世の中には、いろいろな
- おまじない
- スローガン
- おだいもく
- じゅもん
- モットー
がありますね。
宗教系になると
どうしても自分とは異なる異教徒の「おまじない」のたぐいを、排斥、差別、忌避(きひ)する傾向があります。自分の宗教が世の中で一番正しいのですから当然ともいえますが、しかしそれが世界の対立を激化させていると思います。
信じている人は使うけれども、信じていない人は使わない。日本人の私たちは、この、あいまいさ、鷹揚(おうよう)さ、二律背反でない広さ、を永遠に持ち続けたいものです。尊重はしながらも、とらわれない、拘束されない、という美点ですから。
過激派の乱射たてこもり事件が多いですね。
「テロ反対」にはもちろん賛成しますが、「テロ反対」だけではなく、そのために何をするか、なにができるか、がより大切で、それがないまま「自分の宗教しか認めない」となると、と永遠に宗教対立は続いてしまいます。
「戦争反対」にも同じことが言えそうです。ただ反対ではなく、そのために何を発言し、どう行動するか、ですね。「語り継ぐ」のは崇高な行為ですが、さらにもう一段高みへあがり、そのために何をするか、なにができるかに、思いを巡らしたいものです。なぜかといえば、「悲惨さ」を語り継いでいても、そんなのには何の価値もなく自分の利益だけが最優先される、という人たちが世の中では圧倒的に多いのですから。
異教徒に対する「尊重」の念がなく、ただ自分の宗教を最善とした上で言論の自由を叫ぶ人たちがいたとしたら、私には許せないあの過激派と同じように見えてきます。
「テロ」に屈しない、これは大切なことで、脅せばなんとでもなると思わせてはまずいでしょう。しかし、異教徒を排斥しながらテロに屈しないというのでは、再び悲惨な世界戦争への道が開かれるのでは、と危惧するのです。
- 家内安全 一般系
- ヤンバラヤン 紗梨系
- テクマクマヤコン 亜子系
- ちちんぷいぷい 伊丹系
- くわばらくわばら 雷電系
- ビビディ・バビディ・ブー 新出例羅系
- 鏡よ鏡 白鹿系
- 南無阿弥陀仏 冗談系
- 妙法蓮華経 北家系
- アーメン(エーメン) 湯田家・霧巣戸系
- アッラーフ・アクバル 椅子羅無系