神無月二日。天川から神戸へ。
墓参のため神戸へ移動しました。
友人達と久しぶりに会うことができました。
18年余りの時間も昨日のことのようです。
平成14年5月、44歳で亡くなった友人は
日中はいつものように「コープこうべ」の
店舗で働き、いつものように大好きなお酒で
一日を締めましたが次の日の朝、床の中で
まさに眠るように旅立ちました。
平成7年の震災後、同年3月から2年間
出張派遣の地を姫路に定めて神戸やその周辺の
コープこうべ事業所の復旧復興活動の任に
あたりました。
「創造的復興」を掲げたコープの取り組みは
地域や行政から理解支持され、震災で傷ついた
街のともしびのような存在でした。
▲コープ西明石
コープ西明石店は当時の派遣先の店舗で
中規模の店舗にも関わらず一日6000名超の
来店客を迎え、公私ともに多忙で濃密な時間を
過ごしました。
基本的なレイアウトは変わらないものの
時代にあったリニューアルを施されていましたが
職員の制服は当時も今も変わらず
バックヤードや店周辺の畑や駐車場も
当時のままでした。
葬儀に参列し
納骨後の墓参りに行ったっきりの疎遠を
詫びつつこころを込めて心経を奏上しました。
微かな印象ですが
友人の懐かしい笑顔が伝わってきました。
生きる時間は人それぞれですが
過去を変えることはできないし
未来を予想することも出来ません。
在るのは目の前の「今」だけ。
そして在ると思っていた今も一瞬で過去になる。
友人の微笑みは
「今を楽しんで生きなきゃ!」
というメッセージだと直観しました。
▲奈良大峯山からの日の出(天川村韋駄天社山頂)
墓参のため神戸へ移動しました。
友人達と久しぶりに会うことができました。
18年余りの時間も昨日のことのようです。
平成14年5月、44歳で亡くなった友人は
日中はいつものように「コープこうべ」の
店舗で働き、いつものように大好きなお酒で
一日を締めましたが次の日の朝、床の中で
まさに眠るように旅立ちました。
平成7年の震災後、同年3月から2年間
出張派遣の地を姫路に定めて神戸やその周辺の
コープこうべ事業所の復旧復興活動の任に
あたりました。
「創造的復興」を掲げたコープの取り組みは
地域や行政から理解支持され、震災で傷ついた
街のともしびのような存在でした。
▲コープ西明石
コープ西明石店は当時の派遣先の店舗で
中規模の店舗にも関わらず一日6000名超の
来店客を迎え、公私ともに多忙で濃密な時間を
過ごしました。
基本的なレイアウトは変わらないものの
時代にあったリニューアルを施されていましたが
職員の制服は当時も今も変わらず
バックヤードや店周辺の畑や駐車場も
当時のままでした。
葬儀に参列し
納骨後の墓参りに行ったっきりの疎遠を
詫びつつこころを込めて心経を奏上しました。
微かな印象ですが
友人の懐かしい笑顔が伝わってきました。
生きる時間は人それぞれですが
過去を変えることはできないし
未来を予想することも出来ません。
在るのは目の前の「今」だけ。
そして在ると思っていた今も一瞬で過去になる。
友人の微笑みは
「今を楽しんで生きなきゃ!」
というメッセージだと直観しました。
▲奈良大峯山からの日の出(天川村韋駄天社山頂)