日本と世界

世界の中の日本

空と風と星の詩人〜尹東柱の生涯〜

2021-07-23 18:25:14 | 日記

 

空と風と星の詩人〜尹東柱の生涯〜

ストーリー

1917年北間島(ぷっかんど)の同じ家で生まれ育った、いとこ同士の尹東柱(ゆんどんじゅ)と宋夢奎(そんもんぎゅ)は中学を卒業すると共にソウルの延禧専門学校へ進学する。

尹東柱は医者になってほしい父を説得して選んだ文学部への入学だった。

二人は同級生姜処重(かんちょじゅん)やイ・ヨジンらと共に、夢奎の散文や東柱の詩を載せた同人誌を編集発行する。

東柱はヨジンの紹介により、長年憧れていた鄭芝溶詩人に出会い、詩人になる夢をさらに膨らませる。

1941年延禧専門学校を卒業した尹東柱は、日本への留学からやむなく創氏改名に応じ、一家は「平沼」姓となり、夢奎も「宋村」と創氏する。

二人は揃って日本へ渡り、夢奎は京都帝京大学へ、東柱は東京の立教大学に入学するが、戦時体制の気風が厳しくなり後に京都の同志社大学に転学する。

翌年、独立運動を主導した嫌疑により宋夢奎は逮捕され、帰郷しようとしていた尹東柱も捕らわれてしまう。

解説

尹東柱は韓国の国民的詩人で日本でも多くのファンを魅了する詩人であるにも関わらず今まで映像化されることがなかった。

彼の作品がどんな時代に生まれ、どのような環境や人物に影響され残されたのか、映像作品として残したいと考えていた、イ・ジュニク監督はシン・ヨンシクに脚本を持ちかけ、尹東柱の71回忌に企画、初めて映像化された。

全編モノクロの劇中には「新しい道」「星を数える夜」「懺悔録」など尹東柱の人生の節目ごとに書かれた作品が重なる。


尹 東柱 日本の刑務所で27歳の若さで獄死

2021-07-23 18:05:12 | 日記

 

尹東柱
Yun Dong-ju.jpg
各種表記
ハングル 윤동주
漢字 尹東柱
発音: ユンドンジュ
ラテン文字表記: Yun Dongju
テンプレートを表示

尹 東柱(ユン・ドンジュ、윤동주Yun Dong-ju1917年12月30日[1] - 1945年2月16日)は、中華民国時代の満州間島出身の朝鮮民族詩人である。日本統治時代朝鮮語で多数のを創作したが、日本刑務所で27歳の若さで獄死。死後に『空と風と星と詩』などの作品が知られるようになった。一部の資料によると、存命時は日本籍であったとされる[2]

<input id="toctogglecheckbox" class="toctogglecheckbox" role="button" type="checkbox" />

目次

<label class="toctogglelabel" for="toctogglecheckbox"></label>

概要[編集]

 
中学時代の友人と撮った写真。後列右が尹東柱、中央がクリスチャンで民主化運動指導者の文益煥朝鮮語版牧師。

1917年12月30日、満洲の北間島地域である中華民国吉林省延吉県明東村(現・中華人民共和国吉林省延辺朝鮮族自治州龍井市明東村)にて尹永錫・金龍の長男として生まれた[3]。父方の曽祖父は咸鏡道鍾城郡(現在の北朝鮮咸鏡北道清津府から間島に移住した朝鮮人移民[4]。1900年、祖父の尹夏鉉が明東村に移り住み、一家は1910年頃にキリスト教に入信していた。尹夏鉉は開拓によって小地主となり、地域のキリスト教会の長老であった。また、東柱が生まれた当時、父は明東学校の教員であった。幼名は海煥(해환)で、のちにこの名をとした。

1932年3月に満州国が建国され、龍井を含めた満州地域全土が日本統治下となった。同年4月に龍井にあるキリスト教系学校・恩真中学に入学、一家も龍井に移住した。1935年に同様に日本統治にあった朝鮮半島の平壌のプロテスタント系学校・崇実中学校に編入学するが、崇実中学は神社参拝問題のために1936年に当局によって廃校とされた。東柱は満州国龍井に帰り、日本人経営の光明学園中学部に編入。1936年頃より、延吉で発行されていた雑誌『カトリック少年』に、「尹童柱」「尹童舟」などの名義で童詩を発表し始める。

