Broken Flowers …はうはう河馬の脂肪遊戯

いらっしゃいませ。お独りさまで?どうぞお好きな席に。

2025-01-16(木)…第24首…2日目「このたびはぬさもとりあへず手向山もみぢのにしき神のまにまに」菅家

2025年01月16日 | 小倉百人一首
 


06:30 ホテルの朝食。がっつり食べる。










1)京都御所

今日は京都御所へ向かうことにした。
御所って予約いらないんだね。
9時開場ってことだったんで
京都駅から地下鉄で今出川駅まで行き
6番出口か出て京都御所へ向かう。

到着時刻は8:55くらい。
混んでるのかと思ったが
俺の前に3人の外国人さんがいるくらいで空いていた。




9:00 開場 
職員さんから簡単な手荷物検査を受け、
番号札をいただき、札を首からかけると、自由散策できるみたい。
以前行った仙洞御所の見学の際には
訪問者ひとかたまりごとにガイドさんがついて説明してくれたので
京都御所が自由散策だったことにがっかりしたんだけど
休憩所の看板に「9:30 ガイドさんによる案内」とあるのを見つけ
時間まで休憩所界隈で時間をつぶしすことにした。









9:30 粋な帽子と黒いコートをまとった宮内庁の職員の方による京都御所ツアーに参加。
職位さんの見事な説明のおかげで、楽しく、あっと言う間の1時間の見学ツアーだった。
それにしても、紫宸殿の大きさにびっくり。
でかいでかい。












そしてお目当ての清涼殿。
遙か昔の平安時代、ここに雷が落ちて公卿たちが右往左往していた様を想像し
広い御所の、よりによって、ここ清涼殿に落雷するなんて、
そりゃあ、祟りだと思っただろうなあ…と妙に感慨深くなってしまったり。笑。
そして、今日は雷は落ちてはくれないんだろうか…と不謹慎にも思ってみたりしたけれど
期待どおりには行くはずも無いし
なんてたって、現代だもの、避雷針のひとつやふたつ、設置されているのが当たり前。
ご安全に、なのだ。













あ。
清涼殿の前に広がるお庭は、白い砂利が敷き詰められているだけで、
清廉としていて、凜とした、緊張した感はあったけど、殺風景だったので
天皇の日常のお住まいにしては、ちと寂しい風景だったのではなかろうかと考えてしまいました。
念願の清涼殿、訪ねることができて最高でした。


























御所の門
















2)菅原院天満宮神社
京都御所の、道をはさんだ西側にある、
菅原道真及び道真の祖父並びに道真の父の3代を祀った神社であり、
道真が生まれた霊地であるという。

あれ?
昨日、訪れた管大臣神社にも、(見られなかったけれど)道真出生の井戸があったけど、
この菅原院天満宮神社にも、「出生の井戸」がある…?
んでもって、菅大臣神社にあった「菅原邸跡」の石碑もあった。
すげー。














3)吉祥院天満宮

京都駅まで戻り、市バス42号で15分ほど。
けれどこの42号、1時間に1本ほどしかなく
地理に疎い俺はほかの路線で行くことも考えられず
(ほら、なるべく近いバス停で降りたいし。)
結局、30分ほど待って42号に乗車。
42号だったら、そのものズバリのバス停があるみたいだから安心。

で、
「吉祥院天満宮前」で下車。
徒歩5分。
妙に歪んだ橋を渡ると、そこは吉祥院天満宮。






ここには、菅原道真のへその緒を埋めた塚があるそう。
ぐるっと見渡すと、朱色に塗られた塀に守られた塚が垣間見えた。




そして、道真公出生の井があった。
これで出生の井戸、三つ目だ。
うーわ。
三つ目。
じつは、菅原道真は3人いた説?w
じつは、三位一体で行動していたとか説?っw
どこが正しくでどこか騙っているということでなく
つくづく道真という方は、徳があった方だったのだろうなあ。
1000年経った今でも、こんなにみなに頼りにされてるんだから。




そして
道真が朝廷に行く前に姿を映したという鑑の井。
もちろん、当時のものではなく社伝から模した物







そして
菅原院南庭七男畠跡碑。





この碑に係る京都市のデータベースは下のURLをクリック
https://www2.city.kyoto.lg.jp/somu/rekishi/fm/ishibumi/html/mi012.html

吉祥院天満宮社伝によれば,この地は,菅原道真(845~903)の曽祖父古人及び祖父清公の所領であった。
延暦23(804)年に遣唐使として渡航した清公が,吉祥天の霊験を受け,帰朝後この地に仏堂を造り,吉祥天を安置した。
道真は,承和12年6月25日この地七男畠という所で誕生し成育されたという。
この石標は,菅原院南庭七男畠跡を示すものである。
京都市のデータベースから引用


んでもって
文章院聖堂御蹟碑。

「佛教大学教育学部学会紀要 第17号(2018年3月)京都市域に所在する『教育碑』についての総合的考察(一)
(教育碑に関する実地調査結果とその分析) ̶̶教育学科 生田)氏によると、
「菅原道真(845 ~ 903)の祖父・菅原清公(770 ~ 842)によって,833 年に開かれた文章院聖堂跡を示す碑。
文章院は,大学寮におかれた紀伝道の教育機関であるが,大学寮が現在の二条城付近に位置したことから,
文章院がこの地にあったとは考えにくく,菅原家の私的な学問所・聖堂と推察される。」とのこと。
この研究結果は、ググると見つかるんで探してみてね。





で、石碑が壊れて何が書かれていたのか判読できないものもあった。
勿体ない…。
でも、こうやって、壊れ、消えていくことで、歴史は、時間の中に埋もれていくんだろうなあと思うと
なにやら、じーんとするものがある。




そして、こういう石碑についても、ちゃんと研究され、そして考察等が公開されていることに驚いた。
さすが、京都、なのだ。



あ。
こんかい再認識したんだけれど
道真さんを祀っているところは、みんな天満宮と称するんだね。
ググってみたら
天神さん(雷神さん)を祀る神社を天満宮というらしく
清涼殿に雷を落としたとされる道真さんは天神さんなので
道真さんを祀る神社は天満宮と言われるらしい。
てことは、もしかすると、道真さん以外の天神さんを祀っている天満宮もあるのかしらん?

などと取るに足らないようなことを考えつつ
帰りは徒歩でJR西大路駅へ。




そこから電車で京都は一駅。

伊勢丹に寄ってお土産なんぞを選び~の
(いや、このお土産を選ぶってすきなんだけど)
少し早めのお夕飯をポルタで食べ~の、
で今日のミッション終了。








さ。
酒も飲んだし寝るとします。
おやすみなさいませ。