🍀真実の経験🌸①
コペル君(主人公のニックネーム)。
昨日、君が興奮して話してくれた「油揚げ事件」(山口くんが浦川くんをいじめた事件)の結末は、
僕にもたいへん面白かった。
君が、北見くんと浦川くんの肩を持つのを聞いて、
当たり前のことだけど、僕はやっぱりうれしかった。
まぁ、かりに君が山口くんの仲間で、先生に叱られて出てきた山口くんと一緒に、
こそこそと運動場の隅に逃げていったのだとしてみたまえ。
お母さんや僕は、どんなにやり切れないか知れやしない。
お母さんも僕も、君に、立派な人間になってもらいたいと、心底から願っている。
君の亡くなったお父さんの、最後の希望もそれだった。
だから君が、卑劣なことや、下等なことや、ひねくれたことを憎んで、
男らしく真っ直ぐな精神を尊敬しているのを見ると、
なんといったらいいか、
ほっと安心したような気持ちになるんだ。
君にはまだ話さなかったけれど、君のお父さんは、亡くなる3日前に僕をそばへ呼んで、君のことを頼むとおっしゃった。
そして、君についての希望を僕に言いおいておかれた。
「私はあれに、立派な男になってもらいたいと思うよ。
人間として立派なものにだね」
この言葉を、僕は、ここにしっかりと書き留めておく。
君は、これをおなかの中にちゃんと畳みこんで、
決して忘れちゃならない。
僕も、この言葉だけは、おなかの底にグッと収めて、決して忘れまいと考えているんだ。
こうして、このノートブックに、いつか君に読んでもらうつもりで、いろんなことを書いておくのも、
実は、お父さんのこの言葉があるからなんだ。
君も、もうそろそろ、世の中や人間の一生について、ときどき本気になって考えるようになった。
だから僕も、そういう事柄については、もう冗談半分でなしに、まじめに君に話した方がいいと思う。
こういうことについて、立派な考えをもたずに、立派な人間にはなることはできないのだから。
そうはいっても、
「世の中とはこういうものだ。その中に人間が生きているということには、こういう意味があるのだ」
などと、一口に君に説明することは、誰にだってできやしない。
よし、説明することのできる人があったとしても、
このことだけは、あぁそうかと、すぐに飲みこめるものじゃないんだ。
英語や、幾何や、代数なら、誰でも君に教えることができる。
しかし、人間が集まってこの世の中を作り、
その中で一人一人が、それぞれ自分の一生をらしょって生きていくということにどれだけの意味があるのか、
どれだけの値打ちがあるのか、
ということになると、僕はもう君に教えることができない。
それは、君がだんだんに大人になっていくに従って、
いや、大人になってからもまだ勉強して、自分で見つけてゆかなくてはならないことなのだ。
君は、水が酸素と水素からできていることは知っているね。
それが1と2との割合になっていることも、もちろん承知だ。
ということは、言葉でそっくり説明することができるし、
教室で実験を見ながら、ははあとうなずくことができる。
ところが、冷たい水の味がどんなものなのかということになると、
もう、君自身が水を飲んでみないかぎり、どうしたって君にわからせることができない。
僕がどんなに説明してみたところで、その本当の味は、飲んだことのある人でななければわかりっこないだろう。
同じように、生まれつき目の見えない人には、赤はどんな色か、なんとしても説明のしようがない。
それは、その人の目があいて、実際に赤色を見たときに、はじめてわかることなんだ。
こういうことが、人生にはたくさんある。
たとえば、絵や彫刻や音楽の面白さなども、味わってはじめて知ることができ、
優れた芸術に接したことのない人にいくら説明したって、わからせることは到底できはしない。
殊に、こういうものになると、ただ目や耳が普通に備わっているというだけでは足りなくて、
それを味わうだけの、心の目、心の耳が開けなくてはならないんだ。
しかも、そういう心の目や心の耳が開けるということも、
実際にすぐれた作品に接し、しみじみと心を打たれて、はじめてそうなるのだ。
まして、人間としてこの世に生きているということがどれだけの意味のあることなのか、
それは、君がほんとに人間らしく生きてみて、
その間にしっかりと胸に感じとらなければならないことで、
はたからは、どんな偉い人をつれてきたって、とても教えこめるものじゃあない。
むろん昔から、こういうことについて、深い知恵のこもった言葉を残しておいてくれた、偉い哲学者や坊さんはたくさんある。
今だって、本当の文学者、本当の思想家と言えるほどの人は、
みんな人知れず、こういう問題について、ずいぶん痛ましいくらいな苦労を積んでいる。
そうして、その作品や論文の中に、それぞれ自分の考えを注ぎこんでいる。
たとえ、坊さんのようにお説教していないにしても、書いてあることの底には、ちゃんとそういう知恵がひそめてあるんだ。
