

今日はカルタ大会。
昨年末に、サンタさんにプレゼントをしてもらったカルタを使って行いました。
さくら・ちゅうりっぷさんは各クラス男女別。
ことり・こぐまさんはクラス別で男女混合で行いました。
どこのクラスも白熱した戦いが繰り広げられておりました。
こっちでは、なかなか取ることが出来ない子に譲ってあげたり、あっちでは1枚のカードに5人の手が重なり合って一触即発だったり・・・ そのあたりは仲裁に入りながら・・・
なかなか真剣勝負になると意外な一面が出たりで、見てる大人の方が楽しくなってしまいます。
皆さんのご家庭での練習の様子などもお聞かせ願えたら嬉しいです♪
ちなみに我が家では、取ることが出来なくてもぐずらない練習の方が多かったような(笑



鬼のパンツはいいパンツ~♪
今日も元気に目覚まし体操!

2年前の運動会で、めざましテレビでやっている「目覚まし体操」を踊りました。
それ以来度々踊っているこの体操の元になっている曲は「手のひらを太陽に」。
小さい頃からなじみのある曲で、小学校の時もよく歌った気がします。
数年前に富良野のアンパンマンショップに行ったときのこと。
ショップの二階、アンパンマンの作者、やなせたかし先生の絵が沢山飾られているギャラリーに、この歌の歌詞が飾られていました。
「懐かしいなぁ… でもなぜここに???」
『ぼくらはみんな生きている
生きているから歌うんだ
ぼくらはみんな生きている
生きているから悲しいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば…
やなせ たかし 』
私はそこで初めて、この歌は’やなせなかしさん’が作ったことを知りました。
それから数年たって、まさか幼稚園にアンパンマンワールドが誕生するとは。
そして原画が幼稚園で公開になったり…
なかなかないタイミングですよね。
青組の音楽会練習風景


2年前の運動会で、めざましテレビでやっている「目覚まし体操」を踊りました。
それ以来度々踊っているこの体操の元になっている曲は「手のひらを太陽に」。
小さい頃からなじみのある曲で、小学校の時もよく歌った気がします。
数年前に富良野のアンパンマンショップに行ったときのこと。
ショップの二階、アンパンマンの作者、やなせたかし先生の絵が沢山飾られているギャラリーに、この歌の歌詞が飾られていました。
「懐かしいなぁ… でもなぜここに???」
『ぼくらはみんな生きている
生きているから歌うんだ
ぼくらはみんな生きている
生きているから悲しいんだ
手のひらを太陽に すかしてみれば…
やなせ たかし 』
私はそこで初めて、この歌は’やなせなかしさん’が作ったことを知りました。
それから数年たって、まさか幼稚園にアンパンマンワールドが誕生するとは。
そして原画が幼稚園で公開になったり…
なかなかないタイミングですよね。
青組の音楽会練習風景

