乱射があったとき
問答無用で射殺する国(死刑廃止国?)
立てこもりがあったとき
射殺より投降させようとする国(死刑存続国?)
これが「死刑をめぐる対応の差」でしょう。
私の疑問は
射殺は死刑に等しいのではないか
射殺 ≒ 死刑
というものです。しかし現実には・・・・
死刑は残酷だとし、残酷な射殺を支持するのです。
こういうのを聞くと
「血のしたたる牛肉をほおばりながら、なおかつ真っ赤なリンゴを頭だけの牛の口にくわえさせる」という残酷さに平気な人
なのに
「目をぎょろっとしてこちらを向いているタイの姿焼きを平気で食べる」という野蛮さを忌避する人
がいることを思い出すのです。
習慣とは恐ろしいもので「自分の残酷さが分かっていない」のでしょうね。
一般的に言えば
死刑制度を廃止した国で射殺が多いのです。
そもそも乱射する銃を野放しにしているのが問題でもありますが・・・・。
もしも
-
- 国が「死」を執行するのが間違いならば
- 警察が射殺で「死」を執行するのも間違い
と言えます。
こう言うと、射殺は現行犯なのでやむを得ないと言うのですが、本当にやむを得ないのでしょうか。
短期的視野にたてば
犠牲者をそれ以上増やさないために射殺も止むを得ないでしょう。
しかしそれは、犠牲者を増やさないために拳銃を常時携帯させるというどこかの国と同じで、拳銃を常時携帯させることで乱射の危険を増やしています。
無法地帯と化す恐れがあります。
一方、長期的視野に立てば
そもそも銃を野放しにしていることに問題がありますが、射殺することが乱射の危険を増やしていることになる、と気付くかも知れません。
射殺されることを望んで銃乱射をする人間がいたとすれば、射殺も止むを得ないではないか、死刑廃止とは別の問題だ、としますか。
そもそも銃を野放しにしていることに問題があり、それが「射殺も止むを得ない・別の問題だ」議論になります。
ただし一部の人に許可を与えているので、そんな犯罪はあり得ないとするものではありません。
要は「射殺されることを望んで、銃乱射をする人間」を、できるだけ少なくすることが必要でしょう。
死刑制度を廃止した国では
無期懲役などに格下げされるのでしょうが、それで凶悪犯罪が減ったという話は聞かず、それだけが原因ではないとしても、むしろ増えてきたかも知れません。
とは言っても私は
廃止した国に対して「死刑を復活させよ」と主張しているのではありません。
そうではなく「問答無用とばかり射殺する」のに異議を唱えているのです。
射殺に反対ならは、きっと死刑を望んでいるのだろう、とするのですが、極めて悪質な犯罪以外で「射殺に疑問をもってほしい」というものです。
むしろ「はやく決着させたい」ために射殺を選んでいるのではないか、とさえ思われます。
とにかく
やたらと銃を野放しにしていることだけは、やめなければなりません。
さてさて、皆様はどう思われますか。