だから、君もこれから、だんだんにそういう書物を読み、
立派な人々の思想を学んでゆかなければいけないんだが、
しかし、それにしても最後の鍵は、
コペル君、やっぱり君なのだ。
君自身のほかにはないのだ。
君自身が生きてみて、そこで感じたさまざまな思いをもとにして、
初めて、そういう偉い人たちの言葉の真実も理解することができるのだ。
数学や科学を学ぶように、ただ書物を読んで、それだけで知るというわけには、決していかない。
だから、こういうことについてまず肝心なことは、
いつでも自分が本当に感じたことや、
真実心を動かされたことから出発して、
その意味を考えてゆくことだと思う。
君が何かしみじみと感じたり、
心の底から思ったりしたことを、少しもゴマ化してはいけない。
そうして、どういう場合に、どういう事について、
どんな感じを受けたか、それをよく考えてみるのだ。
そうすると、ある時、ある所で、君がある感動を受けたという、
くりかえすことのないただ一度の経験の中に、
その時だけにとどまらない意味のあることがわかってくる。
それが、本当の君の思想というものだ。
これは、難しい言葉でいいかえると、
常に自分の体験から出発して正直に考えてゆけ、
ということなんだが、このことは、コペル君、本当に大切なことなんだよ。
ゴマ化しがあったら、どんなに偉そうなことを考えたり、言ったりしても、
みんな嘘になってしまうんだ。
僕やお母さんは、君の亡くなったお父さんといっしに、君に向かって、立派な人間になってもらいたいと願っている。
世の中についても、人間として生きて行くことについても、
君が立派な考えをもち、また実際、その考えどおり立派に生きていってくれることを、僕たちは何より希望している。
だからなおさら、僕がいま言ったことを、
よくよく飲みこんでおいてもらいたいと思うんだ。
僕もお母さんも、君に立派な人になってもらいたいと、心から思ってはいるけれど、
ただ君に、学業ができて行儀もよく、
先生から見ても友達から見ても、欠点のあげようのない中学生になってもらいたい、などと考えているわけじゃあない。
また、将来君が大人になったとき、世間の誰からも悪くいわれない人になってくれとか、
世間から見て難の打ちどころのない人になってくれとか、言っているわけでもない。
(つづく)
(「君たちはどう生きるか」吉野源三郎さんより)
コペル君(主人公のニックネーム)。
昨日、君が興奮して話してくれた「油揚げ事件」(山口くんが浦川くんをいじめた事件)の結末は、
僕にもたいへん面白かった。
君が、北見くんと浦川くんの肩を持つのを聞いて、
当たり前のことだけど、僕はやっぱりうれしかった。
まぁ、かりに君が山口くんの仲間で、先生に叱られて出てきた山口くんと一緒に、
こそこそと運動場の隅に逃げていったのだとしてみたまえ。
お母さんや僕は、どんなにやり切れないか知れやしない。
お母さんも僕も、君に、立派な人間になってもらいたいと、心底から願っている。
君の亡くなったお父さんの、最後の希望もそれだった。
だから君が、卑劣なことや、下等なことや、ひねくれたことを憎んで、
男らしく真っ直ぐな精神を尊敬しているのを見ると、
なんといったらいいか、
ほっと安心したような気持ちになるんだ。
君にはまだ話さなかったけれど、君のお父さんは、亡くなる3日前に僕をそばへ呼んで、君のことを頼むとおっしゃった。
そして、君についての希望を僕に言いおいておかれた。
「私はあれに、立派な男になってもらいたいと思うよ。
人間として立派なものにだね」
この言葉を、僕は、ここにしっかりと書き留めておく。
君は、これをおなかの中にちゃんと畳みこんで、
決して忘れちゃならない。
僕も、この言葉だけは、おなかの底にグッと収めて、決して忘れまいと考えているんだ。
こうして、このノートブックに、いつか君に読んでもらうつもりで、いろんなことを書いておくのも、
実は、お父さんのこの言葉があるからなんだ。
君も、もうそろそろ、世の中や人間の一生について、ときどき本気になって考えるようになった。
だから僕も、そういう事柄については、もう冗談半分でなしに、まじめに君に話した方がいいと思う。
こういうことについて、立派な考えをもたずに、立派な人間にはなることはできないのだから。
そうはいっても、
「世の中とはこういうものだ。その中に人間が生きているということには、こういう意味があるのだ」
などと、一口に君に説明することは、誰にだってできやしない。
よし、説明することのできる人があったとしても、
このことだけは、あぁそうかと、すぐに飲みこめるものじゃないんだ。
英語や、幾何や、代数なら、誰でも君に教えることができる。
しかし、人間が集まってこの世の中を作り、
