韓国の若者たちが「ヘル朝鮮」と嘆く激烈すぎる格差社会はなぜ生まれたのか
韓国を支配する“空気”の研究――格差社会編
牧野 愛博
2020/01/24
話題の映画「パラサイト」のテーマにもなっている韓国の“格差社会”。
若者が「ヘル朝鮮」と口にしてしまうのはなぜなのか。その過酷な実態を『韓国を支配する「空気」の研究』より紹介します。
なぜ若者たちは「曹国スキャンダル」に激怒したのか
2019年夏、またもや韓国の人々を憤激させる事件が起きた。
事件の主人公は、文在寅の最側近で法相に任命される直前の曹国だった。
曹国の娘が韓国の名門、高麗大に入学する際に不正行為があったという指摘が出たためだ。
日本でもワイドショーが大騒ぎし、「むいてもむいても、疑惑が出てくるタマネギ男」などと揶揄したが、韓国人が一番怒ったのは、間違いなく、この長女の入学不正疑惑だった。
高麗大ではスキャンダルが出た2019年8月から、毎週末に大学内で「ロウソクの灯集会」が開かれた。
100人前後が毎回集まり、「彼女には学生生活を楽しむ資格はなかった」「公正ではない入学を許すな」などと怒りの声を上げた。
韓国人が最も怒る不正は“入学”と“徴兵”
韓国人が最も怒る不正は入学と徴兵を巡る問題だと、韓国の知人たちは口をそろえる。
誰もが良い大学に入りたい、誰もが徴兵から逃れたいと思うなか、ズルをする人間は許せない。
特に、曹国の娘の場合、入った大学が、「韓国の早稲田」とか、「SKY(ソウル大、高麗大、延世大の略称。
3校が最難関とされる)の一角」と呼ばれる高麗大だけに、若い人たちの怒りはすさまじかった。
「だって、世の中の親はみんな、子どもをSKYに入れようとするんですよ。
不正を働いたのが事実なら、その人の代わりに落ちた人がいたわけでしょ。みな、自分のことみたいに怒っていますよ」
高麗大OBの40代の知人はこう言った。知人が高麗大に合格したのは二十数年前。
まだ、インターネットが十分発達していない時期だった。
地方在住のため、合格発表の日に大学の入試課に電話して尋ねたところ、「入学式に来てくださいね」と告げられた。
知人の横で耳をくっつけるようにして聞いていた両親はその瞬間飛び上がり、泣いて喜んだという。
それぐらい過酷な受験戦争だった。
学院通いで夜10時くらいまで自宅に帰ってこられない小学生
韓国では、みんな幼児のころから学院に通い、小学生ともなれば夜10時くらいまで自宅に帰ってこない子などざらにいる。
ちょっと有名な学院になると、学校の授業の2~3年先の内容を教えていると言われる。
だから、学校の授業時間中、夕刻から深夜の勉強に疲れ果てて寝入ってしまう児童生徒もいるという。
中3や高3の子どもを持つ親は
「今年は長期休暇はなし。子どもに申し訳ないから。休んでも、ひたすら子どもの邪魔にならないようにして過ごすよ」とぼやく。
もっとも、そんな親はダメな方で、大多数の親は子どもの状態に常に気を配り、夜食を用意することはもちろん、「子どもが寝るまで、自分も起きている」という人も多いと聞く。
児童生徒の勉強漬けを懸念する声はいつも上がるが、自分の子どもを持つ親は「うちの子だけが振り落とされたらどうしよう」と考えるから、どうしようもできない。
私がソウルに住んでいた頃、話題になった問題の1つに英語教育がある。
韓国教育部は2018年1月16日、廃止を目指した公立幼稚園での英語課外授業の扱いを当面保留すると発表した。
背景には、英語教育の過熱があった。
教育部は行きすぎに待ったをかけようとしたが、保護者から「金持ちばかりが有利になる」と猛反発を食らって方針を変更した。
裕福な家庭の子は毎月、5万~10万円を出して英語の個人レッスン
韓国の街を歩いていて感じたのは、英語熱の高さだ。
街の至るところに、「英語学院」の看板が立ち並び、街路灯にはよく「英語教えます」といった手製の売り込みチラシが貼ってある。