やはり今年もインフルエンザが流行り始めました。
皆さん、予防接種はお済みでしょうか?
風邪かな?と思ったらインフルエンザと疑ってみてください。
音楽会の練習が始まったばかりなのに…
手洗い、うがいを忘れずに予防に心がけましょう!
皆さん、予防接種はお済みでしょうか?
風邪かな?と思ったらインフルエンザと疑ってみてください。
音楽会の練習が始まったばかりなのに…
手洗い、うがいを忘れずに予防に心がけましょう!
ときどき見学者の方から、保育室で子ども達がグループや個人で集中して活動している姿を見て、他の園では先生が中心になって、子ども達が同じ活動が出来ているのに、大勢のなかで遊べなくなりませんか?という声を耳にすることがあります。
たしかにモンテッソーリ教育は、まず個人を尊重しているため、通常の一斉保育よりも一人での活動が目立ちます。
しかしこれは決して他から孤立しているわけではありません。
こどもたちは、あくまでも自分自身の意志にしたがって、活動に集中しているのです。
そして何より、活動の中心は子どもであり、教師ではないということを認識しなければなりません。 教師の言うがままに同じ活動をすることだけが保育ではないのです。
モンテッソーリ教育では、一人一人が自立することを第一に考えます。
そもそもグループ活動とは、成長し自立した個々が集まって初めて、秩序あるものとなるからです。
ただ、見学者のその疑問は、全体活動であるホール(ひぶなの杜)での活動(リトミックやリズム遊び・ゲーム)を見て、可決されるようです。
実に子ども達は他との調和を保って、助け合い、活動が出来ているからです。
他にも、年長の子が年少のお世話をしている姿をみて感心していきます。
個を確立できたこどもは、自分の能力を生かして他との調和をはかり、より大きな社会での活動も克服していきます。
たしかにモンテッソーリ教育は、まず個人を尊重しているため、通常の一斉保育よりも一人での活動が目立ちます。
しかしこれは決して他から孤立しているわけではありません。
こどもたちは、あくまでも自分自身の意志にしたがって、活動に集中しているのです。
そして何より、活動の中心は子どもであり、教師ではないということを認識しなければなりません。 教師の言うがままに同じ活動をすることだけが保育ではないのです。
モンテッソーリ教育では、一人一人が自立することを第一に考えます。
そもそもグループ活動とは、成長し自立した個々が集まって初めて、秩序あるものとなるからです。
ただ、見学者のその疑問は、全体活動であるホール(ひぶなの杜)での活動(リトミックやリズム遊び・ゲーム)を見て、可決されるようです。
実に子ども達は他との調和を保って、助け合い、活動が出来ているからです。
他にも、年長の子が年少のお世話をしている姿をみて感心していきます。
個を確立できたこどもは、自分の能力を生かして他との調和をはかり、より大きな社会での活動も克服していきます。
あるお母さんの冬休みの体験談をご紹介いたします。
【冬休み前のお便りで、お手伝いの大切さを読みました。いざお手伝いと言っても何をさせていいのか分からず初日を過ごし、普段幼稚園に行っている息子は2日もすれば家での生活に飽きてしまいました。
しかし、3日目、私にとっては日常のことである「洗濯」をしていた時のことです。子どもが『おかあさんは、ぼくがようちえんにいっているときにせんたくをしてるの?ぼくもやってみたい。』 そう言い、洗濯物を干すのを手伝ってくれました。
最初はもたついた手つきでやっていた息子も、お便りの通り一度見本をゆっくり見せてあげると、その後は上手に出来るようになりました。物干しが高いところにあって届かなかったので、次の日からは低くしてあげると、楽しそうにやっていました。
それからというもの、私も息子もお手伝いの楽しさにとりつかれて、家のことを2人で楽しくやるようになりました。そして、言われないとすることがなかった片付けや歯磨きなど、身の回りことを積極的にやるようになったのです。
今までは何かと言い争いばかりの親子でしたが、充実した日々を過ごせました。今までは子どもの目線に立って接していなかったと反省しています。】
子どもは普段からお母さんのやっていることをよく見ています。そして、自分もやってみたいと思っているのです。
今回のケースは、いつもと違うお母さんの様子をみて、つい子どもから「やってみたい」と言ってくれましたが、普段、「あれはダメ、これはダメ、あなたがやっても遅いだけ、汚れるだけ」と言われ続けたら・・・
そのうち、子どもは’やりたい’という気持ちを口に出さなくなり、しまいにはやりたいという気持ちさえ芽生えなくなってしまいます。
日常の慌ただしい生活の中では、ついつい子どもの出来ることを取り上げてしまいがちです。大人の勝手な時間で過ごしてはいませんか?
子どもが’自分で自分のことを出来る時間’をつくってあげて見守ってあげることが大切です。
もしかすると、怒ったり・叱ったりでイライラすることが減り、このお母さんの用に以前とは違った親子関係が築けるかもしれませんね。
今日の園庭の様子