1938年、日本人経営の光明学園中等部を卒業した。その後、京城ソウル)の延禧専門学校(現・延世大学校)文科に入学し、在学中に朝鮮語を担当していた崔鉉培から朝鮮語を学んでいる。1940年に卒業後の日本本土の大学進学のため渡航しやすくするため創氏改名に申請し、「平沼東柱」とした[5] 。この間、朝鮮日報や雑誌『少年』に詩を投稿している。1941年12月、延禧専門学校を卒業。学校卒業時に、代表作となる「序詩」を含む自選詩集『空と風と星と詩』の出版を計画するが、恩師とも相談の上、時局柄出版は難しいとの判断から出版を断念、自薦詩集として3部を制作。1部は恩師にもう1部は友人のチョン・ピョンオクに託す。

一旦帰郷した東柱は、父に日本で医学部に留学を勧められたが、自身は文学部への進学を希望していたため進学先について揉める。最終的に父の医学部進学希望を拒否し、東柱は1942年に日本に渡り、4月に自身の望みだった立教大学文学部英文科選科に入学する。同年9月、京都に移り、10月同志社大学文学部英文学科選科に入学する。

太平洋戦争の真っただ中だった時代で戦争以前から現在の高等学校レベル以上の高等教育を受けられるのは日本籍でも珍しく、第2次世界大戦時で日本の若者たちは徴用や戦場へ徴兵されたりしている状況だった。現在の韓国において、日本統治時代には朝鮮人がハングルの使用を禁止されていたと信じられているが、趙甲濟によれば、東柱はチェヒョンベ教授の朝鮮語の講義を受けるなど同志社大学の自由な学風を堪能し、宋夢奎ら友人たちとかなり安定した留学生活を送ることができたという記述があったことを述べている[6]

1943年7月14日、以前から朝鮮独立運動をしていた従兄の宋夢奎と日本の朝鮮での政策を非難したり、他の留学していた朝鮮人らに対して朝鮮独立を訴えたり、民族運動の煽動したとして治安維持法違反容疑で逮捕された[7]。1944年2月22日、尹東柱と宋夢奎は起訴され、3月31日に京都地方裁判所で日本国家が禁止する思想を宣伝・扇動したことに対する懲役1年以上10年以下の法定刑に対し、懲役2年の実刑判決を言い渡される。2人は福岡刑務所に収監された。その一年後の1945年2月16日、福岡刑務所で原因不明の死因により獄死した(満27歳没)[8]

死後の紹介・評価と顕彰[編集]

韓国において[編集]

 
詩人尹東柱之墓

1947年2月13日に、ソウルの京郷新聞に「たやすく書かれた詩」が紹介される。尹東柱との面識はなかったものの同志社の先輩として鄭芝溶が紹介文を書いた。[9]同じ年、ソウルに移住していた弟の尹一柱や友人たちによる追悼会が開かれた。1948年に詩や散文を集めた『空と風と星と詩』(原題《하늘과 바람과 별과 시》、日本語訳題には『天と風と星と詩』もある)がソウルで正音社から刊行され、抒情詩人・民族詩人・抵抗詩人として知られるようになった。1968年には母校延世大学校において、尹東柱が暮らした寄宿舎の前に「尹東柱詩碑」が建立された。

戦後に韓国で詩作が紹介されたことで韓国の民族主義教育に取り入れられ、代表的な「民族詩人」として知られるようになった。2012年頃の大韓民国のアンケートより、95%以上の20代が尹東柱を知っていた[10]

中国において[編集]

 
龍井市にある生家

韓国と延辺(中国)との交流が盛んになる1980年代まで、尹東柱の故郷であり多くの朝鮮族が暮らす延辺でも、その存在は知られていなかった。1985年に尹東柱の墓の場所を40年ぶりに確認した大村益夫早稲田大学教授は、「尹東柱という詩人についても、延辺の文学者たちはまったくその存在を知らず、その作品も知らなかった。東柱の親戚たちも数多く延辺に生活しているが、東柱が韓国で国民的詩人として人々の尊敬を受けているとは夢想だにしなかったようだ」(大村益夫「尹東柱の事跡について」『朝鮮学報』)と記している。

現在は、中国国内の少数民族である朝鮮族出身の愛国詩人との評価を受けて、龍井市にある生家が復元されるなどしている[11]。2016年4月20日に韓国のソウル詩人協会は「中国当局が尹東柱の国籍を中国だと歪曲している」として中国を厳しく非難した[12]

日本において[編集]

一方で、民族主義の象徴としての尹東柱の扱いに疑問を挟む声も存在する。京都大学教授で韓国や東アジアについて専門としている小倉紀蔵は、尹の詩を民族主義的など偏った考えで解釈すること、そしてその解釈を「『正答』であると威圧的かつ声高に主張」したり「『道徳的正答』という暴力的な概念をふりまわして、それ以外の解釈や思考を威圧したり排除」したりすることを不適切だとして、詩の言葉を特定の政治的・道徳的立場に本質化して吸収することは「尹の詩への冒瀆」と厳しく批判している。更に尹の詩には政治的・民族的・イデオロギー的なものは皆無であり、イデオロギーありきで解釈する人々が尹を評価する理由が詩そのものよりも、彼が第二次大戦中に逮捕、独立後の南北と保革対立に巻き込まれずに死亡した事にあると結論づけた[13]

