カンムリワシ、ワシは名ばかり、言うばかり

20年前探せばカンムリワシがいて、10年前そこにはカラスがいて、いま両方ともいません。よって最近ではそれ以外の話題に。

中国に関する醜聞 196 絶対

2017年02月19日 01時55分58秒 | アジア

本人が否定しようが、肯定しようが、誰にも醜聞があります。ここでは最近の「中国の醜聞」を集めてみました。必要な方のために出典も明示し、あればリンクさえ提示しています。

今回は「絶対」について。


 明治時代の人は・・・・・・自分を絶対化しなかった。

・・・・・・昭和初期の人たちは自分を絶対化した。:司馬遼太郎 NHK 1999/01/06 


18年前のNHKテレビからの引用で、相当ふるい記事です。

司馬遼太郎が指摘するまでもなく、世界は100年ほど前に比べてそれほど危険な時代ではなくなったにもかかわらず、中国共産党は富国強兵を喧伝し、同時に専制的に言論の自由を認めず報道を規制しなければ国内がもたないようです。ロシアと中国は、警戒すべき2大国であることに、間違いはなさそうですね。

司馬遼太郎の言葉を借りると、中国共産党が自分を絶対化しているのです。

おおこわ・・・・・・! 


 「日本で家電を買わない理由」に中国ネットユーザー反発=「日本で買ってるのは"製品"じゃない」「本当の理由は…」Record China 2015年12月12日


中国人による「爆買い」が

様々な理由によって少なくなってきましたが、いっときのブームだったんでしょうか。

ブーム頼みの意味は分るとしても、そんなのに左右されない「もの造り」を目指すことが、きっと本質なんでしょう。

  1. 中国人が秋葉原で爆買いして持ち帰り中国の税関を通過しようとする時、中国共産党政府がこれを「個人使用ではない」と判断するようになったようです。国家が関税を取るようになりましたが、幾分かは係員がピンハネしているのは当然でしょうか。実際、転売して旅行代金を浮かそうとする連中が多かったので関税を取られるようになり、「爆買いの甘み」がなくなり、徐々に減ってきたのでしょう。かつては両手に炊飯器をかかえるという不自然な買い物だったので、私はそうとう前から「これはお土産の類ではなく間違いなく転売目的だ」と言ってきました。
  2. 中国得意のパクリ技術が発達してきたのでしょう。全体の性能までもが似てきたかどうかは分かりませんが、日本製そっくりの製品を作れるようになり、「日本の炊飯器はおいしく炊けるという宣伝が間違っていた」と言いたいのでしょう。しかし私の考えでは、そもそも米の質が日本と中国とでは異なるため、そのまま日本で炊飯器を買って中国の家庭で使ってもおいしいとは言えないのではないか、と予想していました。ただし中国産のものは信用できないとする中国人が、「中国のスーパーで日本産の米を買い日本製の炊飯器で炊く」のなら話は違ってくるでしょう。
  3. 「金儲けだけを考える人たちが造る自国中国製品には信頼性がない」という意味では、爆買いに走る価値があったのでしょう。記事でも、日本製の炊飯器には、発がん性の塗料を塗っていない、などが見られました。
  4. さらに記事では電源の問題を指摘し、110V仕様のものを中国の220Vでそのまま使おうとする「無知な人」もいるし、性能のいい日本製と言えども絶対に壊れないとも言えず、その場合近くの電気屋に修理を頼むことになり、そうなれば中国製になるらしい。これを聞いて思い出しました。日本やヨーロッパの技術を導入して中国の高速鉄道が実現しましたが、少しいじるだけで中国製となり「特許を申請する」などというど厚かましさは、こんなところから来るのかも知れません。電気製品でも少し修理すれば中国製になるのですから、高速鉄道も少し変更しさえすれば中国製となり、特許を申請する権利がある、となるのでしょう。ばかげた発想ですね!
  5. これとそっくりなのが韓国であることは皆様よくご存じの通りで、日本からパクった韓国が、そっくり中国にパクられたこともあり、中国・韓国が「パクリのない」普通の国になるのにさえ、もう100年はかかりそうです。これにウンザリしたのでしょうか、中国人が発明した漢字を日本がパクったけれども一銭も特許料を払っていない、などと時代錯誤なことをいう始末。ここでも中国・韓国が「法の不遡及」の原則を理解していないことが分ります。さらに言えば、自分たちが発明したはずの漢字を、中国本土では1950年頃から簡略化した簡体字へ変更しており、もう象形文字の影も形もなさそうです。ついでにいえば、朝鮮半島ではハングル混じりの漢字にすべきで、漢字を完全に廃止した北朝鮮は論外ですが、原則として漢字がみられなくなった韓国でも「抽象的な思考ができない」「同音異義語が多い」などと、問題は多そうです。
  6. また中国人が、日本から爆買いしてきても「炊飯器に付属している日本語の取説」が解せない、とも指摘しています。私は中国人たちが爆買いする製品を購入したことがなく、免税店で「110V仕様・日本語表記の取説つき炊飯器」が売られているのかどうかさえ、分かりません。私は220V仕様で英語表記(最近では複数国語表記も)の取説つき炊飯器」を中国人観光客が爆買していたと何の疑いもなく思っていました。あくまでも推定に過ぎませんが、爆買いの需要が多かったので日本国内用の製品を横流し、これが売られたのでしょうか。
  7. 中国での「日本製品を買わない」という、いわば不買運動については、日本へ行く金がないのを正当化しようとするだけではないのか、という声もあるようです。何かがブームになれば、ブームを否定する声が出てくるのも世の常で、それはそれでいいとは思います。しかし中国の場合、自分たちの生活の仕組みを変える「一党独裁の政治体制」の否定につながれば、これは独裁政権にとってはとても危険ですから、一転し厳しい暴力つきの弾圧をするだけのことです(笑)。 

