変化の時代①
🔸落合、林野さん、お久しぶりでございます。
🔹林野、ほんとに、どれくらいぶりでしょうね。
しばらくお見かけしない間に、落合さんは西武信用金庫の理事長に就任されて、大変な躍進をとげておられるようで。
🔸落合、元理事長の貫井の時代に、林野さんが小売業の進んだ発想を植えつけて下さったおかげです。
あれは、まだ林野さんがクレディセゾンの社長に就任なさる前でしたね。
🔹林野、確か常務の時だったと思います。貫井さんにはずいぶん懇意にしていただきました。
🔸落合、当時、私はまだ実務部隊でしたから、貫井と直接やりとりなさっている林野さんは雲の上の存在で、いつも遠くから拝見しているだけでした(笑)。
🔹林野、あの頃は、いくつかの銀行からのご依頼で経営戦略についてお話をさせていただきましたが、
本当に生かしていただいたところは何行もありませんでした。
そういう中で、西武信金さんは見事に改革を実現なさいましたね。
🔸落合、おかげさまで、一般企業の売り上げに当たる貸出金は、前期比1,970億円増で業界一位。
健全性の指標である不良債権比率は1.32%と業界平均を大きく下回るなど、業界トップクラスの実績を上げるまでになりました。
🔹林野、世間では相変わらず悲観論が幅をきかせていますが、
史上最高益の企業はかなり多くて、内部保留に課税しようという話が持ち上がるくらいです。
日本の海外資産も世界一で、そこから来るリターンで経常収支が黒字になっていますよね。
いまの景気はかなりいいと私は見ています。
ただ、経済成長の核が先進国から新興国へシフトして、
地球全体が同時に成長するという未知の次元に入り、
私どもの業界では、ライバル会社のほとんどがメガバンクの傘下に組みこまれてしまいました。
もうクレジットカードだけの単品依存では通用しない時代に入りましたから、
カード会社にこだわらない、先端サービスを提供していく会社へと、
ビジネスモデルチェンジを進めて多様なビジネス領域にチャレンジしています。
そして、東南アジアにもビジネスを拡大しているところなんです。
🔸落合、確かに世界は大きな変革期に入って、世界経済の主役は完全に先進国から新興国に代わりましたね。
高くてもよいものが売れた時代から、
安くなければダメな時代になり、
新興国が伸びる一方で、
先進国は少子高齢化によって成熟から衰退へ向かいつつあります。
そういう環境下で、いまAI (人工知能)が本格稼働しつつあります。
AIを甘く見ていた企業はいま慌てふためいていますけど、
このままいくと既存業務の多くが機械に置き換えられてしまって、
営業マンが90〜95%要らなくなってしまうと言われています。
🔹林野、大変な時代になりますね。
🔸落合、ですから、私どもはもう4年くらい前から事務系の職員はあまり採っていないんです。
その代わり、お客様の課題解決のために三万人を超える専門家と提携してコンサルをやっています。
ゆくゆくは専門家の人材派遣を手がけていくことも考えながらビジネスモデルの転換を図っているところです。
いずれにしても、この変革期で既存業務がガタガタとぐずり始めていますから、
いろんなことを変えて対応していく必要があります。
変化はチャンスだ、
この変革期は小が大に勝つ絶好のチャンスだと、私は繰り返しているんです。
🔸落合、きょうは目の前の経営課題のことばかりでなく、林野さんの足跡についてもぜひ伺いたいと思います。
林野さんの若い頃のことは伺ったことがないので、楽しみにしておりました。
🔹林野、私は何せ気が多くて、子供の頃はペンキ屋とか魚屋になりたいと思っていたんですが、
中学時代はプレスリーに感化されて、やっぱりロックンロールだなと。
しかし高校に入ると、いやディスクジョッキーかレコード会社のディレクターだと(笑)。
そういう中でも、父親が株を持っていた関係で、小学生の頃から絶えず終値をきかされて、気がついたら『会社四季報』を枕元に置いて寝るくらい興味を持つようになっていました。
有力会社の社長は全部頭に入っていましたから、大学を出たら証券会社に行こうと思ったんです。
どうせ入るなら若いうちに差をつけられる会社がいい。
証券会社なら、上がる株を見つけてお客さんを儲けさせればいいんだから、負けっこないぞと(笑)。