同志社大学今出川キャンパスにて1995年、尹東柱詩碑が建立された。同志社大学の校祖新島襄の言葉に「人一人一人が大切なり」の言葉があるが同志社大学に尹東柱の詩碑が建てられたことは「同志社大学の良心教育が日本の良心を呼び起こした結果である」とは詩碑を建立した「尹東柱を偲ぶ会の関係者」の言葉である。またこの詩碑の左側にはチンダルレが、右側にはムクゲが植えられている。これはこの詩碑を建立した「尹東柱を偲ぶ会」と「同志社コリア同窓会」が「ワンコリア」の精神でこの詩碑を建てたことから朝鮮民主主義人民共和国の国花チンダルレ、大韓民国の国花ムクゲが植えられることなったという経緯がある。その前庭には新島襄が愛したの花が植えられている。「尹東柱を偲ぶ会」と「同志社コリア同窓会」は共同で毎年尹東柱の命日の2月16日、その日が土曜日の場合はその日、土曜日でない場合は16日の前の土曜日に「献花式」と講演会等を開催している。(詩碑には尹の代表作「序詩」が日本語とハングルの2か国語で刻まれている。日本語の訳は伊吹郷氏。また裏面には早稲田大学教授大村益夫氏による詩碑及び尹東柱の説明文が刻まれている。)

同志社大学内に「尹東柱を偲ぶ会」が結成された1992年当時、大学内に生前の尹東柱を知っている人は皆無であった。その後NHKと韓国のKBSが企画から撮影・編集・放映まで最初から最後まで協力して作られたドキュメンタリー「空と風と星と詩・尹東柱日本統治下の青春と死」の調査過程で生前最後の写真が発見される。

京都芸術大学(旧・京都造形芸術大学)の高原キャンパス内には尹東柱がかつて生活した下宿跡地があり、2006年に尹東柱の作品『序詩』の詩碑をキャンパス内に建立し、毎年命日に追悼法要を行っている[14]。京都造形芸術大学創設者の徳山詳直は1950年に、朝鮮戦争に反対する運動に身を投じて、爆弾の搬送を阻止しようとして逮捕された。徳山詳直は「尹東柱先生が民族独立の闘いの途上で獄死してから5年後、私の闘いは朝鮮との関連で始まった。そしてこの地に大学を創立し、芸術を通した平和を追求している。」と語った。[15]2019年、京都造形芸術大学側が主催する詩人尹東柱追悼会及び交流会が、大学のキャンパスの詩碑前で2月15日に開かれた。この日は、理事長の徳山豊や学長の尾池和夫をはじめ、在日韓国・朝鮮人、駐大阪大韓民国総領事館の吳泰奎総領事など関係者ら約80人が参加した。[16]

2010年、立教大の教職員と卒業生による「詩人尹東柱を記念する立教の会」が、立教大学の韓国人留学生向け奨学金「尹東柱国際交流奨学金」を設立した。各学部1人ずつ計8人[17](のちに10人[18])に、留学生の年間授業料(48万8000~67万9000円)[17]とほぼ同額の60万円を支給している。


釜山国際映画祭で「脱北者」と「朝鮮族」が目立ったわけ

2021-07-23 17:48:08 | 日記

釜山国際映画祭で「脱北者」と「朝鮮族」が目立ったわけ

現地発 韓国エンタメ事情
「ビューティフルデイズ」主演のイ・ナヨン(中央)と息子役のチャン・ドンユン(右)=成川彩撮影

 

アジア最大級の映画のお祭り、第23回釜山国際映画祭が10月4~13日、釜山市で開かれた。今年の上映作の中で目立ったのは、「脱北者」と「朝鮮族」の登場する映画だった。脱北者は、北朝鮮から逃れてきた人たち。

韓国には3万人を超す脱北者が暮らしている。

一方、朝鮮族は中国の少数民族で、主に中国吉林省延辺朝鮮族自治州(延辺)に住んでいるが、韓国に出稼ぎに来てそのまま暮らす人も多い。いずれも韓国内のマイノリティーだ。

