昨日、とんぼ池公園に行き、いつもはこの広~い公園を
のんびりゆっくり散策するのだが、この日は水仙だけを見て、
早々に引き揚げる。
そして次に向かったのは岸和田城。初めての訪問だ。
1969年に復興されたという城門をくぐる。
天守閣は1954年に復興。
築城は定かではないが、豊臣秀吉が根来、雑賀衆攻めの際、この城に入ったこともあるという。
その後、江戸時代には松平家が二代、そして1640年岡部宣勝(徳川家康の妹の子)が入封し、
明治の藩籍奉還まで岡部氏が13代にわたって治めたということだ。
天守閣から東の展望。
すぐ下は岸和田高校。その向こうには和泉葛城山が見えるらしいのだが
この日は春霞と言うのだろうか…視界はよくない。
西側には大阪湾から淡路島、明石大橋なども見えるはずなのだが…
天守閣の前には「八陣の庭」と名付けられた岩と砂で表現された庭。
これは昭和の庭園設計の第一人者、重森三玲氏の作。
有名な東福寺の方丈庭園や大阪城豊國神社の庭を造られた方だ。
上から見ることを意識して作られているようだ。
二月だと言うのにまったく寒さを感じない陽気に
天守閣からの眺望もゆっくり味わうことができた。
濠の回りには桜の木も多く、お花見の頃は大いに賑わうのだろう。
のんびりゆっくり散策するのだが、この日は水仙だけを見て、
早々に引き揚げる。
そして次に向かったのは岸和田城。初めての訪問だ。
1969年に復興されたという城門をくぐる。
天守閣は1954年に復興。
築城は定かではないが、豊臣秀吉が根来、雑賀衆攻めの際、この城に入ったこともあるという。
その後、江戸時代には松平家が二代、そして1640年岡部宣勝(徳川家康の妹の子)が入封し、
明治の藩籍奉還まで岡部氏が13代にわたって治めたということだ。
天守閣から東の展望。
すぐ下は岸和田高校。その向こうには和泉葛城山が見えるらしいのだが
この日は春霞と言うのだろうか…視界はよくない。
西側には大阪湾から淡路島、明石大橋なども見えるはずなのだが…
天守閣の前には「八陣の庭」と名付けられた岩と砂で表現された庭。
これは昭和の庭園設計の第一人者、重森三玲氏の作。
有名な東福寺の方丈庭園や大阪城豊國神社の庭を造られた方だ。
上から見ることを意識して作られているようだ。
二月だと言うのにまったく寒さを感じない陽気に
天守閣からの眺望もゆっくり味わうことができた。
濠の回りには桜の木も多く、お花見の頃は大いに賑わうのだろう。