生き方を変えたかったら
今までしなかったことに挑戦するとか
怖いと感じることを思い切ってやってみるとか
言われるのですが
これまで自分は何が怖いのかあまりよくわかってなかった。
やりたいことは大体してきたし
仕事の場では言いたいことをわりと言える方だったし
人には助言をすることが多かったし
我慢していることがあるのかどうかピンとこなかった。
自分個人の感じたことはあまり言ってなかった気もするけど
言っても伝わらないだろうみたいな思いがあったので
特に伝えたいとも思ってこなかった。
はたから見ても、大きな問題もなく順調に生きてきたとみられるはず。
わたしにとって
心屋でいうところの「バンジージャンプ」が何かわからないままだった。
「ひとり」がわたしの標準装備かもしれないと気づいてから
もしかしたらわたしは「ひとり」でいることが怖かったのかもと思った。
いや、ひとりで平気で行動できてたよ。
旅行も高級レストランもラーメン屋もバーも映画もひとりで行ってた。
動物園だって水族館だって基本ひとり。
将来、孤独死してもかまわないと思ってるしね。
けどね、どこかでうっすら不安がってた気がする。
ひとりでいたら
「一緒に来る人がいなかったんだな」とか
「淋しそうな人」とか思われないかなって。
パーティーとか懇親会とか
大勢がいる場で自分のまわりだけ人がいなくなって
ポツンと残されるのが本当に辛かった。
それなら自分から混じりに行けよと言われてもできなかった。
混ざりに行ってそこでまたひとりになったら耐えられない。
大勢でバーベキューしたいとかさほど思わないし
映画は集中して物語に入り込みたいし
動物園だって水族館だって好きなところで何時間も過ごしたい。
だからひとりで行くのが理にかなってる…
はずなのに
リア充で仲間と楽しくやってます
コミュニティーですばらしい仲間ができました
みたいな人をなんだかうらやましいと思い
そんな風にできない自分はダメな人、みじめな人みたいに思っていた。
たまに友達を誘ってランチとかお茶とかもするけど
ぜひあの友達と会いたい! これを話したい! というよりも
たまにはそうした方がいいかな的な気持ちで誘っていたことがあったかも。
自分からも誘わないと誘われない気がしてたしな。
あれ?
自分の「したい」気持ちよりも
友達なら時々会って話すよねみたいな変なルールで動いてたのかな?
これも「我慢」の一種?
結局人の目を気にしてたってことか。
笑える。
そう、わたしは放っておいたらどんどん「ひとり」化して
誰からも誘われなくて人気がなくて
気づかってももらえないということが周りにわかってしまい
「淋しい人」「みじめな人」「愛されない人」の烙印を押されるのが怖かったのかもしれない。
誰もそんなこと気にも留めないのに…
人はひとりで生きているんじゃないし
わたしだって完全にひとりではないのは承知しているけれど
わたしに今必要なのは「ひとり」を拒絶しない、責めないことだと思う。
わたしのバンジージャンプは
「ひとり」を認めて、許可して、極めて、楽しむことかもしれない。