日本列島の「自虐史観」と朝鮮半島の「妄想史観」・・・・
「自虐」は力が強い:中央日報日本語版 2021.04.02
韓国中央日報の記者が
「実際の私ははるかに素晴らしい人なのに」
とするだけで、十分「うぬぼれ」の民族性が出ています。
自分のことを自分で「好」判断してはいけません。
自分のことは「他者」が判断するのです。
被害妄想でしょうか
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- 朝鮮半島では「侵略戦争を壬辰倭乱」とし
- 日本側は「朝鮮出兵」とする
朝鮮半島では
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- 自国が不利になることを絶対に口外しない
- しかし、そういうことを日本側に要求する
- 自分が「使わない言葉」を、「日本に使うよう要求」
論理以前の被害妄想史観ですね。
韓国では「事後法」が有名で、これを「うまく活用」します。
「侵略された側でないと意味が解らない」とこれに同調する人を利用しています。
全てを「左右論争の愚」に落とし込んでいるのですね。
共通の歴史教科書などできるはずがありません。
なぜかと言うと、 歴史 という言葉1つにしても
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- 時の政権が自由に定義 する中国朝鮮半島
- 後世の批判に耐えうる 史観を目指す日本
が対立しています。
この違いを「中国~朝鮮半島」では、教育的によ~く説明していません。
少なくとも、いきわたらせてはおらず、この不確定な定義のもと、各種論議がなされているのです
韓国では「歪曲」というのを
「自分の説に賛成しない」という意味でとらえていて、「ケンカ言葉」でした。
あくまでも「敵を打ちのめすだけの目的」をもった「歪曲」なんでしょう。
つぎと、大きく違いますね。
柏楊(ポーヤン)は「醜い中国人」で
ヴォルテール(1694-1778)が「私はあなたの主張には反対だが、あなたの言論の自由は、命をかけても守る」
と言ったとしますが、こちらでは、本人の言葉ではないらしい。
2020/05/14 ドイツ国営放送へ、当時の韓国外相康京和が
「プライバシーは重要だが絶対的権利ではない」
と言ったらしいのですが、自由とかプライバシーについての重みが感じられません。しょせん「28年」の呪いでしょうか。
「28年」とは私の言葉でして、軍政を離れた1993年が民政化元年として2021年でまだ28年、1世代経過したかどうかでした。
そう、韓国(朝鮮半島の南半分)では、まだ軍国主義なんです。そんな程度の文在寅が大統領なんですから。
4年目に入り5年間で再選を禁止されている韓国で、国民はあと1年、文在寅の暴政に耐えられるかどうか・・・・
韓民族の発する言葉に、まったく意味はありません。
「歪曲」もまた、その範囲にある言葉でした。
残念ながら
こんな朝鮮半島社会に明るい未来などないでしょう。静かに最悪へ突き進むだけです。
最後に、報復しているつもりの言語に
すでに日本語の思わぬ影響がありました。
文化交流というのは、つねに一方通行ではなく、相互的なものであることを忘れてはいけません。中日文化交流、ことに近代以降は師弟関係の逆転により、中国が日本から絶対的影響を受けてきました。漢字が中国から日本に伝わったことは事実ですが、近代以降は、日本が漢字で作った新造語が、日本から中国に大量に逆輸入されました。
1911年の『普通百科新大詞典』、一九一五年の『盲人瞎馬之新名詞』や、1958年高名凱(こうめいがい)、劉正たん(土ヘンに上下に「火」が2つ:りゅうしょうたん)共著の『現代漢語外来詞研究』『現代漢語中従日本借来的詞彙』などによれば、近代の中国語が言語・文字・政治・経済・軍事・科学・教育・法律・風俗・礼儀・文化から、きわめて普通の日常用語にいたるまで、あらゆる分野で日本の大きな影響を受けてきたのは、紛れもない事実です。たとえば、実例を挙げてみましょう。
歴史・民族・国家・宗教・信用・自然・侵略・手続・取締・取消・引渡・目的・宗旨・代表・代価・現金・譲渡・国際・排外・基準・場合・伝統・継承・基地・原索・要素・学校・学生・警察・派出所・憲兵・検査官・写真・法人・保健・常識・強制・経済・同化・幹部・鉛筆・出版・支配・公敵・哲学・理想・作用・新聞・図書館・記者・社会・主義・野蛮・発起・革命・思想・運動・計画・金融・交通・現実・会話・反対・原則・人道・演説・文明・広場・人民・意識・工業・論文・解放・開放・進歩・義務・意思表示・債権人・重婚罪・損害賠償……。
日本に賠償を求める中国は、日本から「賠償」を学んだのです。
「化」という字をつけて、形や性格、変更を表わす言葉、「民主化」「革命化」「現代化」「機械化」「科学化」「世界化」も日本語から採り入れました。
「性」「式」「率」「型」「観」「力」「界」がついた単語も、すべて元は日本語であり、「形式的」「科学的」「民族的」という「的」も日本からの逆輸入です。
当時、あまりにも膨大な量の新名詞(新造語)が中国に流入したので、中国の知識人の中では、中国語自体が日本語になるのではないかとの不安を感じた人も多かったようです。清末の政治家で日本留学の必要性を主張した開明派の張之洞すらも、ある書類に「新名詞を使用しないように」と書いたところ、幕僚の一人で著名な学者がすかさずアドバイスしました。「『新名詞を使用しないように』の『名詞』がすなわち立派な新名詞です」と。:P.210-212金文学「中国人による中国人大批判」祥伝社
さてさて、皆様はどう思われますか。