子どもが生き生きと成長し、発達する姿の中に見落としてはならない大切なことがあります。
それはそれぞれの能力が発達し、身についていくのには一番適した時期があるということです。モンテッソーリ教育では「敏感期」といいます。
例えば赤ちゃんが話し言葉を身につける時期、適切な環境があれば、特別な指導も意識的な努力もなく、日本語を覚えることが出来ます。しかし大人は懸命に努力しても、英語を同じように身につけることができません。
それは「敏感期」を過ぎてしまっているからです。このように敏感期は一過性のもので、敏感期にある時期は、力にあふれ容易に、むしろ『喜び』を感じつつその能力を獲得することができるのに、この時期が過ぎてしまうと、同じ事を習得するのに大変な努力を必要とすることになります。
敏感期は言語の他に、秩序・五官の働き・小さいものや動きの正確さについてなどがあります。そして、それは程度や時期の差があるにしても、相互に関連をもっています。そして、そのほとんどが幼児期に集中して起きることが分かっています。
太陽の光に照らされた埃を見つめ手いる子には、視覚の敏感期が来ているのでしょう。遠くで聞こえるヘリコプターの音をいつまでも聴いていたり、小さな声で話しかけられる事に興味を持ったりするのは、聴覚の敏感期にあたっているからでしょう。
その時その時の敏感期に見合う作業が出来ると、子どもは集中しますし、その作業で使う身体の部分は発達していきます。
集中して作業することを通して子どもは、精神をさらに形成し、情緒や身体の機能を発達させていきます。
モンテッソーリ教育では、二度と来ないその時期を逃さず、十分な発達が遂げられるよう多くの教具の準備をして、細かい教育的配慮をしています。
下の写真は2歳児保育「子どもの家」の様子
敏感期に合った教具に出会えば、一歳児でも集中します。
特にこの時期は、指先を使う運動の敏感期。
本日、見学に来られた方が「一人の女の子がホールでは泣いていたのに、お部屋で何かを始めたら泣きやんだのですがどうしてですか???」とおっしゃっていました。
それは、その子が今成長に必要な教具に関わっているからなのです。
先に書いた‘敏感期に合った教具’です。
アンパンマンワールドも魅力的ですが、その子にとってはその教具の方が今は魅力的なんですね。






それはそれぞれの能力が発達し、身についていくのには一番適した時期があるということです。モンテッソーリ教育では「敏感期」といいます。
例えば赤ちゃんが話し言葉を身につける時期、適切な環境があれば、特別な指導も意識的な努力もなく、日本語を覚えることが出来ます。しかし大人は懸命に努力しても、英語を同じように身につけることができません。
それは「敏感期」を過ぎてしまっているからです。このように敏感期は一過性のもので、敏感期にある時期は、力にあふれ容易に、むしろ『喜び』を感じつつその能力を獲得することができるのに、この時期が過ぎてしまうと、同じ事を習得するのに大変な努力を必要とすることになります。
敏感期は言語の他に、秩序・五官の働き・小さいものや動きの正確さについてなどがあります。そして、それは程度や時期の差があるにしても、相互に関連をもっています。そして、そのほとんどが幼児期に集中して起きることが分かっています。
太陽の光に照らされた埃を見つめ手いる子には、視覚の敏感期が来ているのでしょう。遠くで聞こえるヘリコプターの音をいつまでも聴いていたり、小さな声で話しかけられる事に興味を持ったりするのは、聴覚の敏感期にあたっているからでしょう。
その時その時の敏感期に見合う作業が出来ると、子どもは集中しますし、その作業で使う身体の部分は発達していきます。
集中して作業することを通して子どもは、精神をさらに形成し、情緒や身体の機能を発達させていきます。
モンテッソーリ教育では、二度と来ないその時期を逃さず、十分な発達が遂げられるよう多くの教具の準備をして、細かい教育的配慮をしています。
下の写真は2歳児保育「子どもの家」の様子
敏感期に合った教具に出会えば、一歳児でも集中します。
特にこの時期は、指先を使う運動の敏感期。
本日、見学に来られた方が「一人の女の子がホールでは泣いていたのに、お部屋で何かを始めたら泣きやんだのですがどうしてですか???」とおっしゃっていました。
それは、その子が今成長に必要な教具に関わっているからなのです。
先に書いた‘敏感期に合った教具’です。
アンパンマンワールドも魅力的ですが、その子にとってはその教具の方が今は魅力的なんですね。