まずは、4日の開幕式で上映された開幕作「ビューティフルデイズ」(ユン・ジェホ監督)。

主人公は、北朝鮮から中国を経て韓国に逃げた脱北女性だ。

映画は韓国の女性の勤務先に、中国から息子が訪ねてくるところから始まる。

母は父と自分を捨てた裏切り者と思っていた息子は、母の日記を通し、なぜ韓国に逃げざるを得なかったのか、性的搾取など脱北者ゆえに受けた過酷な過去を知る。

ユン監督はパリにいた頃、ある朝鮮族の女性と出会ったことが、この映画を作るきっかけになったという。

中国にいる息子と9年間会えないでいる事情を聞き、監督自ら中国まで息子に会いに行った。

「この映画は、家族の意味、離別や再会についての問いを投げかける映画」と話す。

脱北者を取り巻く現実は厳しくても、「和解」という温かいメッセージのこもった映画だ。

「南北分断後に生まれた世代として、南北が今やっと対話できるようになったことを肯定的に捉えている」と、映画の母と息子の関係を南北関係に重ねた。

「ビューティフルデイズ」のポスター=成川彩撮影

脱北女性を演じたイ・ナヨンは、実生活で俳優のウォンビンと結婚し、子育て中の母の身で6年ぶりにスクリーンに復帰した。

母役を演じたことについて「以前よりも共感できる部分が増えた」と言う。

口数の少ないキャラクターで、主人公だがセリフは少ない。

ユン監督は「多様な内面をセリフではなく、表情や雰囲気で表現してくれた」と評価する。

悲劇的な状況の中でも、自分なりの方法で幸せになろうとする主人公のたくましさがまぶしかった。

注目作を紹介する「ガラ・プレゼンテーション」部門で上映された「群山:ガチョウを歌う」(チャン・リュル監督)には、役の比重は小さいが、朝鮮族が何度か登場する。

監督自身が延辺出身だ。

メインは、主人公ユニョン(パク・ヘイル)と、ソンヒョン(ムン・ソリ)が群山を訪れる話。

ソンヒョンはユニョンの先輩の元妻という、ちょっとややこしい関係だ。

この二人の演技を見ているだけでも楽しい映画ではあるが、歴史的な背景まで知るともっと楽しめる映画だ。

「群山:ガチョウを歌う」の場面写真。パク・ヘイル(左)とムン・ソリ(トリプルピクチャース提供)

映画の中でたびたび言及される詩人、尹東柱(ユン・ドンジュ)は、韓国で最も愛される詩人だ。

ユニョンとソンヒョンも共に尹のファンで、ソウルの「尹東柱文学館」を訪れる場面もある。

尹東柱は日本留学中に治安維持法違反の疑いで逮捕され、福岡刑務所で獄死している。

日本統治下で禁じられたハングルで詩を書き続け、詩集「空と風と星と詩」は彼の死後、韓国で出版されてベストセラーとなった。

2016年に映画「空と風と星の詩人~尹東柱の生涯」(イ・ジュンイク監督)が公開され、再び注目を集めている。

タイトルにもなっている群山は、全羅北道の港湾都市。

日本統治下では多くの日本人が暮らし、日本家屋が今も多く残る。

ユニョンとソンヒョンが群山で過ごす民宿も日本家屋だ。

しかも民宿の主(チョン・ジニョン)は福岡出身だという。

といっても日本人ではなく、在日コリアンだ。

群山の日本家屋も、在日も、日本統治が生み出した存在だ。

民宿の主の出身が福岡なのも、在日なのも、尹東柱に絡めた設定のように思う。

いつかふと、尹東柱が獄死しなければ、戦後、在日として生きたかもしれないと思ったことがある。

それでも韓国で最も愛される詩人になっていただろうか、と。

「群山:ガチョウを歌う」の場面写真。パク・ヘイル(左)とムン・ソリ(トリプルピクチャース提供)

一方、 尹東柱は朝鮮族でもある。

韓国社会での朝鮮族に対する視線は時に差別的だ。

韓国語を話すが、イントネーションの違いがあり、国籍も韓国に帰化しなければ中国籍だ。

家政婦として働く女性も多く、映画の中でもユニョンの家の家政婦が朝鮮族だ。

その家政婦が尹東柱の親戚にあたることが分かった瞬間、女性に対する蔑んだ視線は一気に尊敬の視線に変わる。

朝鮮族として6年間韓国で暮らした監督ならではの感覚で、朝鮮族に対する韓国社会の矛盾した視線がユーモアたっぷりに描かれていた。

全体に詩のようなふわっとした雰囲気ながら、裏テーマとして朝鮮族や日本統治の名残が見え隠れする、奥行きのある作品だった。

脱北者にしても、朝鮮族にしても、同じ民族ながら韓国社会での共生が課題となっている存在だ。

近い将来南北の人的交流が活発化しそうな中で、釜山国際映画祭の意図的なプッシュ作品だと思う。


李登輝氏遺族に安倍首相からの手紙 弟・岸信夫氏が明かした “台湾への思い”