【冬休み前のお便りで、お手伝いの大切さを読みました。いざお手伝いと言っても何をさせていいのか分からず初日を過ごし、普段幼稚園に行っている息子は2日もすれば家での生活に飽きてしまいました。
しかし、3日目、私にとっては日常のことである「洗濯」をしていた時のことです。子どもが『おかあさんは、ぼくがようちえんにいっているときにせんたくをしてるの?ぼくもやってみたい。』 そう言い、洗濯物を干すのを手伝ってくれました。
最初はもたついた手つきでやっていた息子も、お便りの通り一度見本をゆっくり見せてあげると、その後は上手に出来るようになりました。物干しが高いところにあって届かなかったので、次の日からは低くしてあげると、楽しそうにやっていました。
それからというもの、私も息子もお手伝いの楽しさにとりつかれて、家のことを2人で楽しくやるようになりました。そして、言われないとすることがなかった片付けや歯磨きなど、身の回りことを積極的にやるようになったのです。
今までは何かと言い争いばかりの親子でしたが、充実した日々を過ごせました。今までは子どもの目線に立って接していなかったと反省しています。】
子どもは普段からお母さんのやっていることをよく見ています。そして、自分もやってみたいと思っているのです。
今回のケースは、いつもと違うお母さんの様子をみて、つい子どもから「やってみたい」と言ってくれましたが、普段、「あれはダメ、これはダメ、あなたがやっても遅いだけ、汚れるだけ」と言われ続けたら・・・
そのうち、子どもは’やりたい’という気持ちを口に出さなくなり、しまいにはやりたいという気持ちさえ芽生えなくなってしまいます。
日常の慌ただしい生活の中では、ついつい子どもの出来ることを取り上げてしまいがちです。大人の勝手な時間で過ごしてはいませんか?
子どもが’自分で自分のことを出来る時間’をつくってあげて見守ってあげることが大切です。
もしかすると、怒ったり・叱ったりでイライラすることが減り、このお母さんの用に以前とは違った親子関係が築けるかもしれませんね。
今日の園庭の様子


先日やっと雪が降ったとは言っても、なかなかそり山を作るまでの量ではありませんでしたが、園庭中や外の雪も運んで、小さいですがなんとか出来ました。
今後もっと雪が降れば、もう少し大きなそり山が作れると思います。
今夜、水をかけ固まったら完成です♪
新学期に向けて準備万端です。
先生方も明日、幼稚園連合会の研修に参加し、新学期に向けて改めて気を引き締めて参ります。
札幌の宮の沢にある、宮の沢さくら保育園にて2日間、10時から17時までびっちり研修会をして参りました。
講師のさくら保育園の園長先生とは、4年前にモンテッソーリ協会の全国大会で、北海道におけるモンテッソーリ教育について研究発表をして以来。
変わりなくお元気で、午前中の2時間強を休みなくお話。
午後も4時間近く、休みと言えば途中で「皆さんもお疲れでしょうから少し休みましょう」と2分休憩…。
地元札幌の方が多かったのですが、遠くは名寄、そして釧路から来ている受講者もいるので、それもあってか余す所なくお話くださったのではないでしょうか。
先生方も充実した時間を過ごせたようで、終了後の顔つきが少し変わっていました。


講師のさくら保育園の園長先生とは、4年前にモンテッソーリ協会の全国大会で、北海道におけるモンテッソーリ教育について研究発表をして以来。
変わりなくお元気で、午前中の2時間強を休みなくお話。
午後も4時間近く、休みと言えば途中で「皆さんもお疲れでしょうから少し休みましょう」と2分休憩…。
地元札幌の方が多かったのですが、遠くは名寄、そして釧路から来ている受講者もいるので、それもあってか余す所なくお話くださったのではないでしょうか。
先生方も充実した時間を過ごせたようで、終了後の顔つきが少し変わっていました。


