🍀真実の経験🌸②
そりゃあ、学校の成績はいい方がいいにきまっているし、
行儀の悪いのはこまることだし、
また、世間に出たら、人から指1本さされないだけの生活をしてもらいたいとも思うけれど、
それだけが肝心なことじゃない。
そのまえに、もっともっと大事なことがある。
君は、小学校以来、学校の修身で、もうたくさんのことを学んできているね。
人間としてどういうことを守らねばならないのか、
ということについてなら、君だって、ずいぶん多くの知識をもっている。
それは無論、どれ一つとしてなげやりにしてはならないものだ。
だから、修身で教えられたとおり、
正直で、勤勉で、克己心があり、
義務には忠実で、公徳は重んじ、人には親切だし、節倹は守る…、
という人があったら、それは確かに申し分のない人だろう。
こういう円満な人格者なら人々から尊敬されるだろうし、
また尊敬されるだけの値打ちのある人だ。
しかし、君に考えてもらわなければならない問題は、
それから先にあるんだ。
もしも君が、学校でこう教えられ、世間でもそれが立派なこととして通っているからといって、
ただそれだけで、いわれたとおりに行動し、教えられたとおりに生きていこうとするならば、
コペル君、いいか、
それじゃあ、君はいつまでたっても一人前の人間になれないんだ。
子供のうちはそれでいい。
しかし、もう君の年になると、それだけじゃダメなんだ。
肝心なことは、世間の目よりも何よりも、
君自身がまず、人間の立派さがどこにあるのか、
それを本当に、君の魂で知ることだ。
そうして、心底から、立派な人間になりたいという気持ちを起こすことだ。
いいことをいいことだとし、
悪いことを悪いことだとし、
一つ一つ判断をしてゆくときにも、
また、君がいいと判断したことをやってゆくときにも、
いつでも、君の胸からわき出てくるいきいきとした感情に貫かれていなくてはいけない。
北見君の口癖じゃないが、
「誰がなんと言ったって…」、というくらいな、心の張りがなければならないんだ。
そうでないと、僕やお母さんが君に立派になってもらいたいと望み、
君もそうなりたいと考えながら、
君はただ「立派そうに見える人」になるばかりで、
ほんとうに「立派な人」にはなれないでしまうだろう。
世間には、他人の目に立派に見えるように、見えるようにと振る舞っている人が、ずいぶんある。
そういう人は、自分がひとの目にどう映るかということを一番気にするようになって、
本当の自分、ありのままの自分がどんなものかということを、
つい、お留守にしてしまうものだ。
僕は、君にそんな人になってもらいたくないと思う。
だから、コペル君、くりかえしていうけれど、
君自身が心から感じたことや、
しみじみと心を動かされたことを、
くれぐれも大切にしてくれなくてはいけない。
それを忘れないようにして、
その意味をよく考えてゆくようにしたまえ。
今日書いたことは、君には、少し難しいかもしれない。
しかし、簡単にいってしまえば、
いろいろな経験を積みながら、
いつでも自分の本心の声を聞こうと努めなさい、
ということなんだ。
(「君たちはどう生きるか」吉野源三郎さんより)
だから、誰が何と言おうと、
自分の本心が、正しいのです。
そりゃあ、学校の成績はいい方がいいにきまっているし、
行儀の悪いのはこまることだし、
また、世間に出たら、人から指1本さされないだけの生活をしてもらいたいとも思うけれど、
それだけが肝心なことじゃない。
そのまえに、もっともっと大事なことがある。
君は、小学校以来、学校の修身で、もうたくさんのことを学んできているね。
人間としてどういうことを守らねばならないのか、
ということについてなら、君だって、ずいぶん多くの知識をもっている。
それは無論、どれ一つとしてなげやりにしてはならないものだ。
だから、修身で教えられたとおり、
正直で、勤勉で、克己心があり、
義務には忠実で、公徳は重んじ、人には親切だし、節倹は守る…、
という人があったら、それは確かに申し分のない人だろう。
こういう円満な人格者なら人々から尊敬されるだろうし、
また尊敬されるだけの値打ちのある人だ。
しかし、君に考えてもらわなければならない問題は、
それから先にあるんだ。
もしも君が、学校でこう教えられ、世間でもそれが立派なこととして通っているからといって、
ただそれだけで、いわれたとおりに行動し、教えられたとおりに生きていこうとするならば、
コペル君、いいか、
それじゃあ、君はいつまでたっても一人前の人間になれないんだ。
子供のうちはそれでいい。
しかし、もう君の年になると、それだけじゃダメなんだ。
肝心なことは、世間の目よりも何よりも、
君自身がまず、人間の立派さがどこにあるのか、
それを本当に、君の魂で知ることだ。
そうして、心底から、立派な人間になりたいという気持ちを起こすことだ。
いいことをいいことだとし、
悪いことを悪いことだとし、
一つ一つ判断をしてゆくときにも、
また、君がいいと判断したことをやってゆくときにも、
いつでも、君の胸からわき出てくるいきいきとした感情に貫かれていなくてはいけない。
北見君の口癖じゃないが、
「誰がなんと言ったって…」、というくらいな、心の張りがなければならないんだ。
そうでないと、僕やお母さんが君に立派になってもらいたいと望み、
君もそうなりたいと考えながら、
君はただ「立派そうに見える人」になるばかりで、
ほんとうに「立派な人」にはなれないでしまうだろう。
世間には、他人の目に立派に見えるように、見えるようにと振る舞っている人が、ずいぶんある。
そういう人は、自分がひとの目にどう映るかということを一番気にするようになって、
本当の自分、ありのままの自分がどんなものかということを、
つい、お留守にしてしまうものだ。
僕は、君にそんな人になってもらいたくないと思う。
だから、コペル君、くりかえしていうけれど、
君自身が心から感じたことや、
しみじみと心を動かされたことを、
くれぐれも大切にしてくれなくてはいけない。
それを忘れないようにして、
その意味をよく考えてゆくようにしたまえ。
今日書いたことは、君には、少し難しいかもしれない。
しかし、簡単にいってしまえば、
いろいろな経験を積みながら、
いつでも自分の本心の声を聞こうと努めなさい、
ということなんだ。
(「君たちはどう生きるか」吉野源三郎さんより)
だから、誰が何と言おうと、
自分の本心が、正しいのです。