🍀🍀わだかまりなくお母さんと呼べたとき🍀🍀
人生を複雑にさせているのは、
間違いなく「感情」のからまりです。
感情の海で楽しく海水浴をすることもできるのに、
自ら感情をこじらせて、感情の海で溺れている状態。
つまり、自作自演のドラマにはまっている状態です。
なぜ、こんな難儀なドラマをつくっているかというと、
難儀なことが好きだからです。
テレビドラマで、登場人物の誰かが問題を起こして、
それを解決していくところに面白さや感動がありますよね。
それと同じで、
地球に生まれた私たちは、
わざと苦労や困難が多い人生になるパターンを持って
一度はどん底に落ち、
そこから気づきを得ることで、
本当の自分とは何か、
幸せとは何か、を知ろうとしているのです。
地球人は全員、ドラマ好きってことです。
スタッフの1人に里子としてもらわれ、その親のもとで育った女性がいます。
父も母も、一人っ子の彼女を人一倍愛し、
好きなものを食べなさい、
好きなことをしなさいと、
彼女のやりたいようにお金もかけてくれて、
恵まれた環境のなかで育ってきました。
ところが、
彼女がずっと握ってていたのは、
「自分は親に捨てられた、かわいそうな子」
という思い。
それが決定的になったのが、幼稚園バックを買ってもらったときのことでした。
当時、彼女のお気に入りは、
白雪姫はシンデレラ姫のようなフリフリのドレスを着て
キラキラ輝いているような、お姫様系のキャラクター。
ところが、両親が買ってくれた幼稚園バックに描かれていたのは、
赤いスポーツカーに乗ったカエルのキャラクターでした。
彼女は、このバックを見たとき、
「私は他人の子だから、
やっぱり本当の気持ちはわかってもらえないんだ。
愛してもらえないんだ」
と、感情を、ねじったのです。
両親が、彼女が喜ぶだろうと思って用意したバック。
でも、それが彼女にヒットしなかっただけの話。
違うキャラクターがいい、ということもできたのに、
実の親じゃないからと遠慮して、
本当の気持ちを抑えて生きてきたのです。
現実を見る限り、
人生のどこに不幸があるのかわからないほど、恵まれた環境で育ってきた彼女。
でも、
「私は捨てられた子供」
という前提で、すべてを見ていたため、
約40年もの間、幸せのなかにいるのに、
不幸な感情を体験し続けてきたのです。
そんなある日、彼女はまとまったお金が必要になり、
どうやって工面しようかと悩んでいたことがありました。
そこで、僕はこういったんです。
「親のところに行って、お金をちょうだい、といって、もらってきなさい。
何だったら、車買うからとか適当な理由をつけて、
100万円ちょうだい、って相談してきなさい。
お金をちょうだいっていえないのは、
実の親ではないからと、他人行儀に接してきたからでしょう。
本当の親だったら甘えてきなさい」
彼女は、怪訝そうな顔で僕を見ていましたが、
僕がそういうのには、ワケがありました。
彼女の実家は裕福で、お父さんは、
「お金をかけてあげること=愛」
と、とらえていた節があったからです。
彼女は僕のいうとおり、なんとかがんばって、予想以上のお金を親からもらうことができました。
それから1年後、お父さんが病気で亡くなったのですが、
お葬式で、親戚から聞いた話によると、
お父さんはいつも、
「オレが娘に、○○させてあげたんだ。
オレが娘に〇〇を買ってあげたんだ。
オレが娘に〇〇をしてあげたんだ」
と、うれしそうに周りに語っていたというのです。
あのときお金をせびってだからこそ、お父さんは
「オレは娘を愛してやったんだ。
助けてやったんだ」
という手柄を持って、天国に帰れたのです。
彼女は、このとき初めて、
「お父さんは、本当の娘として私を愛してくれていたんだ」
と、理解しました。
お父さんの死後、今度はお母さんの足が悪くなり、
介護施設に入ることになりました。
彼女がお母さんを車椅子に乗せて押しながら、
大きな鏡のついたエレベーターに乗ったとき、
お母さんは、鏡に映る自分たちの姿を見て、
ひと言、こういったそうです。
「やっぱり、親子っていうのは、
年をとってくると、
こんなそっくりに似るもんなんだね」
血のつながりは、ないですよ。
だけど、お母さんは本当に心から親子だと思ってくれていたんだ、
ということを感じた瞬間、
なぜ、何十年も他人に育てられてきたという解釈をして過ごしてきたんだろうと、
心から申し訳ないという気持ちがこみあげたそうです。
お母さんのこの言葉で、彼女は意を決して、
半世紀もつっかえていて、いえなかった質問をしてみました。
「なんで、私を拾ったの?」
怖くて聞けなかったんです、50年もの間。
それに対してお母さんは、なんといったと思いますか?