親としてしつけなければならないことは山ほどあり、ついつい口やかましくなっていませんでしょうか。 私も親として、我慢と反省の毎日です。
約束ごとは、言葉に頼るあまり、親が身をもって態度で教えるという側面を忘れがちです。 その約束ごとの決め方も、親の方からの一方的な言い渡しが多く、結局は親の自己満足や気休めだけのものだったりになってはいないでしょうか。
思い通りに動いて欲しいがために、覚えきれないほど沢山の約束をつくってしまいます。 約束を本当に守らせたかったら、数は極力少なく、その代わり例外無しに、徹底して守らせるよう、親の方も努力と忍耐が必要です。
親のその気分次第で、同じことがある時は許されたり、ある時は禁止されたりでは、子どもは混乱してしまいます。親の一貫しない態度は、子どもに敏感に読み取られてしまい、子どもは、約束それ自体より、親の態度を読むこと方に重さを置くようになってしまいます。
モンテッソーリ実施園ではクラスでの大きな約束は3つあります。
①使った教具は必ず元通りにして返す
②椅子は必ず机の下に戻して席を立つ
③走らない
3つとも常に他者への心配りを、言葉ではなく行動で表すことを伝えたいからです。この約束は必ず守るように徹底されています。
クラスのみんなが快適に過ごすためには、一人一人の小さな努力が必要であることを、体でわかって欲しいのです。
一人はみんなのために、みんなは一人のために。
相互関係の中で調和して生きていける人間になるために、そこにはやはりルールが必要です。
日本には「子どもの日」という祝日があります。外国に住んでいる方が「日本人は子ども思いですね。私の国では母の日はありますが、子どもの日はありません」と。
確かに、日本人の子を思う情は深いのかもしれません。それはとても良いことでひぶな幼稚園でも教育に熱心な方が多いと感じます。
しかし、それは往々にして我が子にだけ向けられ、周囲が見えていないということが最近では多く見られます。
子ども達は幼稚園という社会の中で、’他人との調和’を身に付けていきます。
この社会的な約束は親も子どもも同じで、’統一’されていなければ、今後の長い人生においてハンデキャップを負うことになります。
「人間は一人では生きてはいけない」のです。
自己満足や自己の気休めではなく、’一人の親’と’社会の一員’として両方から、我が子を見ることの出来る親でありたいものです。
約束ごとは、言葉に頼るあまり、親が身をもって態度で教えるという側面を忘れがちです。 その約束ごとの決め方も、親の方からの一方的な言い渡しが多く、結局は親の自己満足や気休めだけのものだったりになってはいないでしょうか。
思い通りに動いて欲しいがために、覚えきれないほど沢山の約束をつくってしまいます。 約束を本当に守らせたかったら、数は極力少なく、その代わり例外無しに、徹底して守らせるよう、親の方も努力と忍耐が必要です。
親のその気分次第で、同じことがある時は許されたり、ある時は禁止されたりでは、子どもは混乱してしまいます。親の一貫しない態度は、子どもに敏感に読み取られてしまい、子どもは、約束それ自体より、親の態度を読むこと方に重さを置くようになってしまいます。
モンテッソーリ実施園ではクラスでの大きな約束は3つあります。
①使った教具は必ず元通りにして返す
②椅子は必ず机の下に戻して席を立つ
③走らない
3つとも常に他者への心配りを、言葉ではなく行動で表すことを伝えたいからです。この約束は必ず守るように徹底されています。
クラスのみんなが快適に過ごすためには、一人一人の小さな努力が必要であることを、体でわかって欲しいのです。
一人はみんなのために、みんなは一人のために。
相互関係の中で調和して生きていける人間になるために、そこにはやはりルールが必要です。
日本には「子どもの日」という祝日があります。外国に住んでいる方が「日本人は子ども思いですね。私の国では母の日はありますが、子どもの日はありません」と。
確かに、日本人の子を思う情は深いのかもしれません。それはとても良いことでひぶな幼稚園でも教育に熱心な方が多いと感じます。
しかし、それは往々にして我が子にだけ向けられ、周囲が見えていないということが最近では多く見られます。
子ども達は幼稚園という社会の中で、’他人との調和’を身に付けていきます。
この社会的な約束は親も子どもも同じで、’統一’されていなければ、今後の長い人生においてハンデキャップを負うことになります。
「人間は一人では生きてはいけない」のです。
自己満足や自己の気休めではなく、’一人の親’と’社会の一員’として両方から、我が子を見ることの出来る親でありたいものです。