2021-07-23 17:14:39 | 日記

 

李登輝氏遺族に安倍首相からの手紙 弟・岸信夫氏が明かした “台湾への思い”

政治・外交 

 

  • 日本政界関係者から慕われた台湾民主化の父・李登輝元総統の死去
  • 実弟・岸信夫氏が語る 兄・安倍首相の思いと台湾との縁
  • 首相の手紙を遺族に 李元総統「日本はもっと自信をもて!」
 
 
 

台湾民主化の父・李登輝元総統死去 小泉環境相はじめ要人が相次ぎ弔問

7月30日に亡くなった台湾の李登輝元総統。血を流すことなく民主化を成し遂げ「台湾民主化の父」とも称された李元総統は、日本統治下の台湾で生まれ、流ちょうな日本語を話す親日家として知られた。その李元総統の死去に際し設置された東京・白金台にある台北駐日経済文化代表処(駐日大使館に相当)の記帳台には、多くの日本人が足を運んだ。その中には、首相経験者の森喜朗氏や麻生副総理らの姿があった。

また、自民党青年局長として2013年に訪台し李元総統と面会した小泉進次郎環境相も弔問に訪れた。記帳後、小泉環境相は「李登輝さんとは私が自民党の青年局の時にお会いさせていただいた。そのときのことは忘れない。これからも自民党の青年局は誰が青年局長になっても台湾とのつながりを大切にする」と力強く語った。

小泉進次郎環境相
小泉進次郎環境相

弔問最終日の8月7日には、菅官房長官も弔問に訪れ、その弔問者数の多さは李元総統が多くの日本人から慕われ、愛されていたことを物語っていた。
そしてこの弔問者の中に、安倍首相の弟である岸信夫元外務副大臣の姿があった。

岸信夫元外務副大臣
岸信夫元外務副大臣

岸氏は、兄・安倍首相に代わり、何度も訪台するなど正式な国交のない台湾との交流を続けてきた。今年1月にも台湾を訪問し、前日に総統選に勝利したばかりの蔡英文総統といち早く面会したほか、19年に来日した次期総統候補とも言われる頼清徳氏(現・副総統)と会食するなど、台湾政界と最も太いパイプを持つ国会議員だ。

岸信夫元外務副大臣
岸信夫元外務副大臣

岸氏は李元総統の死去について、「台湾の民主化により国際社会の理解と支持を得て地域に平和と安定をもたらした。東アジアの民主主義を脅かされる今、李登輝先生を失うことは痛恨の極みだ」とコメントした。FNNは岸氏にインタビューし、台湾訪問の舞台裏や兄・安倍首相の台湾への思いを聞いた。

安倍首相の李登輝氏への思いと、祖父・岸信介元首相の米寿に届いた「六連の額」

2008年 台湾で李登輝元総統と面会する岸信夫氏
2008年 台湾で李登輝元総統と面会する岸信夫氏

岸氏は、台湾との縁の源は自身と安倍首相の祖父である岸信介元首相だと語る。

「祖父(岸信介元首相)は蒋介石(当時の中華民国総統)との縁があって、中華民国(台湾)が国際連合を脱退する直前に台湾に渡り、蒋介石に対して『国連を辞めなくていいのではないか。中国とは別の国として、台湾は台湾として残ればいいのではないか』として国連への残留を促した。ただ、蒋介石は『私は中華民国の総統だ。国連が(中華民国と中華人民共和国の)どちらかを選ぶ立場だ』と拒否された」

岸氏はこんなエピソードを披露してくれた。祖父・岸信介元首相が88歳の米寿を迎えた際に、台湾からお祝いの品物を受け取った。品物は「六連の額」で、張群、何應欽、谷正綱といった当時の国民党の名だたる政治家とともに寄贈者の一人として“李登輝”の名前も記されていたという。

祖父・岸信介元首相の米寿祝いで送られた品物 真ん中の下の方に“李登輝氏の名前”
祖父・岸信介元首相の米寿祝いで送られた品物 真ん中の下の方に“李登輝氏の名前”

また岸氏は「私の初めて海外にいった家族旅行も台湾でした。とにかく当時から台湾の人は温かったことを覚えています」と述べた。岸家・安倍家にとって台湾はそれだけ身近な存在であったのだ。

そして岸氏は、兄・安倍首相の李元総統への思いについては「かなり個人的に強い思い入れがあった」と述べた。さらに安倍首相の台湾への思い入れの背景には「日本の安全保障を考えてもこの地域にとって台湾は重要で欠かすことができないと思っている」こともあると解説する。

