🌸🌸命☀️を輝かせる🌸🌸
私が教師🏫になって初めて特別支援学級🌸を持たせてもらったときのことです。
その学校🏫にA君という子がいて、お母さん🌸が毎日車🚗で送り迎えされていました。😊
私はA君のお母さんに、
「明日☀️の午後から、私がA君を家🏠まで送ります。
歩くと、体も心も強く✊なって脳🌀へのいい刺激⚡️になると思いますよ」
と言って了承🍀していただきました。😊
翌日から、私はA君と一緒に歩いて👟👟下校し、
その後また学校🏫に戻り↩️ました。
往復8キロの道のり🍀でした。
A君の家🏠には、足の悪いおばあちゃん👵がいて、
A君が帰ると、おばあちゃんがいつも奥の間から
「ありがとうございます。🎵
足が悪くて😵玄関まで出ていけず。すいません🙏」
とおっしゃっていました。
でも翌年には、家のドア🚪を開けると、おばあちゃん👵が玄関まで出てこられるようになりました。☀️
3年経つ🌸頃には、玄関の前に出て、立って待たれるようになりました。😊
さらにしばらくすると、
おばあちゃんは家から数100メートルも歩いたところまで出迎え🌟てくれるようになりました。😊🎵
私は驚いて😵A君のお母さんに電話📞をしました。
「おばあちゃん、かなり歩かれていましたが、大丈夫🍀でしたか?」
と。
するとA君のお母さんは、
「A君が歩いて学校🏫に通う様子を見ながら、おばあちゃんは
『あの子が、あんなに頑張ってる。私も歩かにゃあ🎵』
と言ってました」
と話してくれました。😊☀️
A君はうまく話せないので、おばあちゃんに「歩こう」と言うことはできません。😊
でも、自分ができる最大限🗻のことを精一杯🌸やることで、それを伝えたのです。😊
そしておばあちゃんも、A君の頑張り✊に応えて自分のいのちを輝か✨されました。
A君のいのち💓も1つ、おばあちゃんのいのち💓も1つ。
それぞれのいのちの輝き✨を通してつながっていく。
「これこそが、1つのいのち💓を力いっぱい輝かせる✨ということなんだな」
と思いました。😊🎵
残念な😵ことに、それからしばらくしておばあちゃん👵は交通事故💥で亡くなられ😇ました。
でもおばあちゃんの姿🌸は、今も私の心💓の熱いところ🔥にあります。
今から3年前、今度は「A君のお母さんが亡くなられた😇」と家内から電話📞がかかってきました。
A君はいつもお母さんと一緒🌸でした。
わが家🏠にもよく遊び🎵に来ていました。
そんな「2人で1人」の関係のお母さんが若くして亡くなって😇しまったのです。😵
私は悲しみ😢をこられきれず、ひとり運動場に出て声をあげて泣き😭ました。
その時1人の子が近づいてきました。
集団の中でうまく活動できず、教室🚪に入りにくい子でした。
その子は私をツンツン👉👉し、
「先生、どうしたん?」
と言いました。
「先生の大事な人が亡くなったんや」
と答えると、
「そうなん…」
と言ってどこかへ行ってしまいました。
しばらくするとその子がまたやって来て、
「これあげる🎵」
と言って折り紙をくれました。
その子なりの励まし✊でした。
とてもうれしかったです。😊💕
私は毎朝校門に立ち、子供たちにあいさつ🎵をするのが日課🌸です。
ある日のこと、子供たちが登校🏫してくる後から、少し距離をあけて歩いてくるおばあちゃん👵がいました。
その方は、B君のおばあちゃん👵でした。
「子供らの交通事故⚠️が心配でついてきました」
とおっしゃいました。🎵
でも子供たちがうるさがるので少し離れて☁️☁️歩いておられたのです。
花柄の腕カバーをされ、黄色い交通旗🇪🇸を持って歩いておられました。
ある日夕方、B君のお父さんから電話📞がかかってきました。