政治がぼーっと大まかであれば、人民は素朴である。政治が厳しく細かいと、人民はずるがしこい。

災禍には幸福が寄りそっており、幸福には災禍がひそんでいる。だれがその窮極を知っていようか。

そもそも絶対的正常などないのだ。正常はまた異常になり、善事はまた妖になる。人々がこの相対の道に迷っているのも、まことに久しいことだ。

そういうわけで聖人は、方正であっても人を傷つけず、切れ味するどくても人を刺さず、まっすぐであってもそれを押し通さず、光っていても人の目を眩まさない。 :P.255 蜂屋邦夫「老子・荘子をよむ」(上)第58章 日本放送出版会 


2000年以上前の中国人が

「為政者がぼ~っとしていると国民は素朴だが、為政者が厳しいと国民はずる賢くなる」と言っていますが、まるで現代の中国共産党支配のことを言っているようですね。

つまり「中国共産党が厳しい」から「中国人はずる賢いのでした。

カラスのことを「賢い」という人がいたら、私は躊躇なく「それはずる賢いとも言います」と付け加えます(笑)。

尤も中国では、まともなことを言う人たちは中国の支配階級にはなれないようで、書物の中で「まともなことが書いてある」だけなんでしょう。これに気がつかず、「中国人には品性がある」とまったくの勘違いをしている日本人が多いのです。現実を見ないと、とんでもない勘違いをするようで、怖いことです。

中国では、その時代の為政者に近づくためには、「だましに長けた人」にならなければいけません。

現在の中国人は

中国共産党からさえ、だます事を考えながら生きているようです。「だませるのは賢いからであり、だまされるほうが愚鈍」は、儒教も中国国家も否定していないので、2000年もの長い間に世に蔓延してしまったのでしょうか。

こんな庶民を統率する中国共産党がいかに「あくどい」かは、想像できますね(大笑)。

こんな地域でまともな「法治国家が誕生する」なんてぇことは夢物語に過ぎず、あり得ないことなんでしょう。

まぁお幸せに!