台湾を弔問した岸信夫氏 安倍首相の手紙を李元総統の遺族に手渡す

岸氏は2015年に李元総統を講演のため日本に招待した時に、「長く見積もっても台湾のために働けるのはあと5年くらいだろうとも感じている。残りの人生は、台湾に、より一層成熟した民主社会を打ち立てるために捧げたいと思っている」と語ったのが印象的だったとした。

2015年 日本で李登輝元総統と面会する岸信夫氏
2015年 日本で李登輝元総統と面会する岸信夫氏

そして先月もたらされた李登輝氏の訃報。これを受け岸氏は、新型コロナウイルスの猛威を受け、国と国との人的交流は最小限に抑えられていた中ではあったが、世界で最も早く李元総統の弔問を行うため日本からの弔問団の台湾訪問に向け奔走した。その結果、森元首相と超党派の議員による弔問が実現した背景について岸氏は次のように語った。

森元首相と超党派の議員による弔問団
森元首相と超党派の議員による弔問団

「弔問に行くのか葬儀にいくのかというのがまずあった。また、できる限り台湾に敬意を表するには首相経験者でないと、という思いがあった。安倍首相からは森元首相に人選はお任せしたい、という言い方だったと思うが、総理の本音としては『ぜひ森さんに行ってほしい』という思いがあったのだろう」

8月9日に日帰りでの台湾訪問が決まり、弔問団は、72時間前にPCR検査を受け陰性を確認し、現地での人との接触を最小限にするなど万全の準備を整えた。弔問団は、蔡英文総統と面会し、李元総統の遺影の前で献花を行った。

蔡英文総統との面会
蔡英文総統との面会

この弔問の中で、安倍首相の思いを台湾側に直接伝える機会はあったのか聞くと岸氏は次のように明かした。

「台北賓館で李元総統への献花をした後、別室で李元総統のご遺族の次女夫妻と面会しました。そこで総理から預かっていた手紙を『総理からのメッセージです』と手渡しました」

安倍首相の李元総統への思い、台湾への思いは、弟である岸氏を通じて、李登輝氏の遺族に直接伝えられていた。

最後に亡くなった李元総統から言われたことで印象に残っている言葉を聞くと岸氏は「日本はもっと自信を持っていいんじゃないかといわれました。日本への批判をされることもあったがその批判はとても温かい批判だった」と語った。

李元首相の言葉を改めて噛みしめていた岸氏。97年の生涯を通じて数々の偉業を残した李元総統の思いは、日台関係に尽力する多くの人の手によって次の時代へと引き継がれていくことになるだろう。

(フジテレビ政治部 門脇功樹)

(FNNプライムオンライン8月20日掲載。元記事はこちら


文在寅の“大逆走”で、韓国経済を襲う「株価暴落、破産ラッシュ、倒産爆増」の血みどろ地獄…!

2021-07-23 15:27:52 | 日記

 

2021-07-23 15:16:22 | 日記

文在寅の“大逆走”で、韓国経済を襲う「株価暴落、破産ラッシュ、倒産爆増」の血みどろ地獄…!

武藤 正敏(元駐韓国特命全権大使)

6/30(水) 7:31配信

現代ビジネス

 

文在寅「経済失政」が韓国経済を破壊する…

文在寅は万事休すへ 

 韓国銀行は、今年の韓国経済は4%以上の成長も可能であるとしている。また、国際通貨基金(IMF)によれば、韓国の昨年の名目国内総生産(GDP)の規模は19年の12位から10位に上がったという。

昨年の順位上昇は、新型コロナの影響でブラジルとロシアが落ちたからであるが、韓国は2026年まで順調に成長し10位以内を維持する見通しである。

 このように一見順調に見える韓国経済ではあるが、実体は危険と背中あわせのようである。

それは、文在寅政権の経済運営と深くかかわっている。

 実際、韓国の自営業者の中には廃業寸前の崖っぷちに立たされた人が多い。

 韓国の就業者の4人に一人が自営業者である。

毎年80万人以上の個人事業者が国税庁に廃業届を出すそうである。

特に、文在寅政権になってからの所得主導経済成長政策は自営業者に大きな衝撃を与えた。

 さらに、いま韓国経済は不動産・株式などの資産バブルと膨大な額に膨らんだ家計債務という時限爆弾を抱えている。

 金利が上昇するか、国内外に衝撃要因が生じれば、リスク要素が韓国経済に大打撃を与えかねないと韓国銀行は警告している。

韓国銀行は「金融不均衡が拡大しており、適当な時期に政策金利を引き上げる必要がある」と繰り返し述べており、6月24日には「年内」という時期を初めて明言したばかりだ。

通貨危機並みの「雇用衝撃」

 

