🍀おっとう🍀
三上先生は警察関係の病院に招かれて入院中の人や、職員に話をされました。
院長室に戻ると、院長がお礼を述べた後に、
「実は、余命10日の18歳の卯一(ういち)という少年がいます。
不幸な環境で育ったこともあり、暴言を吐き、皆に嫌われています。
しかも開放性の結核なので、1人隔離されて病室にいるのですが、
せめて、先程のようなお話を10分でも20分でもしてもらえませんか」
とお願いされました。
先生は、できることがあれば、と思い、
少年の部屋に行きました。
院長はマスクにガウンの完全防備、三上先生は粗末な作務衣のままです。
部屋に入り、
院長が「気分はどうか」と声を掛けても
卯一は、「うるせえ!」
と、地の底からの声を出して、相手にしようとしません。
2人が諦めて、部屋を出ようとした時、卯一と三上先生の目が合ったんです。
その目は、燃えるような人恋しい、
孤独のどん底にいる目でした。
先生は病気が感染することを覚悟して、
卯一を一晩看病させてほしいと頼みました。
その晩、
三上先生は荒れ狂っていた卯一をなだめながら、
骨と皮ばかりになった足を、さすり始めました。
やがて卯一は、
自分が生まれる前に父親が逃げたこと、
母親は産後すぐに亡くなったこと、
神社で寝ては、賽銭を盗んで食い繋ぐ生活を続けてきたことなどを話し始めました。
そして、一晩中足をさすり続ける先生に
「おっさんの手、お母さんみたいやな」
と言うんです。
そのうち、粥を食わせてくれるよう頼みます。
生ぬるいお粥さんが、梅干しと一緒に置かれている。
幾匙か口にした後、卯一は言うんです。
「もうええ。
おっさんも、お腹すいたやろ。
俺の残り、食うてくれ」
と。
しかし、結核患者が口にしたものです。
先生は
「一晩くらい食べなくてもいい」
卯一は、
「そんな言わんと食うてくれ」
先生は、
「いい、いい」
卯一は、
「おっさん、食えや」
先生は、
「私はお腹が空いていない」
…
次第に、卯一の声の調子が変わっていくんですね。
「親切そうにしているけど、
お前の真心は、ほんまか」
と、言われました。
先生は、長い長い合掌をして、
粥をいただかれるんです。
「我が子であればと、思おうとするけど思えない」
と先生は講演でおっしゃっていました。
卯一が
「長いこと拝むんやな、おっさん」
と言ったと聞いて、私はゾクッとしました。
私もその場にいれば同じだったはずですから。
粥を食べた先生に、卯一は、
「おっさん、笑わへんか」
と聞きます。
「なんや、言うてみい」
「いや、笑うやろ」
「笑わへん」
「それなら言うぞ。
一回でいい。
一回でいいから、
おっとう
と、
呼ばせてくれ」
と。
卯一は、
一回は小さい声で
「おっとう」、
二回目は、少し大きな声で、
「おっとう!」
三回目には、ありったけの声で
「おっとーうー!」
と叫んで、
声をあげて泣き崩れたそうです。
先生も一緒に泣かれて
「人間は、何でこの世に生まれてくるのか知っているか。
人に喜んでもらうために生まれてくるんやよ」
と諭されるんですね。
そうしたら卯一が
「おっさん、俺の話も聞いてくれ。
おっさん、あっちこっちに講演に行くやろ?
親を大事に思わん者が、
哀れな最期を遂げた、と、俺の話をしてほしい」
と頼みます。
二人は、そこで別れるのですが、
卯一は、
「おっさーん」
「おっさーん」
と、いつまでも呼び続け、
その直後に、お浄土に帰っていくんですね。
顔には静かに笑みを浮かべ、
手は合掌していたといいます。
(「致知」9月号より)
三上先生は警察関係の病院に招かれて入院中の人や、職員に話をされました。
院長室に戻ると、院長がお礼を述べた後に、
「実は、余命10日の18歳の卯一(ういち)という少年がいます。
不幸な環境で育ったこともあり、暴言を吐き、皆に嫌われています。
しかも開放性の結核なので、1人隔離されて病室にいるのですが、
せめて、先程のようなお話を10分でも20分でもしてもらえませんか」
とお願いされました。
先生は、できることがあれば、と思い、
少年の部屋に行きました。
院長はマスクにガウンの完全防備、三上先生は粗末な作務衣のままです。
部屋に入り、
院長が「気分はどうか」と声を掛けても
卯一は、「うるせえ!」
と、地の底からの声を出して、相手にしようとしません。
2人が諦めて、部屋を出ようとした時、卯一と三上先生の目が合ったんです。
その目は、燃えるような人恋しい、
孤独のどん底にいる目でした。
先生は病気が感染することを覚悟して、
卯一を一晩看病させてほしいと頼みました。
その晩、
三上先生は荒れ狂っていた卯一をなだめながら、
骨と皮ばかりになった足を、さすり始めました。
やがて卯一は、
自分が生まれる前に父親が逃げたこと、
母親は産後すぐに亡くなったこと、
神社で寝ては、賽銭を盗んで食い繋ぐ生活を続けてきたことなどを話し始めました。
そして、一晩中足をさすり続ける先生に
「おっさんの手、お母さんみたいやな」
と言うんです。
そのうち、粥を食わせてくれるよう頼みます。
生ぬるいお粥さんが、梅干しと一緒に置かれている。
幾匙か口にした後、卯一は言うんです。
「もうええ。
おっさんも、お腹すいたやろ。
俺の残り、食うてくれ」
と。
しかし、結核患者が口にしたものです。
先生は
「一晩くらい食べなくてもいい」
卯一は、
「そんな言わんと食うてくれ」
先生は、
「いい、いい」
卯一は、
「おっさん、食えや」
先生は、
「私はお腹が空いていない」
…
次第に、卯一の声の調子が変わっていくんですね。
「親切そうにしているけど、
お前の真心は、ほんまか」
と、言われました。
先生は、長い長い合掌をして、
粥をいただかれるんです。
「我が子であればと、思おうとするけど思えない」
と先生は講演でおっしゃっていました。
卯一が
「長いこと拝むんやな、おっさん」
と言ったと聞いて、私はゾクッとしました。
私もその場にいれば同じだったはずですから。
粥を食べた先生に、卯一は、
「おっさん、笑わへんか」
と聞きます。
「なんや、言うてみい」
「いや、笑うやろ」
「笑わへん」
「それなら言うぞ。
一回でいい。
一回でいいから、
おっとう
と、
呼ばせてくれ」
と。
卯一は、
一回は小さい声で
「おっとう」、
二回目は、少し大きな声で、
「おっとう!」
三回目には、ありったけの声で
「おっとーうー!」
と叫んで、
声をあげて泣き崩れたそうです。
先生も一緒に泣かれて
「人間は、何でこの世に生まれてくるのか知っているか。
人に喜んでもらうために生まれてくるんやよ」
と諭されるんですね。
そうしたら卯一が
「おっさん、俺の話も聞いてくれ。
おっさん、あっちこっちに講演に行くやろ?
親を大事に思わん者が、
哀れな最期を遂げた、と、俺の話をしてほしい」
と頼みます。
二人は、そこで別れるのですが、
卯一は、
「おっさーん」
「おっさーん」
と、いつまでも呼び続け、
その直後に、お浄土に帰っていくんですね。
顔には静かに笑みを浮かべ、
手は合掌していたといいます。
(「致知」9月号より)