中学校のときキムチを弁当のおかずに入れていくと、中国人や満州人の子どもたちから「こりやゲロを吐きそうな臭い匂いだな、おまえまたキムチを持ってきたのか」などとさかんに抗議された。そのためわたしは、他民族の子どもの前では、絶対キムチを食べないようになった。 

このような体験は、大学でもつねにつきまとった。中国人たちはキムチの匂いを好まなかった。日本に釆ても同じ研究室の同僚たちの中に、わたしが前日の夕食でキムチを食べて翌朝研究室に出てくると、臭いと必ず文句を言う人がいた。誰もがみんなキムチを食べながら生活する韓国人たちにはこのような経験はありえないし、おそらくそのキムチの匂いを感じないままに生きているはずだ。 

実際わたしも韓国に滞在すると、国会議員から農民にいたるまで、彼らの口もとから匂ってくるキムチの匂い、ぷんと鼻をつく悪臭に「やはりここは韓国だなあ」と実感することがたびたびあった。韓国人は異民族との接触がなかったので、キムチの悪臭がどれほど国際的に反感を買うのかよく理解できていないのだ。:P.34-35 金文学・金明学「韓国民に告ぐ」祥伝社黄金文庫平成17年5月25日(2000年)初版第7刷


人は誰でも

生まれ育った故郷から脱出して初めて、故郷の良さがわかるというものですね。また戻りたいかどうかは、別ですが。:歌ネット 

人は誰も ただ一人旅に出て
人は誰も ふるさとをふり返る

中国旧満州で朝鮮族として生まれ日本へやってきて、今では日本国籍をとっている金文学が昔の想い出を語っています。

確かに

「日常的に生ニンニクを食している人同士」では臭いなど気にならないのでしょうが、世界的には「そうでない人」が圧倒的に多いのでした。

しかし韓国人たちはさっぱり気にしていないようで、これは強みと言うべきか、恥ずべきことというべきか、視野狭窄症(しやきょうさくしょう)そのものですね。

別に何を食べても構わないのですが

外で「人に迷惑をかける」のが「当然の権利」とは言えず、避けなければなりません。しかし韓国人には、この人に迷惑をかける」の意味が分らないらしい。

そこに独善性、つまり「自分だけが常に正しい」が付け加わるともう手におえず「お幸せに」と祈るしかありませんね。そして「臭さ」にウンザリすると「差別した」と騒ぐ始末、本当に困った人たちです。

同じように

中国で生まれ育ち、弾圧に慣れてしまいそれが当然だと思い込んでいる人が、何の助言もなく海外に出たときに、ショックを受けるらしい。

中国人が韓国へやってきて、韓国人が韓国政府を徹底的に批判するのを聞いて、今までの自分の習慣と異なるため、非常に驚くようです。

韓国の場合、それが見せかけだけとはいえ、こうもおおっぴらに政府批判をするなんてことは、中国では絶対に不可能でしょう。

そんな中国人たちが、長じて金を得れば何とか中国共産党に入党するか、その支配下にある新聞社や企業に入社して、あの不可解な声明を出し続けるのですから、あのショックから考えると「ある意味では理解できる」というものです。

イスラム教徒もそうでしょうか。

空爆を避け難民として初めて国外へ脱出したのはいいとしても、中には、イスラム教徒ばかりの中で育って難民となってヨーロッパへ住みついて初めて周囲に「異教徒(キリスト教徒)」がいることを知りショックを受ける人、がいるようです。

知らずに来た異国の空で、自分たちと習慣が異なる人を目の当たりにして心は千々に乱れ「絶対にこの人たちを理解できない」となってしまい、ある人は自暴自棄になり、過激派の扇動に同調しはじめ「テロを起こす遠因になった」のかも知れません。

少なくとも言えることは、教育を受けて事前に知っていたとしても大変なのに、知らないままやってきた人は、さぞかしショックを受けたに違いありません。

私たちは、このような人たちも含めて、宗教対立の現状を考えねばならないようです。 


さてさて、皆様はどう思われますか。