ところが就職活動の時期に、山一証券が潰れそうになりましてね。
あの証券恐慌の時ですよ。
そのあおりを受けて、大学の推薦人員は野村証券の1人だけで、
日興証券も大和証券も0。
行くところがないなと思ったら、西武百貨店が「学部指定なし」って書いてあった。
経営の実権を握りつつあった堤清二さんは若くて、室生犀星賞の詩人でもあるし、これはいいなと思って入社を決意したんです。
🔸落合、当初は、どんなことを心掛けて仕事をなさっていましたか。
🔹林野、会社に入る以上は、社長になろうと思って仕事していました。
よかったのは、若い堤清二さんが社長に就任して、百貨店を大きく変えていく時期に入社できたことです。
何しろ堤さんからは、バッティングセンターみたいにポンポン課題が飛んでくる。
私は何とか打ち返そうと、必死で考えてその日のうちに答えを出す。
それを繰り返すうちに、どんな課題も2時間で答えを出せるようになったんです。
🔸落合、そうした鍛錬のおかげで今の林野さんがあるわけですね。
🔹林野、やっぱり若いうちにハードトレーニングを積んで鍛えなければ、一丁前にはなれないですね。
いまは国を挙げて労働改革が進んでいるから、
会社で働く時間には制限があるけれども、
だからって家でテレビやスマホばかり見ていたのではとても一丁前にはなれません。
自分の時間をたくさん持っているようになった分、有効に使って努力すべきです。
仕事ばかりでなく、遊びだって思いっきりやればいいんですよ。
働く、遊ぶ、学ぶ、この三つに全力投球する。
その中で、これをやろうと思い浮かんだものをメモに取って、
ワクワクしながら会社に来るくらいでなければね。
🔸落合、そういう意味では、堤さんのもとで仕事をする機会を得られたことが、林野さんの原点になったわけですね。
🔹林野、おっしゃるとおりです。私は人事部に配属されたので、若いうちから幹部集会などにも同席して、横で話を聞くことができました。
そうしたら堤さんの口から、
経営思想とか、顧客最優先とか、組織理念とか、そんな言葉がどんどん飛び出すんです。
いまでこそどの会社でも言っていますけど、
昭和40年代前半の当時から、堤さんはもうそんなことをおっしゃっていた。
並じゃないなと思いましたね。
だから私は、いずれ自分が経営する立場に立ったら、必ずそれを実現してやろうと思いました。
男女平等とか、学歴無用とか、堤さんの口から出たインパクトのある言葉を、自分の手で実現するんだというのが、生涯の目標になりましたね。
それから堤さんは、経済界の人ばかりでなく、政治家とも文化人とも付き合うんですよ。
スケジュール表を見ると、毎晩だいたい2つずつ宴会が入っている。
交遊の広さはすごかった。
しかし、こっちは夜の時間を自由に使えるんだから勝てるなと(笑)。
堤さんは10年くらいお仕えしましたが、
2人きりで親しく言葉を交わす機会にも恵まれて、
本当に貴重な勉強させていただきました。
(つづく)
(「致知」2月号 西武信金理事長 落合寛司さん、クレディセゾン社長 林野宏さん対談より)
🔸落合、林野さん、お久しぶりでございます。
🔹林野、ほんとに、どれくらいぶりでしょうね。
しばらくお見かけしない間に、落合さんは西武信用金庫の理事長に就任されて、大変な躍進をとげておられるようで。
🔸落合、元理事長の貫井の時代に、林野さんが小売業の進んだ発想を植えつけて下さったおかげです。
あれは、まだ林野さんがクレディセゾンの社長に就任なさる前でしたね。
🔹林野、確か常務の時だったと思います。貫井さんにはずいぶん懇意にしていただきました。
🔸落合、当時、私はまだ実務部隊でしたから、貫井と直接やりとりなさっている林野さんは雲の上の存在で、いつも遠くから拝見しているだけでした(笑)。
🔹林野、あの頃は、いくつかの銀行からのご依頼で経営戦略についてお話をさせていただきましたが、
本当に生かしていただいたところは何行もありませんでした。
そういう中で、西武信金さんは見事に改革を実現なさいましたね。
🔸落合、おかげさまで、一般企業の売り上げに当たる貸出金は、前期比1,970億円増で業界一位。
健全性の指標である不良債権比率は1.32%と業界平均を大きく下回るなど、業界トップクラスの実績を上げるまでになりました。
🔹林野、世間では相変わらず悲観論が幅をきかせていますが、
