やせ我慢が引き起こすごたごたは、落語以外でもよく見られますね。
山登りは「やせ我慢」(深田久弥)
登ろうか引き返そうか思案した。
地図を見ると頂上までまだ800メートルはある。しかも等高線がヤケに詰まっている。相当つらい登りを覚悟せねばなるまい。はるばるここまで来たのだ、登ろう、と心中の強行派が言う。この雨では、苦労して登ったって、何も見えはしない、と軟弱派が反対する。
単独登山の欠点は、こういう場合、手もなく軟弱派の言を容れることである。もしこれが二人以上であったら、お互いやせ我慢しあっても登っただろう。山登りはやせ我慢である。:P.15 深田久弥 瀟洒(しょうしゃ)な自然 新潮社
おもわず、にやっとする話ですね。登山の安全を考えて、単独登山ではなく複数人数による登山が推奨されますが、気のあった複数人数をそろえるのはなかなか難しく、そのほかにも、さまざまな問題があります。もちろん目指す頂上の高さや必要時間にも関連がありますが・・・・・・。
- 参加者の体力や脚力が一致していることはまずなく、上級者はいつも先に進み、初心者はいつも後方に取り残され、双方とも不満が残る。悪くすると見栄をはるために無理して登ったり、途中で引き返す人が出て一部あるいは全員が下山することにも。
- 参加者が同じ日に休みを取れるとは限らない。
- 事前に決められた登山当日の天候は保証されていない。少なくとも雨や風がなければいいとも言えるものの、曇天だと頂上からの眺めが悪く不満が残る。
このことから、男性が近場で気楽な登山をする場合には、単独のほうを選びやすいものです。ただし深田久弥の言うとおり・・・・・・。
- 単独登山の場合、強い精神力がある人は別として、ちょっと疲れると安易に引き返してしまう。
- 万が一、負傷した場合にどうするか、不安である。
- 単独登山の場合、誰にも束縛されることなく、寄り道をし、写真撮影をし、休憩をし、休日を堪能できる喜びがある。
江戸は「やせ我慢の地」というお話もあります。
だいたい江戸というのはやせ我慢の土地でね。つまり、寒中袷(あわせ)一枚が粋だというのはね、寒中袷一枚しか着られないんだ(笑)。それをね、そのままだったらもうしみったれてしょうがない。それを粋だというふうにしたところがあるんですよ。
だから、もうそばは安物の食い物やといわれていたのを、そばの味もわからねえやつは江戸っ子じゃねえ(笑)、こうもってくと、えらい上等になってくる。
すべてがそういうふうな、私は江戸文化ってのはやせ我慢の文化という一面があると思う。:P.231-234 桂米朝「私の履歴書」日経ビジネス人文庫 日本経済新聞出版社
もともと、江戸でも「うどん」が珍重されていたけれども、
少し離れた信州などの地でも栽培できる「そば」がやせ我慢文化で取り上げられて、いつのまにか「高級食材」になってきた、と桂米朝が言っております。
この指摘を受けるまでもなく、江戸文化に「やせ我慢」は根付いているようで、
たかようじ(つまようじ)
武士は食わねど 高楊枝(爪楊枝)
という格言・ことわざは、「名誉」だけが頼りの支配階級としては、空腹でもやせ我慢するしかなかった事情を語っていて、きっと江戸幕府以後のことであろうと思われます。
同じ江戸時代の将軍とはいえ、北朝鮮とは大ちがい。
かんぶ くいでぶ たかぐるま
幹部は食いデブ 高級車
東日本震災で見せた東北人の我慢強さが世界を驚かせましたが、歴史的に見て大ざっぱに
- やせ我慢をしがちな東日本
- 不満を感じやすい西日本
ではないか、と誤解を覚悟しながら、また例外が多数あることを承知の上で、述べております。
日本人に対する、過大な高評価や、不当な低評価の、いずれかだけを喜ぶ姿勢には真実はなく、両方のすべてにこそ真実がある、と私は信じています。
この東西の特徴は、土地の気候・気温にも関係しているでしょう。ただし、寒い土地の人が我慢強いとも限らず、暖かい土地の人が楽天家だとも言えません。
北朝鮮が核実験したことについてのペンネーム綾野の書から。
残念なことではあるが、今回の朝鮮による核実験は、われわれ中国が数十年にわたって実施してきた対朝鮮外交政策が失敗であったことを証明すると同時に、朝鮮半島に対し中国がまったく無力であったことを示すことにもなったのだ。
われわれ中国は、これまでやせ我慢をしながら巨費を投じて行なってきた対朝鮮の経済援助は、最終的には国益にプラスになるどころか国益を損ねる結果を招いてしまったことを認めざるを得ないだろう。:綾野(リン・イエ:中国の研究者・軍人)著 富坂聡(編)「中国が予想する"北朝鮮崩壊の日"」文春新書 2008年5月20日第1刷発行
中国共産党が
やせ我慢をして、富の一部を北朝鮮へ援助してきた、というのです。しかし中国10億人以上の貧困者に渡るべきその富を横取りしたのが、中国共産党員ではなかったのか。
言い換えると援助とはいえ、不当な富が中国共産党から朝鮮労働党へ移動しただけ、つまり富が弾圧者から別の弾圧者へ移動した現象を「やせ我慢」と称するとは、これまた
- 笑止(しょうし)千万
- 少子(しょうし)高齢化
- 東海林(しょうじ)太郎
- 少女(しょうじょ)マンガ
というところ。
↑ 最後はど~ゆ~意味? しかし四(五)文字熟語は疲れますなぁ。「しょう」が共通なだけでは?
やせ我慢の反対語は何か
でぶ失言⇔やせ我慢
いつも例外が脳裏を横切り、すらりと言えないところです。
田中真紀子、森喜朗、小沢一郎、上沼恵美子、浜田幸一、金美齢、麻生太郎、小泉純一郎、石井一、たかじん、デブ(ビ)夫人、中山成彬、柳田稔、籾井勝人、
ぽっちゃり型かそうでないか、不明です(笑)。
- きっと必要な「やせ我慢」もあるのでしょう。地域の雰囲気がそうさせることもあるでしょう。しかしそういう地域にこそ「やせ我慢」を笑い飛ばせる落語が必要。
- 一方、いつも不満をもらすだけの人もいますね。まるで「感謝」という言葉さえ知らない人が。もし地域の雰囲気がそうさせるならば、そうい地域にも「やせ我慢」を笑い飛ばせる落語が必要。
落語にも無数の種類があり、
低レベルの落語家だったのが残念な立川談志のように「これが落語だ」とはとうてい言えませんが、いろいろな落語を笑えるようになれば、人間が一段と上等になること間違いない、とだけは言えそうです。
落語には、漫才のような衝動的な笑い以外のことも多数含まれるだけに、少々思考力が必要かも知れませんが、訓練しだいで何とかなります(笑)。
落語を聞いて「つまんな~い」と思うのは、
多くの場合、女性でしょうが、落語をおもしろいと感じるようになれば、社会との接点が生まれ発達しつつあることの証明ですから、誉めるべきことだと思います。
女性の言う「みんな」は、たった「3人」のこともあるそうで、男性ならば許されないけれども女性ならばやむを得ない、という段階なのでしょうか(笑)。
女性で「普遍性」の良さがわかる人が増えるよう、ワタシ祈ってます~ぅ ♪
普遍性への第一歩が落語なのかも。