韓国では、2歳ごろから英語教育を始める家庭もあるという。
確かに、若い人たちを中心に英語は非常にうまい。
昔、知り合いから「日本人の英語は、植民地パルム(発音)と呼ばれている」と聞かされたこともある。
文法中心の教育を受けているから、発音がたどたどしいという意味だった。
ただ、我も我もと英語を習おうとすると、どうしてもそこには所得格差の影が忍び寄る。
知り合いの大学生に聞いてみると、中学生ぐらいで裕福な家庭の子は毎月、5万~10万円を出してもらって英語の個人レッスンを受ける。
まあまあ余裕のある家庭は2万~3万円ぐらいで英語の塾に行く。それもままならない家庭は、1万円程度で英語の添削教育を受けるという。
だから、こうした格差を埋めたいという父母の要望を受け、公立幼稚園でも毎日約1~2時間、正規の授業とは別に外部の講師を招く課外授業を行っている。
教育部は幼少時の英語教育の過熱を心配し、公立幼稚園での課外授業の廃止をもくろんだが、逆に保護者の猛反発を食らう結果を招いた。
大統領府ホームページの「国民請願コーナー」には「教育の自由もない共産国家だ」「公教育だけ制限してどうする」といった非難の書き込みが相次いだ。
「ヘル(Hell=地獄)朝鮮」韓国社会に絶望する若者たち
大学生たちに言わせると、就職活動の現場では、企業が求めるTOEICの最低スコアが700点なのだという。
知人の大学生は「良い会社に入りたかったら900点ぐらい取らなければだめです」と言う。
韓国は「ヘル(Hell=地獄)朝鮮」とか「金のさじ、泥のさじ(親が金持ちか、そうでないかで子どもの将来に大きな影響を与えるという意味)」などと言われるように、激烈な競争社会、格差社会。
若い人たちは韓国社会に絶望し、海外移住や外資系会社への就職を夢見る。
韓国の会社も「他の企業に優秀な人材を取られてはならない」と考え、自分の会社がいかに国際的に開かれた会社なのかをアピールする。
だから、必要もないのに、入社時に高い英語力を求めてしまう傾向があるという。
とても素晴らしい英語力を苦しんだ末に身につけても、就職先の会社で英語を使う機会に恵まれない人も多い。
SKYに入ったら入ったで、ひたすら子どもに尽くす父母
さて、高麗大OBの知人の場合、
高校生時代はたまたま学院通いが規制されていたため、生徒たちは朝7時に登校、授業を間にはさみ、深夜23時までひたすら教室内で自由学習に励んだという。
どの子もみな、弁当を3つ持ってきていた。
平均の睡眠時間は4時間あれば良い方だった。
知人は「親も大変でしたよ。弁当つくったり、深夜に学校に子どもを迎えに行ったりで、ほとんど休めなかったんじゃないかな」と言う。
SKYに入ったら入ったで、父母はひたすら子どもに尽くす。
知人の場合、高麗大そばの立派なアパート(マンション)に住む学生を何人も見た。
高麗大は地方出身者が多いため、ハスク(下宿)生も多いが、「苦労しないで、ひたすら勉強に励みなさい」と、子どもに尽くす親も多い。
大学そばのアパートは1990年代当時、チョンセと呼ばれる、家賃を払う代わりに最初に一定額の保証金を納めて、家主がそれを運用して利ざやを稼ぎ、契約終了時に全額を返還するというシステムを取っているところが多かった。
知人は「大体、その金額が安くても2億ウォンでしたね。地方の親のアパートのチョンセよりも高いところもあったようですよ」と語る。
「親にしてみれば、それで頑張って、良い職に就いてくれたら、もう万々歳なわけですよ。投資感覚ですね」
◆◆◆
朝日新聞前ソウル支局長として韓国社会を取材してきた牧野愛博氏による新著『韓国を支配する「空気」の研究』(文春新書)が好評発売中です。対日関係から若者の格差、女性の社会進出など、様々な角度から韓国の「空気」を読み解いています。
