また、過ちを認めた。朝鮮中央通信が6月16日に伝えた朝鮮労働党中央委員会総会のことだ。金正恩党総書記が出席し、「人民の食糧状況が緊張している」と語った。正恩氏は、権力継承後間もない2012年4月の演説で「二度と人民のベルトを締め上げない(飢えさせない)」と豪語した。16日の発言は自分が無能だったと認めたに等しい。

 確かに、韓国の情報機関、国家情報院は今年2月に韓国国会で行ったブリーフィングで、北朝鮮で今年、食糧が約100万トン不足すると報告した。ざっとみて、北朝鮮の人々が食べる2カ月分の食糧が不足する計算だ。北朝鮮では最近、コメ1キロの価格が従来の約5千ウォンから7千ウォン以上に値上がりしているという。

責任を認めても辞任する気はない正恩氏

 それにしても、北朝鮮の最高指導者像は大きく変わった。本来、最高指導者は神であり、過ちがあってはならない存在だった。正恩氏の場合、自らの過ちを認めるケースがやたらに目立つ。2017年の新年の辞では「能力が思いについていかず、自責の念にかられる」と反省した。昨年10月10日の軍事パレードでは、涙を流す場面を放映させた。同じ月には台風の被災地で「深く自責しなければならない」と語った。

北朝鮮の金正恩総書記(朝鮮中央通信より)© 文春オンライン 北朝鮮の金正恩総書記(朝鮮中央通信より)

 なぜ、こんなスタイルを取るのか。どこかの日本の首相だった人のように、責任を認めたからといって辞任する気はないようだ。北朝鮮当局は、市民を対象にした講演会などで「最高指導者に心配をかけさせてはいけない」と宣伝している。「正直に失敗を認めた方が、逆に市民に信頼される」という計算が働いているのだろう。脱北者の1人も、食糧危機を認めた16日の正恩氏の発言について「市民たちは携帯電話で、どこの市場に行けば一番安く食糧が手に入るのか、常に情報交換している。食糧不足を隠し通せないと考えたのだろう」と語る。

 ただ、理由はそれだけではない。金正恩氏は、過ちを犯すことを認められた指導者なのだ。正恩氏は、祖父の金日成主席のような絶対的な独裁者ではなく、エリート高位層と共生関係にある名目上の独裁者に過ぎない。現人神ではないから、間違っても仕方がないし、むしろその方が市民の支持を得られるという計算が背後に潜んでいる。

 これが、私が6月18日に出版した『 金正恩と金与正 』(文春新書)で導き出した結論だ。

得られなかった尊敬と服従

 金日成主席は大日本帝国から祖国を解放した英雄という金看板があり、ソ連や旧東欧圏による経済支援もあった。抗日パルチザン闘争時代の戦友もたくさんいた。父、金正日総書記にはカリスマが不足していたが、生まれた時からそばにいた金日成の戦友たちと強固な信頼関係を作った。

 金正恩氏には何もない。絶対的独裁者ではないから、簡単に自分の過ちを認め、謝罪する。今年1月の党大会では、党規約が改正され、「総書記の代理人」と明記した第1書記のポストを新設した。独裁者なら、自らを脅かすナンバー2の存在を認めるわけがない。わずか6カ月の間に3回も党中央委員会総会を開くのは、金正恩氏1人に任せておくことに不安を覚えたエリート層が、統治システムを強化しようとした結果だろう。

 金正恩氏が後継者に指名されたのは、一番早い時期を唱える人でも2008年末。金正日総書記が同年8月に脳卒中で倒れ、秋に公務に復帰してから間もない時期だった。それから、父の死で権力を継承したのが11年末。わずか3年間しかなかった。2度にわたってドイツ大使として北朝鮮に赴任したトマス・シェーファー氏は「金正恩は、(権力の継承によって)自動的にエリートからの尊敬と服従を得ることができなかった」と分析する。

