またまた「自分」シリーズです。「自分を考え直す」という行為は、とりもなおさず「自分を見つめ直す」ことですから、朝鮮半島や中国には存在しないことなのでしょうね(笑)。
私は、これから商売を始めようとする人に、「毎日自分が使っている時間が、短く感じられる商売をさがしなさい」と忠告しています。・・・・夢中になって、ふと時計を見たら、もう真夜中になっていたといった仕事をみつけることです。:P.215 邱永漢「商売入門」ごま書房
時間を忘れるほど夢中になれることがある、ということ自体はすばらしいことですね。特別に金銭の出費を必要としないならば更に立派だと思います。
歳をとると「時のたつのが速い」と述懐するようになりますが、日常の雑用を苦もなくこなせるようになると逆に「雑用が多いと感じ、時間の経過が速い」のかも知れません。
- 目標がなく先のことも考えられない時期には、時は遅く流れるもので、そういう若い頃にこそ「時を忘れるほど夢中になれることを仕事にしなさい」と台湾出身の邱永漢(きゅうえいかん 1924-2012)は主張するのです。一時代を作った人の言葉には重みがありますね。
- しかし一方で、人は誰でも、時を忘れるほど打ち込めるものを見つけられなくて悩んでいる、とする見方もあります。なのに邱永漢が「それを商売にしなさい」と言うのですから「あなたに相応しい商売はないと」と拒絶されたと受け取ってしまうのです。
私の見るところ、金銭を消費することが「価値のあること」であると考える人が多いのではないか。
何かをすれば多少の出費をともなうものですが、それでも「消費金額が打ち込む価値に比例する」とする見方を変えなければならないようです。
しかしいつも思うのは、外国に来たら自分の国よりお行儀良くしよう、という思いが、あっちにはないのかな?ということ。
欧米の旅人にはそれがある気がする。ズレてるなりに日本の習慣に合わせようとしたり、謙虚に振舞おうとする姿勢が多少なりとも感じられる。
ま、距離的にさらに遠い欧米からわざわざ日本まで来るのだから日本文化に興味があるのだろうし、近いというだけで来る中韓の人々とはおのずと差があるのかもしれないが…。:アジアの良識
中韓台の旅行客を必死で呼び込む旅行会社と、アジアからの旅人のマナーにうんざりしている業者(お土産店・飲食店・宿)には、相当の温度差があるようです。
- いいも悪いも、何らかの宗教をもっている人は、他人にも注意を払うもので、言い過ぎかも知れませんが、これはひょっとしたら宗教対立のいい面なのかも知れません。
- 一方では、宗教と似て非なる儒教という生活規範が普及している地域では、小さな地域で代々守るべきマナーを教えているとはいえ、域外でもこれを守るよう教えてはいないとみえ、むしろ民衆は域内で押さえつけられていた本性を域外で発散するのかも。
- もう一つは、「台湾の客」の中には大陸つまり中国人の比率が相当大きいと思われ(実際の国籍調査は不可能か)、特に団体客の場合には傍若無人にふるまいがちなのに加え、長期にわたる中国共産党の反日国是が影響して日本へ旅した時に何をするかわからない。
- 更に言えば、中韓観光客のマナーの悪さをそのまま受け入れる観光業者の姿勢にも問題があり、客の減少を恐れて何も言わないのはよろしくない。マナーの悪い客を受け入れない毅然とした態度〔やり方にはいろいろあるうでしょう〕がマナーのいい観光客には好印象を与えることを知って、何らかのかたちで対応したいものです。いくら韓国人がひどいとはいえ、「No Korean」は行き過ぎで、韓国人に「普通のマナーを守らせる」ための、幼稚ではあるけれども別の方法、があるはずです。
マナーの悪さにも、こういった要因が重なっていると思われます。
日本の大手新聞は、官僚機構が最も嫌がるニユースを率先して報道しようとはしない。ある新聞だけに特ダネを握られたら困るから、記者クラブのみんなで話し合って特定の新聞だけが達う方向へ向かわないようにする。自分だけ情報をもらえなくなっては困るから、官僚機構とのケンカを避け、同じインナーサークルのなかで手を取り合う。記者クラブ制度がなぜ日本で問題視されないのか不思議だ。:P.150-151 マーティン・ファクラー「『本当のこと』を伝えない日本の新聞」双葉新書2012年8月7日第2刷発行
いやいや記者クラブは問題視されていると思いますよ。
同じことは年末恒例の事件事故特集でもみられます。マスメディアが警察の車に同乗して取材するという姿勢を続ける限り、警察がいやがるようなニュースを報道しないようになるからです。
開かれた日本、なんて笑ってしまいますね。もちろん中国・韓国と比べたら、それはそれは立派なものですが、この場合比べる対象に問題があり、自尊心を向上させるにしてはあまりにもひどい比較ではないでしょうか。これは自国産業保護のためには何をするかわからない解放偽装国家アメリカにも言えますね(笑)。
大体、商売人になれば、お銭(あし)もとれない所で、むやみに貴方噺なんぞ演るもんじゃない。圓左っていう人は、そんなことはもう超越しちゃってるんですね。どこでも、聞いてくれたら、のべつに噺をしちゃう。
ある時、向島の料理屋からお座敷がかかった。行っておじぎをして、頭をあげてみたら、自分の悴(後に二代目圓左になった人)が脇息へもたれて、芸者を二人ばかりわきへ置いてる。「馬鹿野郎ォッ」ってどなった。「どこの国におやじを余輿に呼ぶやつがある。その銭ァ誰が出すんだ。みんな俺が払うんだ」っておこってから、「せっかく来たんだから一席聞かしてやる」って、そこで噺をしたというんですから、実に不思議な人です。腹がたって、そんなとこで噺は出来ませんよ。それを演ったってんだから、いかに噺が好きだったか……そのくらいですから、うまいのもあたりまえですけどね。
そんなふうに噺をするのが好きだから「稽古をして下さい」つて行けば、いやって言うわけはない。喜んでいくつでも教えてくれたんでしょう。圓左さんに稽古をしてもらった人はずいぶんありました。圓馬師(三代目・橋本卯三郎)も、この初代圓左さんから大分稽古をしてもらっています。:P.71-73 六代目三遊亭圓生「新版 寄席育ち」青蛙房 新版6刷
色々な人の回想録がありますが、資料が不足しがちな古い時代に関する六代目三遊亭圓生の「寄席育ち」は、たいへん貴重です。
自分のせがれ(悴)に余興で呼ばれたという初代三遊亭圓左(1848-1909)の話で、六代目圓生の先々代あたりと縁があったとされるほど古い明治時代の人でした。
上記は正真正銘の私の蔵書からの引用ですが、部分的にはこちら〔Wikipedia三遊亭圓左〕でも引用されていましたのでリンクでご確認できるよう配慮しました。←やさしいねぇ。
本当に野球が好きな、心からサッカーが好きな、今でもそんな人が見られますが、初代三遊亭圓左も噺が何よりも好きな人だったようで、これが「ものづくり日本」の根底にあるのでしょう。
今は変りつつあると言われているものの、汗を出して何かをすることへの蔑視がなくならないなら、韓国の「汗を出さずに楽をして盗む」パクリ根性もまた、なくならないでせう(笑)。