中国での言論については、よく知られているとおり
一言でいえば、中国共産党にとって都合が悪ければ、常時監視していた全国テレビ放送もすぐに遮断するし、インターネット検索でも中国共産党に不都合なニュースは検索できないよう言論統制・検閲しています。
ただし、中国を出て外から母国をみる機会を得た人たちは
「自分たちは政府にだまされてきた」と気付くことが多いようですが、母国へ帰れば、金儲けのためには弾圧を甘受するのでしょう。この例外が香港の騒動で、私は原則としてこれを支持しております。
比較的多くの中国人にとって、金儲けが人生での最大の目標なので、これを利用したのが中国共産党の「政治的弾圧統制、経済開放」政策でした。
日本で学ぶ留学生たちも、その後2通りに分かれます。
- 一つは「中国共産党のスパイ役」を演じその統制に忠実に従う見返りとして、帰国後の生活の安寧を約束された人たちのこと。
- もう一つは「真実を知ってしまった人、自由のありがたさがわかった人の不幸」とでもいうべきか、小学校時代から教科書で習ってきた内容が中国共産党による捏造だったことに気づき、ある人は日本に定住し、別の人はアメリカなどへ移住する道を選択するなど、もう母国へは帰れなくなった人たちのこと。
中国から日本を旅する人たちも、2通りに分かれることでしょう。
- 優遇された富裕層は、その好待遇の見返りとして「中国共産党による洗脳」を疑問なく受け入れなければなりません。日本は悪人による国家である、という小学校時代から教科書で教えられてきたことを、けっして疑ってはいけないのです。いくら現実と異なっていても、疑ってはいけません。どうしてもこれに懐疑的になるなら、中国共産党による粛正を覚悟しなければなりません。
- 一方、徐々に増えてきたせいぜい4人程度までの個人旅行客のマナーは団体客のマナーに比べてそれほど悪くなく、普通の旅をすることが多いようです。こういう観光客が増えると、中国共産党による恣意的な国是から出た「対日感情悪化に、いささかのブレーキがかかる」かも知れません。
しかし、いくら中国共産党が情報を統制しようとも、
- あらゆる手段を使って真実を知るという幸運に恵まれた人が増えてきて、中国共産党が、歴史はもちろんのこと現実さえ相当捏造しているのではないか、と気づき始めた
- 母国を出て、外から中国を見つめる人たちが増えた
そうです、「人は生まれ育った環境を外から俯瞰(ふかん)できれば成長したと言える」のでしょう。自分自身を客観的に見る視点を得た時ですね。
こんなたとえ話がわかりやすいでしょうか。
- 幼少のころは自分の家庭内が世界のすべてであり、親が前納いや全能の神ですから疑問の余地なく親の指示通りに動いていた。
- 小学校へ通うようになると、できた親友にも家庭があるとわかり、やがて親友の家庭とは異なる決まり・考え方が自分の家庭内にあることを知り、衝撃を受け、悩み、考え始める。
- もっと上の学校に進むにつれ、異なる地域では違った思考形態があるを知るに至り、考え方が大きく変ってきて人格形成が始まる。
- さらに、旅や留学などで異国を知ると、特に言論統制されている国から出た場合はそうですが、自分の常識がまったく通用しないことを知り、改めて外から母国をみる視点を得るに至る。
このようにして人は年齢を重ね成長するのですね。
このあと、その人がどうなるかは、運や環境も影響しますが、その人の考え方、形成された人格一つで決まります。
- いやこれは何かのまちがいだ、と自分の新しい視点や発見を必死で自己否定し、今まで通りの見方が正しいのだと思う道
- これではいけない、何とか自分を改めなければならないと思う道
などですね。
こんなときに、ここ沖縄でも、こんな主張を目にしました。
これまで、沖縄の地元紙が県民性を保持し、あるいは形成してきた役割については今更議論の余地もない - その記事だけでかかれた戦後史すらあるほどだ - が、現代の若者たちはむしろ、テレビなどの視聴覚的なメディアによって育てられてきた側面が強いようである。
これまで地縁、あるいは血縁のつながりの中で育てられてきた子供達が、そうした共同体の枠を越えたところで、第三者からの情報を自由に得ている。その意味で、彼らは、一面消化し得ない情報の氾濫にさらされているとも言えるが、反面、伝統的な共同体を外側から見る視点をもちつつあるかもしれない、という可能性を否定することはできないだろう。
いながらにして外から見る、ということは個にとっては、一種の不幸な状況でもあるが、社会にとっては変革の契機であることも事実である。テレビに映るヤマトからみた沖縄の映像を見る沖縄の人々は、それを通じて、ヤマトの視覚を知ると同時に、改めて自分たちの実像について考えざるを得ない時がある。そうした状況の中で若者たちは成長している。この事実を、今後の県民性を考える上では無視し得ないように思われる。:P.45 沖縄地域科学研究所編「沖縄の県民像」
これによると沖縄の若い人たちの中には、沖縄を出ても出なくても、日本全体から、世界各地から、生まれ育った沖縄を見つめ始める人が出てきたのです。
そう受け取った著者の感受性を、まずは誉めるべきでしょう。
小さい共同体の中での判断が一番正しい「死守すべき正義」だと考える人たちにとっては苦々しいでしょうが、視野が広がるのは、一般的に言って、悪いことではありません。
変節の人翁長雄志〔おなが:2014/11/16の選挙で沖縄県知事に当選〕が、たとえ「自分の見解が沖縄の民意だ」とやや勘違いしているとしても、時代は変っているのですね。
民意で思い出しましたが・・・・翁長にも不思議な自己矛盾が。
新知事の翁長は、「沖縄の反対意見は全体から見れば少数意見であり、日本の民意ではない」とする日本政府が許せなくて、大いに反発するのですが、その翁長が沖縄の中では日本政府と同じことをしていて、「知事選挙での自分への反対票を無視してまで自分の意見が沖縄の民意だ」と信じているらしい(大笑)。
自分が非難している日本政府と同じことをしているこの自己矛盾に気がつけば、沖縄での新しい展開があるかも知れませんが、ないかも知れません(笑)。
まぁ冷静に見る人ならば、この種の自己矛盾は、翁長に限らず、誰にでも発見できるでしょうが・・・・・・。
わかりやすく言えば、翁長新沖縄知事が沖縄の中で自分に反対する意見を無視している姿は、日本政府が沖縄の主張を無視している姿と、何ら変らない。
日本政府が、形式程度とは言え法治国家らしく沖縄の意向にも配慮しているとするならば、翁長沖縄県知事もまた、形式程度とは言え法治国家らしく反対者の意向にも配慮しなければならない、のでした。私が「政治家はこうあるべきだ」と想定している姿なのです(笑)。
仲井真前知事の変節を非難する翁長ですが、自分の変節を棚に上げ、しかもまるで自分の主張が沖縄の民意であると堂々と発言してはばからない姿勢に、多くの県民を率いていく知事としての十分な信頼性があるのかどうか疑いをもっております。
これが私だけの杞憂(きゆう)ならばいいのですが・・・・・・。
期待されて就任する政治家が、その後期待を裏切らないことは、まずありえず、90%以上が期待を裏切ります。
ですから、私の「新知事の翁長が信頼性を欠きそう」という期待も裏切られるのが通例でしょうから、「ぜひとも裏切って信頼性のある知事へと成長していただきたい」と、心から願うばかりで(笑)。
また熱烈に支援する皆様も、「ひいきの引き倒し」にならないよう、これまた大いに成長していただきたいと思うけふこのごろです(笑)。←いまのところ引き倒しになりそ~