Broken Flowers …はうはう河馬の脂肪遊戯

いらっしゃいませ。お独りさまで?どうぞお好きな席に。戯れ言、繰り言、かあるくかるく。

2024-06-05(水)…第14首「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」河原左大臣

2024年06月05日 | 小倉百人一首






京都。
いつものとおり始発の新幹線で到着。



今日は、京都駅から滋賀県の堅田駅に向かう。
堅田駅からバスに乗りバス停「南庄」で下車。
そこから、15分ほど歩き、目的地の「融神社」に着いた。









バスだが、9時20分南庄「着」のバスでたどり着かないと
次の10時20分南庄「発」のバス(しかも平日のみ)に乗れない。
10時20分発のバスを逃すと、次のバスは3時間後の、午後1時…(^_^;
まあ、ここから堅田駅まで歩けない距離ではないが、1時間20分ほどかかるようだ。













平日の境内は静かで、俺以外人はいない。
参道を歩き、神社に詣でる。
二つのお社にお参りして深呼吸。
この神社は、源融(みなもとのとおる)を祀る神社だそうで
あの源氏物語の光の君のモデルになったと言われているお人だそう。















百人一首 第14首
「陸奥のしのぶもぢずり誰ゆゑに乱れそめにし我ならなくに」河原左大臣
この河原左大臣が、源融のことだそうで。

二つ並んでいたお社、
どちらが、どなたのお社なのか、わからなかった。
周囲を見回しても説明を記した看板はないようだった。

百人一首に選ばれている歌人が
神となって祀られている神社があちこちにあるけれど
藤原道長は、なぜ神様にならなかったのか…不思議。
どこかにあるのかなあ…。



















帰り、南庄のバス停で、同じようにバスを待っていたご婦人とバスが来るまでお話ができた。

堅田駅周辺に訪れるべき場所があるかと尋ねると
1)浮御堂を、みなさん、訪ねる。
2)湖族資料館も人気がある、とのこと
どうやら、堅田は、湖族と呼ばれる人々が生活を営んでいた場所らしい。

俺が、NHKの「光の君へ」を見ていると言うと
3)それなら、石山寺へも行かないと…
とのことだった。

今日は、融神社以外は予定もなかったんで、ご婦人に教えてもらった場所を訪ねてみることにした。


10時20分 南庄発のバスで堅田駅へ帰る。
堅田駅でバスを乗り換えて、浮御堂まで行った。








浮御堂までに行く途中、見かけた寺社に立ち寄った。

本福寺













伊豆神社
伊豆神社っていう名称が珍しく感じたけど…静岡県の伊豆由来?と考えたけど
どうも、そうではないみたい。












浮御堂
















どういうわけか、高浜虚子の句碑が、湖の中に建てられている




妙盛寺
帰り道、案内板があったんで立ち寄った。












バスで堅田駅まで戻り、
そこから石山寺まで電車を乗り継ぐ。



JR湖西線 堅田駅→大津京
京阪大津京→石山寺
そして、駅から800m徒歩。
暑いので、ゆっくり歩く。











石山寺
このお寺で紫式部は源氏物語の着想を得たらしい。
源氏物語を綴るときに使った「硯」も残っているんだとか。
マジ?




石山寺の門前では、落語?が行われているようだった。











参道を歩いて行くと
牛車が飾ってあったり








光る君への特設会場に入ってみた。












会場を出て
参道を進むと、階段。







階段を上りきると境内が広がる
























この部屋で紫式部は源氏物語を書き記したらしい。
本堂の一等地。(^_^;
ここを貸し切りにして使っていたのだろうか…。






大友皇子を祀ったお社がありました。















紫式部像…光堂を下ったところにありました。
お寺の入り口からけっこう遠い…。

















さ、帰ろう。
暑くて、汗でベタベタ。




石山寺から石山で乗り換えて京都へ。
駅前の地下街ポルタで焼き鳥。





さてと
寝ます。









とりあえず、ここまでで、日記を一旦UP。
加筆訂正で、まだまだ続く…(^_^;









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