「そりゃあ、あんた、
決まってるじゃないか。
あんなちっちゃい、玉のような赤ちゃん見てだよ、
かわいくて、かわいくて、しょうがなくて、
もう放っとけるわけないでしょう。
こんなかわいい赤ちゃんを、
私たちが育てていけるんだったら、
喜んで育てるよって思うに決まってるじゃない。
あんた、本当にかわいくて、しょうがなかったんだよ」
お母さんは、
かわいくてしかたないってだけで、
彼女を引き取ったんです。
実の親でさえも、ここまで思えない人がいるなかで、
彼女は、とても愛されていたことを知りました。
この言葉を聞いて、半世紀の時を経て、
初めて、お母さんの娘になったのです。
心も、魂も。
初めて何のわがかまりもなく、感謝を込めて、
「お母さん」
と呼べたんです。
(「あなたのなかのやんちゃな感情とつきあう法」金城幸政さんより)
人生を複雑にさせているのは、
間違いなく「感情」のからまりです。
感情の海で楽しく海水浴をすることもできるのに、
自ら感情をこじらせて、感情の海で溺れている状態。
つまり、自作自演のドラマにはまっている状態です。
なぜ、こんな難儀なドラマをつくっているかというと、
難儀なことが好きだからです。
テレビドラマで、登場人物の誰かが問題を起こして、
それを解決していくところに面白さや感動がありますよね。
それと同じで、
地球に生まれた私たちは、
わざと苦労や困難が多い人生になるパターンを持って
一度はどん底に落ち、
そこから気づきを得ることで、
本当の自分とは何か、
幸せとは何か、を知ろうとしているのです。
地球人は全員、ドラマ好きってことです。
スタッフの1人に里子としてもらわれ、その親のもとで育った女性がいます。
父も母も、一人っ子の彼女を人一倍愛し、
好きなものを食べなさい、
好きなことをしなさいと、
彼女のやりたいようにお金もかけてくれて、
恵まれた環境のなかで育ってきました。
ところが、
彼女がずっと握ってていたのは、
「自分は親に捨てられた、かわいそうな子」
という思い。
それが決定的になったのが、幼稚園バックを買ってもらったときのことでした。
当時、彼女のお気に入りは、
白雪姫はシンデレラ姫のようなフリフリのドレスを着て
キラキラ輝いているような、お姫様系のキャラクター。
ところが、両親が買ってくれた幼稚園バックに描かれていたのは、
赤いスポーツカーに乗ったカエルのキャラクターでした。
彼女は、このバックを見たとき、
「私は他人の子だから、
やっぱり本当の気持ちはわかってもらえないんだ。
愛してもらえないんだ」
と、感情を、ねじったのです。
両親が、彼女が喜ぶだろうと思って用意したバック。
でも、それが彼女にヒットしなかっただけの話。
違うキャラクターがいい、ということもできたのに、
実の親じゃないからと遠慮して、
本当の気持ちを抑えて生きてきたのです。
現実を見る限り、
人生のどこに不幸があるのかわからないほど、恵まれた環境で育ってきた彼女。
でも、
「私は捨てられた子供」
という前提で、すべてを見ていたため、
約40年もの間、幸せのなかにいるのに、
不幸な感情を体験し続けてきたのです。
そんなある日、彼女はまとまったお金が必要になり、
どうやって工面しようかと悩んでいたことがありました。
そこで、僕はこういったんです。
「親のところに行って、お金をちょうだい、といって、もらってきなさい。
何だったら、車買うからとか適当な理由をつけて、
100万円ちょうだい、って相談してきなさい。
お金をちょうだいっていえないのは、
実の親ではないからと、他人行儀に接してきたからでしょう。
本当の親だったら甘えてきなさい」
彼女は、怪訝そうな顔で僕を見ていましたが、
僕がそういうのには、ワケがありました。
彼女の実家は裕福で、お父さんは、
「お金をかけてあげること=愛」
と、とらえていた節があったからです。
彼女は僕のいうとおり、なんとかがんばって、予想以上のお金を親からもらうことができました。
それから1年後、お父さんが病気で亡くなったのですが、
お葬式で、親戚から聞いた話によると、
お父さんはいつも、
「オレが娘に、○○させてあげたんだ。
オレが娘に〇〇を買ってあげたんだ。
オレが娘に〇〇をしてあげたんだ」
と、うれしそうに周りに語っていたというのです。
あのときお金をせびってだからこそ、お父さんは
「オレは娘を愛してやったんだ。
助けてやったんだ」
という手柄を持って、天国に帰れたのです。
彼女は、このとき初めて、
「お父さんは、本当の娘として私を愛してくれていたんだ」
と、理解しました。
お父さんの死後、今度はお母さんの足が悪くなり、
介護施設に入ることになりました。
彼女がお母さんを車椅子に乗せて押しながら、
大きな鏡のついたエレベーターに乗ったとき、
お母さんは、鏡に映る自分たちの姿を見て、
ひと言、こういったそうです。
「やっぱり、親子っていうのは、
年をとってくると、
こんなそっくりに似るもんなんだね」
血のつながりは、ないですよ。
だけど、お母さんは本当に心から親子だと思ってくれていたんだ、
ということを感じた瞬間、
なぜ、何十年も他人に育てられてきたという解釈をして過ごしてきたんだろうと、
心から申し訳ないという気持ちがこみあげたそうです。
お母さんのこの言葉で、彼女は意を決して、
半世紀もつっかえていて、いえなかった質問をしてみました。
「なんで、私を拾ったの?」
怖くて聞けなかったんです、50年もの間。
それに対してお母さんは、なんといったと思いますか?
「そりゃあ、あんた、
決まってるじゃないか。
あんなちっちゃい、玉のような赤ちゃん見てだよ、
かわいくて、かわいくて、しょうがなくて、
もう放っとけるわけないでしょう。
こんなかわいい赤ちゃんを、
私たちが育てていけるんだったら、
喜んで育てるよって思うに決まってるじゃない。
あんた、本当にかわいくて、しょうがなかったんだよ」
お母さんは、
かわいくてしかたないってだけで、
彼女を引き取ったんです。
実の親でさえも、ここまで思えない人がいるなかで、
彼女は、とても愛されていたことを知りました。
この言葉を聞いて、半世紀の時を経て、
初めて、お母さんの娘になったのです。
心も、魂も。
初めて何のわがかまりもなく、感謝を込めて、
「お母さん」
と呼べたんです。
(「あなたのなかのやんちゃな感情とつきあう法」金城幸政さんより)