「母が交通事故🚨に遭いました。今から緊急手術🔪です」
しばらくしてまた連絡🌸が入りました。
「母が亡くなりました😇」
と…。
「あれだけ子供の交通安全⚠️を願って🙏いた、おばあちゃんが交通事故🚨で亡くなるなんて… 」。
全身から力が抜けて☁️☁️いくような感じがしました。😵☁️
お葬式も終わり、また子供たちが登校🏫してきました。
すると、後からついてくる人影👤が見えました。
B君のお父さん🍀でした。
しかも、おばあちゃんが身につけていたあの花柄の腕カバーをつけ、黄色い交通旗🇪🇸を持っておられました。
「どうされたんですか?」
と私の尋ねると
「どうしても母が『行ってこい🎵』と言うものですから…」
とおっしゃいました。😊
その登校班には、とても元気な6年生の子供がいて、おばあちゃん👵によく文句💢を言っていました。
その子は、その後この作文📝を書きました。
「僕は『ありがとう』を言いそびれた人がいます。😊
それはB君のおばあちゃん👵です。
…僕は卒業したらB君のばあちゃんに
『ありがとう』と言おうと思っていました。😊
だけどB君のおばあちゃんは、僕が『ありがとう』を言う前に死んで😇しまいました。
僕は後で、もっと早く言うべきだった😵と思いました。
僕はこういうことがないように、
なるべく早く『ありがとう🎵』を言うようにしています😊」
これらのことを通して
私は、恩師🌸である東井義雄先生🍀がよくおっしゃっていた
「いのちは一つ☀️」
の意味🍀、そして
「生かされているいのち💓、限りあるいのち💓を、力いっぱい✊輝かせる✨ことで、
いのち💓が価値👑あるものになっていく」
という言葉🍀の意味を、深く感じる💕ことができました。😊☀️
(「みやざき中央新聞」H29.11.27 西村徹さんより)
私が教師🏫になって初めて特別支援学級🌸を持たせてもらったときのことです。
その学校🏫にA君という子がいて、お母さん🌸が毎日車🚗で送り迎えされていました。😊
私はA君のお母さんに、
「明日☀️の午後から、私がA君を家🏠まで送ります。
歩くと、体も心も強く✊なって脳🌀へのいい刺激⚡️になると思いますよ」
と言って了承🍀していただきました。😊
翌日から、私はA君と一緒に歩いて👟👟下校し、
その後また学校🏫に戻り↩️ました。
往復8キロの道のり🍀でした。
A君の家🏠には、足の悪いおばあちゃん👵がいて、
A君が帰ると、おばあちゃんがいつも奥の間から
「ありがとうございます。🎵
足が悪くて😵玄関まで出ていけず。すいません🙏」
とおっしゃっていました。
でも翌年には、家のドア🚪を開けると、おばあちゃん👵が玄関まで出てこられるようになりました。☀️
3年経つ🌸頃には、玄関の前に出て、立って待たれるようになりました。😊
さらにしばらくすると、
おばあちゃんは家から数100メートルも歩いたところまで出迎え🌟てくれるようになりました。😊🎵
私は驚いて😵A君のお母さんに電話📞をしました。
「おばあちゃん、かなり歩かれていましたが、大丈夫🍀でしたか?」
と。
するとA君のお母さんは、
「A君が歩いて学校🏫に通う様子を見ながら、おばあちゃんは
『あの子が、あんなに頑張ってる。私も歩かにゃあ🎵』
と言ってました」
と話してくれました。😊☀️
A君はうまく話せないので、おばあちゃんに「歩こう」と言うことはできません。😊
でも、自分ができる最大限🗻のことを精一杯🌸やることで、それを伝えたのです。😊
そしておばあちゃんも、A君の頑張り✊に応えて自分のいのちを輝か✨されました。
A君のいのち💓も1つ、おばあちゃんのいのち💓も1つ。