入園式からまだ2ヶ月もたっていないのに、子どもの達は幼稚園の生活に慣れてきて、元気に遊んでいます。
(中には私がカメラを向けると逃げていく恥ずかしがり屋さんもいますが)
毎日のように、ひぶなの杜からはピアノの音色と子ども達の歌声、歓声が聞こえてきます。
今日もリトミック・リズム遊びをして楽しんでいましたよ♪
ピアノに合わせて、走ったり歩いたり… ウサギになったりヘビになったり、チョウチョになったり。



ちょっとお休みの時間です。
ピアノの美しい音色と共に心と体を落ち着かせます。
子どもは騒ぐだけではなく、静けさも好みます。

こちらは「ボール回しゲーム」の様子。
ピアノに合わせて唄っている時はボールをとなりお友達に渡し回します。
ピアノが止まったらボールを持っている子が円の外を一周します。





今日は給食日。
ハンバーグお弁当でした。
いつも美味しい給食をありがとうございます。
おかずのプチトマトは半分に切られていて、子どもが間違ってのどにつまらせなように配慮されています。
このような配慮には私も勉強させられます。日々、周囲に配慮が出来ているか…
モンテッソーリ教育の「日常生活の練習」の分野に、‘環境への配慮’というものがあります。
「運ぶ」、「物のかたずけ」「掃く」等、文字通り、自分を取りまく環境への気づかいです。
正しく運ばないと、落として壊れてしまい、他のお友達がそれを使えなくなってしまう。
使ったものは元の場所へ。そうすれば次使う人が困らない。
椅子はしっかりしまえば、お友達が通りやすい。etc
社会の一員として当たり前のことを、当たり前のように身につけることが出来るのはこの幼児期です。
私たち大人は、そんな当たり前の環境を用意してあげられる‘配慮’が大切ですね。
私も父親として反省の毎日です……
モンテッソーリの現場では子どもは好きなお仕事を思う存分にすることが出来ます。
「色板」の提供に真剣な子、「世界地図」「雑音塔」「秘密袋」、動物の数を数えている子・・・ 決して先生からやりなさいと命令されているわけではありません。自分で選んでやったり、お友達や先生に誘われたり誘ったりしているのです。この姿が、幼児期にある子どもの自然な姿なのです。
幼児期にある子どもは、勿論遊ぶけれども、ただ遊ぶだけではなく、もっと成長に必要な「何か」をしたいという衝動が働いています。
モンテッソーリ教育ではその「何か」を環境の中に準備し子ども達の成長に合わせて提供します。
ある日の桃組の様子。
子どもに気づかれないように、そっと隠し撮り。
子ども達が集中している顔は美しいですね。






この写真も素敵ですが・・・
これは、私が子どもの集中作業を邪魔してしまった写真です。

「色板」の提供に真剣な子、「世界地図」「雑音塔」「秘密袋」、動物の数を数えている子・・・ 決して先生からやりなさいと命令されているわけではありません。自分で選んでやったり、お友達や先生に誘われたり誘ったりしているのです。この姿が、幼児期にある子どもの自然な姿なのです。
幼児期にある子どもは、勿論遊ぶけれども、ただ遊ぶだけではなく、もっと成長に必要な「何か」をしたいという衝動が働いています。
モンテッソーリ教育ではその「何か」を環境の中に準備し子ども達の成長に合わせて提供します。
ある日の桃組の様子。
子どもに気づかれないように、そっと隠し撮り。
子ども達が集中している顔は美しいですね。






この写真も素敵ですが・・・
これは、私が子どもの集中作業を邪魔してしまった写真です。

今月から通常保育となり、お弁当や給食が始まっています。
幼稚園では極力残さぬように指導しています。
給食はどうしても食べられないものや、量的な問題もあるので残す場合もありますが、少しはチャレンジをしてみます。
一粒のごはんにも多くの人の手がかかっています。
一滴の水にも天地自然の恵みがあります。
どの食材も生きていて、私たちを生かすために命を提供してくれているのです。
この気持ち大人達が忘れずに子どもに接することが何より大切です。
黙っていても子どもには伝わっていきます。
良き見本となるようお願いいたします。
幼稚園では極力残さぬように指導しています。
給食はどうしても食べられないものや、量的な問題もあるので残す場合もありますが、少しはチャレンジをしてみます。
一粒のごはんにも多くの人の手がかかっています。
一滴の水にも天地自然の恵みがあります。
どの食材も生きていて、私たちを生かすために命を提供してくれているのです。
この気持ち大人達が忘れずに子どもに接することが何より大切です。
黙っていても子どもには伝わっていきます。
良き見本となるようお願いいたします。