その中で一人一人が、それぞれ自分の一生をらしょって生きていくということにどれだけの意味があるのか、
どれだけの値打ちがあるのか、
ということになると、僕はもう君に教えることができない。
それは、君がだんだんに大人になっていくに従って、
いや、大人になってからもまだ勉強して、自分で見つけてゆかなくてはならないことなのだ。
君は、水が酸素と水素からできていることは知っているね。
それが1と2との割合になっていることも、もちろん承知だ。
ということは、言葉でそっくり説明することができるし、
教室で実験を見ながら、ははあとうなずくことができる。
ところが、冷たい水の味がどんなものなのかということになると、
もう、君自身が水を飲んでみないかぎり、どうしたって君にわからせることができない。
僕がどんなに説明してみたところで、その本当の味は、飲んだことのある人でななければわかりっこないだろう。
同じように、生まれつき目の見えない人には、赤はどんな色か、なんとしても説明のしようがない。
それは、その人の目があいて、実際に赤色を見たときに、はじめてわかることなんだ。
こういうことが、人生にはたくさんある。
たとえば、絵や彫刻や音楽の面白さなども、味わってはじめて知ることができ、
優れた芸術に接したことのない人にいくら説明したって、わからせることは到底できはしない。
殊に、こういうものになると、ただ目や耳が普通に備わっているというだけでは足りなくて、
それを味わうだけの、心の目、心の耳が開けなくてはならないんだ。
しかも、そういう心の目や心の耳が開けるということも、
実際にすぐれた作品に接し、しみじみと心を打たれて、はじめてそうなるのだ。
まして、人間としてこの世に生きているということがどれだけの意味のあることなのか、
それは、君がほんとに人間らしく生きてみて、
その間にしっかりと胸に感じとらなければならないことで、
はたからは、どんな偉い人をつれてきたって、とても教えこめるものじゃあない。
むろん昔から、こういうことについて、深い知恵のこもった言葉を残しておいてくれた、偉い哲学者や坊さんはたくさんある。
今だって、本当の文学者、本当の思想家と言えるほどの人は、
みんな人知れず、こういう問題について、ずいぶん痛ましいくらいな苦労を積んでいる。
そうして、その作品や論文の中に、それぞれ自分の考えを注ぎこんでいる。
たとえ、坊さんのようにお説教していないにしても、書いてあることの底には、ちゃんとそういう知恵がひそめてあるんだ。
だから、君もこれから、だんだんにそういう書物を読み、
立派な人々の思想を学んでゆかなければいけないんだが、
しかし、それにしても最後の鍵は、
コペル君、やっぱり君なのだ。
君自身のほかにはないのだ。
君自身が生きてみて、そこで感じたさまざまな思いをもとにして、
初めて、そういう偉い人たちの言葉の真実も理解することができるのだ。
数学や科学を学ぶように、ただ書物を読んで、それだけで知るというわけには、決していかない。
だから、こういうことについてまず肝心なことは、
いつでも自分が本当に感じたことや、
真実心を動かされたことから出発して、
その意味を考えてゆくことだと思う。
君が何かしみじみと感じたり、
心の底から思ったりしたことを、少しもゴマ化してはいけない。
そうして、どういう場合に、どういう事について、
どんな感じを受けたか、それをよく考えてみるのだ。
そうすると、ある時、ある所で、君がある感動を受けたという、
くりかえすことのないただ一度の経験の中に、
その時だけにとどまらない意味のあることがわかってくる。
それが、本当の君の思想というものだ。
これは、難しい言葉でいいかえると、
常に自分の体験から出発して正直に考えてゆけ、
ということなんだが、このことは、コペル君、本当に大切なことなんだよ。
ゴマ化しがあったら、どんなに偉そうなことを考えたり、言ったりしても、
みんな嘘になってしまうんだ。
僕やお母さんは、君の亡くなったお父さんといっしに、君に向かって、立派な人間になってもらいたいと願っている。
世の中についても、人間として生きて行くことについても、
君が立派な考えをもち、また実際、その考えどおり立派に生きていってくれることを、僕たちは何より希望している。
だからなおさら、僕がいま言ったことを、
よくよく飲みこんでおいてもらいたいと思うんだ。
僕もお母さんも、君に立派な人になってもらいたいと、心から思ってはいるけれど、
ただ君に、学業ができて行儀もよく、
先生から見ても友達から見ても、欠点のあげようのない中学生になってもらいたい、などと考えているわけじゃあない。
また、将来君が大人になったとき、世間の誰からも悪くいわれない人になってくれとか、
世間から見て難の打ちどころのない人になってくれとか、言っているわけでもない。
(つづく)
(「君たちはどう生きるか」吉野源三郎さんより)