韓国を支配する“空気”の研究――格差社会編
牧野 愛博
2020/01/24
話題の映画「パラサイト」のテーマにもなっている韓国の“格差社会”。
若者が「ヘル朝鮮」と口にしてしまうのはなぜなのか。その過酷な実態を『韓国を支配する「空気」の研究』より紹介します。
なぜ若者たちは「曹国スキャンダル」に激怒したのか
2019年夏、またもや韓国の人々を憤激させる事件が起きた。
事件の主人公は、文在寅の最側近で法相に任命される直前の曹国だった。
曹国の娘が韓国の名門、高麗大に入学する際に不正行為があったという指摘が出たためだ。
日本でもワイドショーが大騒ぎし、「むいてもむいても、疑惑が出てくるタマネギ男」などと揶揄したが、韓国人が一番怒ったのは、間違いなく、この長女の入学不正疑惑だった。
高麗大ではスキャンダルが出た2019年8月から、毎週末に大学内で「ロウソクの灯集会」が開かれた。
100人前後が毎回集まり、「彼女には学生生活を楽しむ資格はなかった」「公正ではない入学を許すな」などと怒りの声を上げた。
韓国人が最も怒る不正は“入学”と“徴兵”
韓国人が最も怒る不正は入学と徴兵を巡る問題だと、韓国の知人たちは口をそろえる。
誰もが良い大学に入りたい、誰もが徴兵から逃れたいと思うなか、ズルをする人間は許せない。
特に、曹国の娘の場合、入った大学が、「韓国の早稲田」とか、「SKY(ソウル大、高麗大、延世大の略称。
3校が最難関とされる)の一角」と呼ばれる高麗大だけに、若い人たちの怒りはすさまじかった。
「だって、世の中の親はみんな、子どもをSKYに入れようとするんですよ。
不正を働いたのが事実なら、その人の代わりに落ちた人がいたわけでしょ。みな、自分のことみたいに怒っていますよ」
高麗大OBの40代の知人はこう言った。知人が高麗大に合格したのは二十数年前。
まだ、インターネットが十分発達していない時期だった。
地方在住のため、合格発表の日に大学の入試課に電話して尋ねたところ、「入学式に来てくださいね」と告げられた。
知人の横で耳をくっつけるようにして聞いていた両親はその瞬間飛び上がり、泣いて喜んだという。
それぐらい過酷な受験戦争だった。
学院通いで夜10時くらいまで自宅に帰ってこられない小学生
韓国では、みんな幼児のころから学院に通い、小学生ともなれば夜10時くらいまで自宅に帰ってこない子などざらにいる。
ちょっと有名な学院になると、学校の授業の2~3年先の内容を教えていると言われる。
だから、学校の授業時間中、夕刻から深夜の勉強に疲れ果てて寝入ってしまう児童生徒もいるという。
中3や高3の子どもを持つ親は
「今年は長期休暇はなし。子どもに申し訳ないから。休んでも、ひたすら子どもの邪魔にならないようにして過ごすよ」とぼやく。
もっとも、そんな親はダメな方で、大多数の親は子どもの状態に常に気を配り、夜食を用意することはもちろん、「子どもが寝るまで、自分も起きている」という人も多いと聞く。
児童生徒の勉強漬けを懸念する声はいつも上がるが、自分の子どもを持つ親は「うちの子だけが振り落とされたらどうしよう」と考えるから、どうしようもできない。
私がソウルに住んでいた頃、話題になった問題の1つに英語教育がある。
韓国教育部は2018年1月16日、廃止を目指した公立幼稚園での英語課外授業の扱いを当面保留すると発表した。
背景には、英語教育の過熱があった。
教育部は行きすぎに待ったをかけようとしたが、保護者から「金持ちばかりが有利になる」と猛反発を食らって方針を変更した。
裕福な家庭の子は毎月、5万~10万円を出して英語の個人レッスン
韓国の街を歩いていて感じたのは、英語熱の高さだ。
街の至るところに、「英語学院」の看板が立ち並び、街路灯にはよく「英語教えます」といった手製の売り込みチラシが貼ってある。
韓国では、2歳ごろから英語教育を始める家庭もあるという。