 現実として、目下の韓国では不動産価格は上昇を続け、株式も昨年当初から50%近く上昇している。

これは明らかに資産バブルを示している。

 それと同時に、韓銀は昨年150兆ウォン増加した家計債務(今年3月末現在1765兆ウォン)の負担を感じている。

「資産価格があまりに急速かつ過度に上昇し、その過程で債務が同時に膨らめば、後日資産価格の下落が招く金融リスクはさらに高まる」と警戒している。

韓銀の李柱烈(イ・ジュヨル)総裁が年内の適切な時点での金利引き上げを警告したのもこのためである。

 韓銀がこのように資産バブルの過熱を警戒する一方で、文在寅政権は来年の大統領選挙に向けて資金供給を止める気配がない。

政府与党は35兆ウォン規模の追加補正予算を編成し、災害支援金としてすべての国民に支給すべく検討を進めている。

 韓銀が金融引き締めに動き、政府与党は正反対の方向を向いて経済のかじ取りを行っている。

それでは韓国の金融市場の正常化を遅らせ韓国経済にとって一層大きな打撃となりかねない。

 韓国の自営業者の比率は24.6%(2019年基準)に達する。米国(6.1%)や日本(10%)ばかりでなく、OECDの平均(16.8%)と比べても断トツである。

 毎年80万人以上の個人事業者が国税庁に廃業届を出す。

廃業までしなくても青息吐息のところは多い。

 韓銀は最近出した報告書で「雇用員のいる自営業者に集中した雇用衝撃は通貨危機当時とほぼ同じ様子」と指摘した。

 

文在寅が「貧富の格差」を拡大させる…

 文在寅政権の進めた週52時間勤務制は、夕方の商売が中心だった一部業種から夕方の営業を奪った。

最低賃金の急激な引き上げによる人件費負担のためスタッフを解雇したり、週休手当のない週15時間未満のアルバイトに切り替えた。

 現政権が発足した2017年、1時間当たり6470ウォン(約635円)だった最低賃金は今年8720ウォンになった。

過去4年間の引き上げ率は35%である。

最初の2年間の引き上げ率が大きく、昨年(2.9%)と今年(1.5%)は穏やかな引き上げに抑えられたことから自営業者も一息ついたところである。

 しかし、労働界は現政権任期最終年の今回の引き上げで政権の公約1万ウォンを達成しようと意気込んでいる。

1万ウォンとなれば、来年の引き上げ率は14.6%となる。

 文在寅大統領は国際労働機関(ILO)の総会で、「韓国政府は長時間労働を改善し、最低賃金を果敢に引き上げ、所得主導成長を含む包容的成長を追求した」と自画自賛した。

しかし、所得主導成長を目指した最低賃金の急激な副作用によって雇用が減り、所得格差はむしろ広がっていることには言及しなかった。

 韓国経済は、過去4年間で雇用員のいる自営業者は28万人減り、雇用員のいない自営業者は15万人増えたのが現実である。

また、同じ事業所で長時間働く職は減り、週17時間以下のバイトが88万人も増加した。

賃金負担が耐えがたい水準に来ている証拠である。

 今年最低賃金引き上げ率がどうなるかで韓国経済の零細企業はますます廃業の危機が迫ってこよう。

文在寅大統領がILO総会で自画自賛したことは、単に韓国経済の失敗を認めなかったというだけである。

 文在寅氏が現実を直視しない限り、自営業者の倒産は一層増大し、韓国社会の貧富の格差を広げることになる。

 

韓国「利上げの衝撃」

 韓国銀行の李柱烈総裁は6月24日、物価安定目標運営状況点検結果を発表する説明会で、

「現在、緩和的金融政策を年内に適切な時点から秩序をもって正常化していくことを申し上げた」

「(景気)回復傾向に合わせて(金利を)正常化するのは当然の過程と申し上げている」と述べた。

 李総裁が年内といったのはこの日が初めてである。

 李総裁は「インフレをもたらしかねない要因も少なからず潜在している」とし、「高い物価上昇率が相当期間継続した場合、経済主体のインフレ期待が高まり、さらなる物価上昇を誘発する可能性もある」と述べた。

 さらに韓銀は、金利引き上げの根拠として、物価よりも資産価格の上昇や個人向け融資の急増といった「金融不均衡のリスク」に重点を置いている。

李総裁は、株や不動産などの資産市場への資金の集中が顕著で、個人債務もなお大幅に増加していると指摘しながら、「金融の不均衡が累積しており、ここに留意して金融政策を調整する必要性が日増しに高まっている」と強調している。

 金利が急激に上昇するか、国内外に衝撃要因が生じれば、リスク要素が韓国経済に大打撃を与えかねないとの見方である。

 現在の金利は年0.5%であり、6月27日の定例金融通貨委員会では同水準に据え置いたが、韓銀内外では、10月にまず0.25%の利上げをし、来年1月または2月に追加で0.25%上げるとの見方が出ているという。

