つまり朝鮮に滞在した間に半数が病気になり一人は死んだと。
これほどの不衛生でひどいのが明治初期の朝鮮だった。
しかし極貧ながら日本の外交使節団には食いきれないほどの食事を出して精一杯歓迎している。
庶民は貧しく慢性飢餓状態でもそれを運命として捉えあくせくしないで人生を達観しているような雰囲気でもある。
編纂解説者も最後にこう感想を述べている。
ところで、この時の宮本たちは気づいていないが、後には花房公使たちが朝鮮国の慢性的な飢餓状態に気付き、それにより接待を止めるように進言し、次の竹添公使に至っては大臣たちの邸宅を訪れても酒食のもてなしを受けるのが心苦しくて気の毒でたまらない、という感想を述べている。
文化風習の違いと国力の差があるのは、どうにもならないことであるが、だからといって茶道の例に見るように伝統を再現するならともかく「過去の栄光」を創作するのはどうかと思う。
当時の朝鮮国が貧しいながらも精一杯真心を現そうとしていたことに比して、今の「朝鮮国」は何か病的なものを感じざるを得ない。
日本はこんな朝鮮を併合し清潔で豊かな国にしてしまった。
その結果、感謝するどころか病的なまでに日本を憎悪する国民になってしまった。
その原因はいったいなんなのだろう。
自分たちは何一つ努力もしないで「棚ぼた」のように立派な国になってしまった。日本が何もかもしてくれた。ほんとは自分たちでもこんな風にできたのに日本が勝手にやってし まった。
日本にバカにされたのが悔しい。
頼みもしないのに日本人の金まで惜しみなく使ってなんでこんな立派な国にしてくれたのだ。
この世にそんな神のような国や人種がいるはずがない。
きっと朝鮮から何かを盗むために悪意でこういうことをしたにちがいない。そんな逆恨みでもしているのだろうか。
世界にも類をみない日本人の恵みを、空前絶後の残虐な収奪と言い換える朝鮮人。こういう神のような恩恵はこの世に存在してはいけないものだと必死で否定している朝鮮人。
それは決して自分たちはこういう心を持つことができない、自分たちにできないことを悪鬼である日本人が行ったことを絶対に認めてはいけない。
なぜならあまりにも自分たちの卑小さが惨めになるから・・・・。
世界最低の極貧国家が日本人の恩恵で天国のような国になった。今自分たちは、その恩恵により先進国らしい国になり幸福になれた。
そんなことを恥ずかしくて認めることはできない。
こういう心理なのかもしれない。
われわれはもっと素晴らしい国をつくることができた。だが日本の植民地支配によりその機会は永久に失われた。それが残念でならない。今後も日本の悪行を永久に追求して謝罪と賠償させるニダ。
あまりにも考えが歪んでいる。
朝鮮人の頭脳は腸捻転を起こしているのではあるまいか。
衣食足りて礼節を知るのが人間なのだが朝鮮人は衣食足りて我利我利亡者に化してしまっている。
まさに病的である。
日本人が学ぶべきは朝鮮人と永久に関わってはいけないということである。
http://f48.aaacafe.ne.jp/~adsawada/siryou/060/resi020.html
明治開化期の日本と朝鮮
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