それぞれのいのちの輝き✨を通してつながっていく。
「これこそが、1つのいのち💓を力いっぱい輝かせる✨ということなんだな」
と思いました。😊🎵
残念な😵ことに、それからしばらくしておばあちゃん👵は交通事故💥で亡くなられ😇ました。
でもおばあちゃんの姿🌸は、今も私の心💓の熱いところ🔥にあります。
今から3年前、今度は「A君のお母さんが亡くなられた😇」と家内から電話📞がかかってきました。
A君はいつもお母さんと一緒🌸でした。
わが家🏠にもよく遊び🎵に来ていました。
そんな「2人で1人」の関係のお母さんが若くして亡くなって😇しまったのです。😵
私は悲しみ😢をこられきれず、ひとり運動場に出て声をあげて泣き😭ました。
その時1人の子が近づいてきました。
集団の中でうまく活動できず、教室🚪に入りにくい子でした。
その子は私をツンツン👉👉し、
「先生、どうしたん?」
と言いました。
「先生の大事な人が亡くなったんや」
と答えると、
「そうなん…」
と言ってどこかへ行ってしまいました。
しばらくするとその子がまたやって来て、
「これあげる🎵」
と言って折り紙をくれました。
その子なりの励まし✊でした。
とてもうれしかったです。😊💕
私は毎朝校門に立ち、子供たちにあいさつ🎵をするのが日課🌸です。
ある日のこと、子供たちが登校🏫してくる後から、少し距離をあけて歩いてくるおばあちゃん👵がいました。
その方は、B君のおばあちゃん👵でした。
「子供らの交通事故⚠️が心配でついてきました」
とおっしゃいました。🎵
でも子供たちがうるさがるので少し離れて☁️☁️歩いておられたのです。
花柄の腕カバーをされ、黄色い交通旗🇪🇸を持って歩いておられました。
ある日夕方、B君のお父さんから電話📞がかかってきました。
「母が交通事故🚨に遭いました。今から緊急手術🔪です」
しばらくしてまた連絡🌸が入りました。
「母が亡くなりました😇」
と…。
「あれだけ子供の交通安全⚠️を願って🙏いた、おばあちゃんが交通事故🚨で亡くなるなんて… 」。
全身から力が抜けて☁️☁️いくような感じがしました。😵☁️
お葬式も終わり、また子供たちが登校🏫してきました。
すると、後からついてくる人影👤が見えました。
B君のお父さん🍀でした。
しかも、おばあちゃんが身につけていたあの花柄の腕カバーをつけ、黄色い交通旗🇪🇸を持っておられました。
「どうされたんですか?」
と私の尋ねると
「どうしても母が『行ってこい🎵』と言うものですから…」
とおっしゃいました。😊
その登校班には、とても元気な6年生の子供がいて、おばあちゃん👵によく文句💢を言っていました。
その子は、その後この作文📝を書きました。
「僕は『ありがとう』を言いそびれた人がいます。😊
それはB君のおばあちゃん👵です。
…僕は卒業したらB君のばあちゃんに
『ありがとう』と言おうと思っていました。😊
だけどB君のおばあちゃんは、僕が『ありがとう』を言う前に死んで😇しまいました。
僕は後で、もっと早く言うべきだった😵と思いました。
僕はこういうことがないように、
なるべく早く『ありがとう🎵』を言うようにしています😊」
これらのことを通して
私は、恩師🌸である東井義雄先生🍀がよくおっしゃっていた
「いのちは一つ☀️」
の意味🍀、そして
「生かされているいのち💓、限りあるいのち💓を、力いっぱい✊輝かせる✨ことで、
いのち💓が価値👑あるものになっていく」
という言葉🍀の意味を、深く感じる💕ことができました。😊☀️
(「みやざき中央新聞」H29.11.27 西村徹さんより)