強硬派と話派との間で起きた対立

 シェーファー氏はエリートたちの間で権力闘争があったと語る。軍や秘密警察などを中心にした強硬派と、外務省や党統一戦線部らの対話派との間で対立があったという。ただ、北朝鮮では人物によって組織の性格が一変することがある。例えば、2014年秋に訪韓したほか、日朝外交でも活躍した金養建氏が率いた党統一戦線部は当時、外務省とともに外交を担う有力な機関だった。ところが、2015年末に金養建氏が「自動車事故」で死亡すると、統一戦線部も様変わりする。後釜に座ったのは、軍偵察総局長だった金英哲氏だ。

 米政府の元当局者によると、2018年から2019年にかけての米朝首脳会談で、金英哲氏と崔善姫外務次官が、代表的な会談の壊し屋だった。金英哲氏は米政府当局者らとの会談で、口汚い言葉で米国をののしり、通訳が思わず英語にすることをためらうほどだった。崔善姫氏は実務協議で非核化をほとんど認めない姿勢を貫いた。2019年2月のハノイでの米朝首脳会談が決裂した後、米政府関係者らは「崔は責任を取らされて粛清されるのではないか」と噂し合ったほどだ。

 その後、若干のポストの変更はあったが、金英哲氏も崔善姫氏も政治的に健在だ。それは、金正恩氏がエリート高位層と共生関係にあるからだ。崔善姫氏も金英哲氏も所属機関とは関係なく、現在のエリートとしての地位と生活の保全を唯一の目的とする「赤い貴族」たちだ。下手に米国と関係を改善し、開国を迫られるような事態は望んでいない。彼らは、金日成主席の戦友である抗日パルチザンの子孫であり、それが自らの権力を正当化する唯一の手段になっている。

君臨すれど統治せず

 そして、彼らは権力を正当化する手段として、金主席の血を引く「白頭山血統」と呼ばれる金正恩氏を必要としている。逆に、政権を運営する知識も人脈もない金正恩氏にも、彼らが必要だ。シェーファー氏が語った権力闘争とは、「軍事か対話か」といった政策方針を巡るものというよりも、単純な利権をめぐる争いだったのではないか。そして、最高指導者を担ぐことに成功した勢力が勝利したということだろう。

 12月に金正恩氏は権力継承10周年を迎える。この10年、金正恩氏が国民に誇れる成果は何もない。いくら過ちを認めるといっても、限度がある。このままいけば、正恩氏はどんどん祭り上げられ、名実ともに「君臨すれど統治せず」という存在になっていくしかないだろう。

正恩氏の健康不安も

 そして、正恩氏を巡るもうひとつの不安が健康だ。正恩氏は昨年4月、一時的に姿を消した。すぐに活動を再開したが、当時、朝鮮労働党内で取り交わされる書類に最高指導者の決裁が降りないという事態も発生していた。複数の関係者は「正恩氏の健康に何らかの異常が発生した可能性が高い」と分析していた。

 そして、北朝鮮は昨年8月、今年1月に党大会を開くと予告した。通常、予告期間は6カ月と決められている。慌てて党大会を開いた理由について、妹の金与正氏を補佐役として昇進させる必要があったのではないかとみられたが、与正氏は党大会で党政治局員候補から党中央委員に降格されてしまった。

 だが、最近になり、上述したように、党大会で第1書記のポストを新設した事実が明らかになった。第1書記のポスト新設は、金正恩氏の身に何かあったときのための緊急避難的な措置を講じておいたという意味も持っているのだろう。そして、最近になって正恩氏の体重減が囁かれている。2010年当時に80キロだった体重は昨年段階で140キロにまで増えたが、最近になって10キロ以上やせたとみられる。これは、「第1書記」のポストを新設した際に想定した「事態」がいよいよカウントダウンを始めたという意味なのかもしれない。

 金与正氏の第1書記就任の発表もなく、党中央委総会は18日に閉会した。朝鮮中央通信が伝えた総会の結果は、精神主義に彩られた従来と代り映えしない内容だった。金正恩氏と金与正氏を待ち受ける未来は決して明るくない。

(牧野 愛博)