 問題は利上げの衝撃である。

 今年1-3月期の名目国内総生産(GDP)に対する民間債務(家計負債+企業負債)規模は216.3%と過去最大水準である。

 韓銀によれば、今後金利が上がる場合、滞納が0.3ポイント増えると推定している。

株式市場にもマイナスの影響が予想される。

それでも利上げに踏み切らざるを得ないのは流動性が限界状況に達しているからだという。

 

韓国の資産バブルの「象徴」

ソウルの不動産価格高騰が止まらない

<picture></picture>

 経済正義実践市民連合(経実連)は6月23日に記者会見を開き、

「文在寅政権になって4年間の間にソウルのマンション価格が93%上昇した」と指摘した。

ソウル75か所のマンション団地11万5000戸のマンション相場が、3.3平方メートルあたり平均2061万ウォン(約201万円)から3971万ウォン(約387万円)に上昇し、30坪のマンションの平均価格は6億2000万ウォン(約6050万円)から、11億9000万ウォン(約1億1600万円)になったという。

 経実連と、政府が発表した価格には差がある。

経実連は国民銀行のマンション売買価格資料を基にしていると根拠を明示しているが、国土交通部の資料に対しては「歪曲した統計を提示しつつも、肝心の調査対象や算出の根拠とした資料はまったく公開していない」と批判している。

 住宅価格が急騰し、所得から見た住宅価格の水準は過去最大レベルに達している。

国民銀行が集計した今年1-3月の韓国の住宅価格対所得倍率は17.4倍で昨年同期比の13.9と比べ急上昇している。

 

借金地獄

 家計債務は、政権初期に「不動産との戦争」を宣言した文在寅政権の不動産政策が失敗し、住宅関連の資金需要などで高い伸びが続いた影響が大きかった。

 これまで20回以上の新規政策を導入しても価格の上昇を抑えられないのが現実である。

そのたびに家計債務は膨らんできた。

 政策金利が上昇すれば市中金利も同時に上昇する。

新規に借り入れを行う人のハードルは高くなる。

既に融資を受けている人は返済額が増え、家計の債務返済負担は増す。

現在の家計債務の70%は変動金利型である。

金利が1%上昇すると家計負担は年間12兆ウォン増加する。

 (返済猶予など)コロナによる金融支援措置などが終了する過程で、金利上昇が重なれば、脆弱過程を中心に不良債権リスクが増大しかねない。

 株式への投機熱もますます盛り上がっている。

個人投資家が群がり、KOSPIは昨年の年初に比べ、50%ほど上昇した。

 その一つの要素としては、不動産価格の上昇によって不動産購入の道が阻まれたので、資金が株式に回っているのだろう。

韓国銀行が年内の政策金利引き上げを予告した6月24日にもKOSPIは最高値を更新した。

株式相場の過熱感を示す一例であろう。

 しかし、金利の上昇は株式相場には否定的な影響を及ぼす。

仮に金利の上昇が株式投資への熱気を奪い、株式市場のバブルが消えて株価が大幅に下落すれば、資金を借り入れて投資した人は債務を返済できなくなる。

 

韓国「失われた10年」へ…?

 韓銀はいま金融不均衡を危惧し、資金供給ではなく、資金回収の準備を進めている。

 債務の急激な増大、資産価格の過度な上昇、株式などリスク資産に対する過度な投資が同時に起きることで、金融が不安定化し、実体経済にも飛び火しかねない状況を懸念しているからだ。

 そうした中、韓国政府は、第2次補正予算を編成して35兆ウォン(約3兆4200億円)規模のコロナ災害支援金の給付を準備するという、正反対の方向を向いた政策を展開しようとしている

これは大統領選挙で票を獲得するため現金をばら撒こうという側面もある。

 韓銀の引き締めに向かう金融政策と、韓国政府の拡張的な財政政策との食い違いについて韓銀は

「自営業・小商工人は金利正常化の過程に苦難があるが、財政政策で苦境を支援してくれるだろう」

「金融政策と財政政策が相互補完的に作用するようになれば」いいとして食い違いを否定した。しかし、政府と韓銀の間で適切な政策協調が行われているかは疑問である。

 文在寅政権最後の年に、最低賃金が再び大きく引き上げられる一方、金利の引き上げによって資産バブルの崩壊、家計債務の不良債権化の兆候が見られれば、韓国経済は日本の失われた10年と似た状況になる危険性をはらんでいる。

 しかし、今の文政権にこうした状況をうまくマネージできる人材はないように思われる。

残された1年がとてつもなく長く感じられるのではないか。

 

武藤 正敏(元駐韓国特命全権大使)