北欧の若者が悩んでいるそうです。
幸福な北欧ノルウェーで急増する「うつ世代:鐙麻樹 2020/2/16(日) 17:33
ノルウェーでは
大人たちは幼いころからスマホに慣れ親しんでいなかったのに、今の人たちは幼いころからスマホに慣れ親しんでいるのです。
どこにでもある悩みですが、だからといって
- ギャップがあるからとあきらめる
- 大人たちが今スマホに浸かること
というものでもないでしょう。
しょせんは時代が異なるものだし、世代のギャップはあるものです。
その世代間ギャップが
- 目立つ
- 目立たない
か の違いがあるだけと思われます。
それは
- 取り決めがない時代と取り決めがある時代
- 混乱期と平穏期(黎明期と安定期)
- 戦争期と平和期
- 違いはあれど、共通しているのは「同じ言葉」
こういうのが、世代間のギャップなんでしょう。
新しい機器が登場し環境が変われば
- それ以前とそれ以降とに分かれます
- 人間が進歩すれば、必ず新しい機器が登場
- 時代や機器や環境が同じでも、人は小さな違いを見つけ「大きな世代ギャップだ」だとします。
- これは「10000人の中の1割が異端者だとして排除」しても「残り9000人の中にも必ず1割の異端者が出てそれを排除」しなければなりません。もちろんその1割を排除しても、残りには1割の異端者がいます。
- 異端者のほうもそうで、1000人の異端者がいても、必ずその1割ほどは異端者なのです。
- 結局人は、高等動物である限り、いつまでも異端者をかかえていなければならないのであり、きりがないのです。
いっそのこと
「異質性の中で同一性を求める」
という人間の本質を肯定しませんか。それが世代間ギャップを克服する道だと信じて。
同じ人が、ある場合に異端者になり、ある場合には同一者になるのです。
それに悩むほうが、自分が加害者の側に立って「誰が異端者であるかと被害者を探す悩み」よりは健全だと思われるのです。
「排除」したり「隔離」することにはそれだけの意味があるのですが、一方で必要なら勇気をもって「隔離」しなければなりません。
そしてそれが終われば、もとの「異質性の中で同一性を求める」という健全に戻りませんか。
1つの解決方法ですが
ある限られた落語ではなく、いろんな種類の落語を聞くことですね(笑)。
自分とは異質な世界をも知ること、でしょう。
そして「異質なものに自分が適応しなければならない」というものではなく、「身近に異質なものがある」という意識をもつことがより健康的に過ごせる秘訣なんでしょう。
ノルウェーから、違う話になったようです。
さてさて、皆様はどう思われますか。