確かに、若い人たちを中心に英語は非常にうまい。
昔、知り合いから「日本人の英語は、植民地パルム(発音)と呼ばれている」と聞かされたこともある。
文法中心の教育を受けているから、発音がたどたどしいという意味だった。
ただ、我も我もと英語を習おうとすると、どうしてもそこには所得格差の影が忍び寄る。
知り合いの大学生に聞いてみると、中学生ぐらいで裕福な家庭の子は毎月、5万~10万円を出してもらって英語の個人レッスンを受ける。
まあまあ余裕のある家庭は2万~3万円ぐらいで英語の塾に行く。それもままならない家庭は、1万円程度で英語の添削教育を受けるという。
だから、こうした格差を埋めたいという父母の要望を受け、公立幼稚園でも毎日約1~2時間、正規の授業とは別に外部の講師を招く課外授業を行っている。
教育部は幼少時の英語教育の過熱を心配し、公立幼稚園での課外授業の廃止をもくろんだが、逆に保護者の猛反発を食らう結果を招いた。
大統領府ホームページの「国民請願コーナー」には「教育の自由もない共産国家だ」「公教育だけ制限してどうする」といった非難の書き込みが相次いだ。
「ヘル(Hell=地獄)朝鮮」韓国社会に絶望する若者たち
大学生たちに言わせると、就職活動の現場では、企業が求めるTOEICの最低スコアが700点なのだという。
知人の大学生は「良い会社に入りたかったら900点ぐらい取らなければだめです」と言う。
韓国は「ヘル(Hell=地獄)朝鮮」とか「金のさじ、泥のさじ(親が金持ちか、そうでないかで子どもの将来に大きな影響を与えるという意味)」などと言われるように、激烈な競争社会、格差社会。
若い人たちは韓国社会に絶望し、海外移住や外資系会社への就職を夢見る。
韓国の会社も「他の企業に優秀な人材を取られてはならない」と考え、自分の会社がいかに国際的に開かれた会社なのかをアピールする。
だから、必要もないのに、入社時に高い英語力を求めてしまう傾向があるという。
とても素晴らしい英語力を苦しんだ末に身につけても、就職先の会社で英語を使う機会に恵まれない人も多い。
SKYに入ったら入ったで、ひたすら子どもに尽くす父母
さて、高麗大OBの知人の場合、
高校生時代はたまたま学院通いが規制されていたため、生徒たちは朝7時に登校、授業を間にはさみ、深夜23時までひたすら教室内で自由学習に励んだという。
どの子もみな、弁当を3つ持ってきていた。
平均の睡眠時間は4時間あれば良い方だった。
知人は「親も大変でしたよ。弁当つくったり、深夜に学校に子どもを迎えに行ったりで、ほとんど休めなかったんじゃないかな」と言う。
SKYに入ったら入ったで、父母はひたすら子どもに尽くす。
知人の場合、高麗大そばの立派なアパート(マンション)に住む学生を何人も見た。
高麗大は地方出身者が多いため、ハスク(下宿)生も多いが、「苦労しないで、ひたすら勉強に励みなさい」と、子どもに尽くす親も多い。
大学そばのアパートは1990年代当時、チョンセと呼ばれる、家賃を払う代わりに最初に一定額の保証金を納めて、家主がそれを運用して利ざやを稼ぎ、契約終了時に全額を返還するというシステムを取っているところが多かった。
知人は「大体、その金額が安くても2億ウォンでしたね。地方の親のアパートのチョンセよりも高いところもあったようですよ」と語る。
「親にしてみれば、それで頑張って、良い職に就いてくれたら、もう万々歳なわけですよ。投資感覚ですね」
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朝日新聞前ソウル支局長として韓国社会を取材してきた牧野愛博氏による新著『韓国を支配する「空気」の研究』(文春新書)が好評発売中です。対日関係から若者の格差、女性の社会進出など、様々な角度から韓国の「空気」を読み解いています。