誰にも醜聞があります。たとえそれが、事実であろうが、なかろうが(笑)。
「自分たちが常に差別されている」とのなりふり構わぬ叫びは「自分たちが常に差別している」ことの裏返しです。
もう60回に達そうとしているブログ記事「韓国の醜聞」シリーズは、まだまだ続きそうですが、このあたりでまとめておくのも悪くないかと思われます。
なぜ「韓国がヘン」に見えるのか、という難問です。もちろんそう見る人の視点にも注目しなければなりませんが、それはさておき、こういう風に言えるでしょうか。
世の中には
なるものが現実にあるようです。
わかりやすくいえば
- こうこう、という期待(又は無期待)をもって接していると、実際にそのようになってしまうことがある
- 予言しておいてからその予言が実現する方向で言動を繰り返していると、いつのまにか予言が現実になってしまうことがある
などというもので、これは、よくあることですね(笑)。
必ずしも良くないといわれる世界中の隣国関係ですが、韓国の場合やむを得ない事情があったとはいえ1000年以上にわたって、
日本は劣等民族であり、日本人は野蛮人である、という自己成就予言を韓国人は実践してきたため、もうこれが、いつの間にか「幻の現実」になっている
ようなのです。近年では憲法にさえ「反日」を明記するようになっています。
もちろん、これは気の毒な病状ですが
私はこれに対して、私なりに何かを表明するものの、かといって「反日」言動に怒り狂うようなことはありません。このあたりが正調韓国節と明らかにちがうところですね(笑)。
あらゆる人が、それぞれ独自の考えを持っているから、「それは違う」とだけ言っても効果がないことなど、わかりきっているからです。
よってその深層に迫り、原因を追及するしかありません。
大切なのは、
自分自身を見ることが、できるか/できないか
でしょうか。
- 自分の稚拙な思考でもって自分をふり返るのに留まるのか、それとも
- 他人の発言にも耳を貸してよく聞き、自分の頭で咀嚼(そしゃく)できるかどうか、
ということですね。
- この場合、別に、人の説に対して、無理に賛成する必要もないし、無理に反対する必要も、ありません。ただ人の話を聞いてみることです。そしてこれができない人がいます。幼児期からの教育が歪んでいる、としか言えません。人の話を聞いてはいけないのですから(笑)。
- 人の話を聞けるようになれば、幾分かは、自己成就予言への誘惑から身を守ることができるでしょう。
- これは日常的に、誰もがやりそうなことですから、注意深く観察していたら分るはずです。でも、わからないまま一生を終えるかたもいらっしゃるでしょう。
ただし付け加えたいのは、自己成就予言が「信念」へと変身し好結果をもたらすことが、希(まれ)にある、ことです。
- 例えば「オリンピックに出てメダルを取る」と自己に暗示をかける例が、自己成就予言の美談としてしばしば用いられます。テレビや雑誌の特集でよく見られますね。
- ただし多くの場合、これは単なる「事後の理屈づけ」つまり「こじつけ」に過ぎないことが多く、信頼性があまりありません。
- 事実と矛盾さえなければ何でも平気で言うのも「創造」の一つかも知れませんが、矛盾する事実を意識的に伏せていることが多く、私たちはだまされないように注意したいものです。
- くれぐれも、そういう「創造」を見聞きして、「ああ、そういう風にやれば成就するのか」と、マネをなさらないやうおねげーしますだ(笑)。
- オリンピックを夢見ていると必ずそれが成就する。そういう誘惑には、たとえそれが不良化防止の目的があるとしても、注意しなければいけないようです。
韓国人の
「日本民族は劣等民族であり、日本人は野蛮人である」
という1000年以上にわたる「反日」としての自己成就予言は、個人の信仰を超えて、多分に隣国を誹謗中傷することとなり「極めて悪質」としなければなりませんが、同時に韓国人に「自己成就予言」に注意を、なんて言っても、そのような高等な配慮ができるはずがない、とも言えますね。
幼い頃からの「信仰」を大切にしたいと思いますし、その信仰を本人に植え付けた周囲の人の努力も立派だと思いますが、99.9%失敗して悲惨な結果になったけれども、たまたまその「0.1%がうまくいった」からとそれを手放しで喜んではいけない、と思うのです。
皆様は、どうお考えですか。別に私の意見に賛成しなくてもけっこうですから、ご自分で考えるきっかけとしていただければ、望外の喜びです、ということにしておきます(笑)。