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大橋巨泉

2016-08-21 17:14:25 | 日記
大橋巨泉さんが亡くなり、しばらく経ちました。

追悼の意味で、本を読んでみました。

華々しく芸能界での活躍、高度経済成長に乗ってのテレビ界の繁栄。

数多の人たちとの交友。

なんとも、サラッと読める本でしたが、たくさんの経験でつかんだほんとの言葉が数々ありました。

その中から、氣に入った言葉を取り出してみます。

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ただボクはいつも「ダメ・モト」の精神で始めた。

失うものは何もないのである。

ジャズも、番組構成もまったくゼロからのスタートであった。

ただボクはいつも、ボクがやることに対する愛情と努力を欠かさなかった。

それが好きて、しかも一所懸命にやった。

そして、それが良かったのだと思う。

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司会で実演者を紹介するときは、「さん」を付けなかった。

その理由は、先輩の小島さんという司会者の言葉。

「いいか巨泉、ステージの上にいる者は、ギャラをもらって商売しているんだ。

下で見ている人たちは、金を払って来ているお客様だ。

売っている人間同士が、買ってくださるお客に対して

『さん付け』で紹介するなんて、

それこそ失礼だと思わないか。

外国では、全部、呼び捨てだよ!」

それ以来、ボクは「生意気」といわれようが、「威張ってる」と陰口を叩かれようが、先輩と同じ姿勢を通した。

ーーー

11PMを始めたころの話。

僕らが彼ら(番組制作者)といつも話し合っていたことは、

鳥瞰図(ちょうかんず)ではなく
虫瞰図(ちゅうかんず)で行こうと言うこと、

つまり、上から見ないで、地面から見よう、であった。

それと、いつも平易に叙す、ということ、

朝日新聞の社説を読む人を相手にせず、

ストリップを見る人を相手に番組を作ろう、であった。

そして最後は、

いつでも両側からモノを見るようにしよう、ということであった。

それが、月曜イレブンの成功に。

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信じて経理を任せていた人に、お金を使い込まれ、その人が亡くなった。

この事件が、ボクをして

「人間の運の総量」

ということについて考えさせるキッカケとなったのである。

ボクは、運の総量は皆同じ、ではないかと考えるようになった。

たとえ、不運に出くわしても、どこかで穴埋めされる。

人間は、その運をどこで使うかということで、

一生の幸不幸が決まるような気がしてならない。

ーーー

競馬の予想をして人気だったころ、予想はしても、ほとんど馬券は買わなかった。

それには、理由があり、先輩の後藤達彦の至言に打たれたからである。

彼は言う。

「競馬は売る人が儲かり、

買う人が損をして

初めて成り立つギャンブルである」。

売る人とは、馬を売る生産者、
馬券を売る競馬会、
そして新聞を売る新聞社のことで、

買う人とは、馬を買う馬主と、
馬券や新聞を買うファンということになる。

ゆめゆめ馬券やカジノで儲けようと思わないこと。

買う人が儲かっては、主催者のビジネスは成り立たないのである。

ーーー

OKギフトショップ、

父の教え通り、事業は「小さく始めて大きく育てる」をモットーとしている。

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ボクは人間には「運気」があると考えている。

これが"ついている"ときは、多少強引でも押して押しまくる。

ただ幸運の女神がうしろを向いたなと感じたら、

決して深追いしてはならない。

もう少しと思っても、いさぎよくひくのだ。

この考え方で、ギャンブルにも人生にも対処してきた。

そして成功してきたつもりである。

ーーー

これは僕の持論で、

パブリックとプライベートはハッキリ分けるのが欧米流である。

宣伝や収入などを計算に入れてタイアップをするようなことをするから、

強い態度が取れなくなるのだ。

ボクはずっとこの姿勢を保ってきたので、

マスコミ受けは良くなかったが、今でも全く悔いていない。

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寿命が来た番組に「テコ入れ」などしない主義である。

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ボクは東急の総帥 故五島昇さんから学んでいた。

「大橋君、金は銀行で貸してくれるか、

人は自分で見つけ、自分で育てるしかない」。

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セミリタイアの会見で、記者の質問には、

「押さば押せ、引かば引け」の鉄則に従っただけで、

「全部取ろうと思ってはいけない(You can't have everything)」だと言っていた。

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これは僕の持論だが、ゴルフ場はオーナーがゴルフを愛していなければダメである。

それは経営者だから、利潤を考えるなとは言わない。

しかし、すべての前に、
ゴルフ場を良くすることをもってくる人ではなくてはいけない。

多くのオーナーたちと一緒にプレイしたが、

ボールを追いながら雑草を抜く、
倒れたロープを直す、
ディボットを埋める、

こういうことをする人のコースは必ず良くなる。

ーーー

最後に、


こうして振り返ってみると、僕の人生に大きな影響を与えたことが4つある。

まずは「父の言葉」から多くの基礎を学んだ。

平和主義、個人主義、実存主義がそれである。

次いで「母の死」が、ボクに健康の尊さを教えてくれた。

どんな小さな疑念でも、徹底的に検査してもらい、手術もいとわなかった。

いずれは死ぬ身だが、

あの世で母に会えるとすれば、

「馬鹿だねぇ、お前は。
母さんが身をもって示したことを守らなくて」

と言われるよりも、

「お母さんのおかげで長生きできたよ。ほんとにありがとう」

と言ったほうが、母も喜ぶと思っているからである。

3番目は寿々子という伴侶を得たことだ。

山も谷もあったが、お互いにかけがえのない存在だということを認確しあえたのはラッキーであった。

大きなことを言っても、人間は所詮寂しい存在である。

老後一人ぼっちで生きて行くのは辛すぎる。

2人だけの思い出に包まれながら健康に長生きして、

できることなら同時に
(本当は僕の方が少し早く)
死ねたら、これに勝る幸運はないだろう。

彼女からは、献身の美しさを学んだつもりである。

そして最後は、北米人とのつき合いだ。

彼らは日本人とは異なる人生観や哲学を持っている。

たとえば「禁煙」に関しても、

「われわれは事業に成功して、こうして後半生を楽しんでいる。

それなのに、喫煙くらいの快楽のために、それを無にするのは愚かだ」

と考える。

リタイアメントにしても、

あくなき欲求に対する一種の反論である。

パートナーと2人、楽に暮らせるだけ稼いだらもう良いじゃないか。

潔く後進に道を譲ってリタイヤしよう、という人が多い。

彼らのバックボーンには、ユダヤ教やキリスト教があり、"神"がいる。

全くの無神論者のボクにも説得力があったのだから、

おそらく真理なのではないか。

そのエキスが

「You can't have everything」

という言葉である。

「全部取ろうと思ってはいけない」

「独り占めしてはいけない」

「ゆずるところは人にゆずれ」

という意味だ。

彼ら北米人との交友の中から、ボクはこうした考えを持つようになり、

タレントとしての最盛期にセミ・リタイヤしたのである。

これに

「前世も後世も信じず、お迎えが来るまで、現世を楽しむ」

という亡父の口ぐせが結びついて、

ボクの後半生が決まった。

「お迎え」はいつだか知らないが、

来るまでは寿々子と二両連結で明るく、楽しく生きていきたいと思っている。


(「ゲバゲバ人生」大橋巨泉より)


楽しい人生だったと感じました。
ご冥福を祈ります。合掌。