史上最高益の企業はかなり多くて、内部保留に課税しようという話が持ち上がるくらいです。
日本の海外資産も世界一で、そこから来るリターンで経常収支が黒字になっていますよね。
いまの景気はかなりいいと私は見ています。
ただ、経済成長の核が先進国から新興国へシフトして、
地球全体が同時に成長するという未知の次元に入り、
私どもの業界では、ライバル会社のほとんどがメガバンクの傘下に組みこまれてしまいました。
もうクレジットカードだけの単品依存では通用しない時代に入りましたから、
カード会社にこだわらない、先端サービスを提供していく会社へと、
ビジネスモデルチェンジを進めて多様なビジネス領域にチャレンジしています。
そして、東南アジアにもビジネスを拡大しているところなんです。
🔸落合、確かに世界は大きな変革期に入って、世界経済の主役は完全に先進国から新興国に代わりましたね。
高くてもよいものが売れた時代から、
安くなければダメな時代になり、
新興国が伸びる一方で、
先進国は少子高齢化によって成熟から衰退へ向かいつつあります。
そういう環境下で、いまAI (人工知能)が本格稼働しつつあります。
AIを甘く見ていた企業はいま慌てふためいていますけど、
このままいくと既存業務の多くが機械に置き換えられてしまって、
営業マンが90〜95%要らなくなってしまうと言われています。
🔹林野、大変な時代になりますね。
🔸落合、ですから、私どもはもう4年くらい前から事務系の職員はあまり採っていないんです。
その代わり、お客様の課題解決のために三万人を超える専門家と提携してコンサルをやっています。
ゆくゆくは専門家の人材派遣を手がけていくことも考えながらビジネスモデルの転換を図っているところです。
いずれにしても、この変革期で既存業務がガタガタとぐずり始めていますから、
いろんなことを変えて対応していく必要があります。
変化はチャンスだ、
この変革期は小が大に勝つ絶好のチャンスだと、私は繰り返しているんです。
🔸落合、きょうは目の前の経営課題のことばかりでなく、林野さんの足跡についてもぜひ伺いたいと思います。
林野さんの若い頃のことは伺ったことがないので、楽しみにしておりました。
🔹林野、私は何せ気が多くて、子供の頃はペンキ屋とか魚屋になりたいと思っていたんですが、
中学時代はプレスリーに感化されて、やっぱりロックンロールだなと。
しかし高校に入ると、いやディスクジョッキーかレコード会社のディレクターだと(笑)。
そういう中でも、父親が株を持っていた関係で、小学生の頃から絶えず終値をきかされて、気がついたら『会社四季報』を枕元に置いて寝るくらい興味を持つようになっていました。
有力会社の社長は全部頭に入っていましたから、大学を出たら証券会社に行こうと思ったんです。
どうせ入るなら若いうちに差をつけられる会社がいい。
証券会社なら、上がる株を見つけてお客さんを儲けさせればいいんだから、負けっこないぞと(笑)。
ところが就職活動の時期に、山一証券が潰れそうになりましてね。
あの証券恐慌の時ですよ。
そのあおりを受けて、大学の推薦人員は野村証券の1人だけで、
日興証券も大和証券も0。
行くところがないなと思ったら、西武百貨店が「学部指定なし」って書いてあった。
経営の実権を握りつつあった堤清二さんは若くて、室生犀星賞の詩人でもあるし、これはいいなと思って入社を決意したんです。
🔸落合、当初は、どんなことを心掛けて仕事をなさっていましたか。
🔹林野、会社に入る以上は、社長になろうと思って仕事していました。
よかったのは、若い堤清二さんが社長に就任して、百貨店を大きく変えていく時期に入社できたことです。
何しろ堤さんからは、バッティングセンターみたいにポンポン課題が飛んでくる。
私は何とか打ち返そうと、必死で考えてその日のうちに答えを出す。
それを繰り返すうちに、どんな課題も2時間で答えを出せるようになったんです。
🔸落合、そうした鍛錬のおかげで今の林野さんがあるわけですね。
🔹林野、やっぱり若いうちにハードトレーニングを積んで鍛えなければ、一丁前にはなれないですね。
いまは国を挙げて労働改革が進んでいるから、
会社で働く時間には制限があるけれども、
だからって家でテレビやスマホばかり見ていたのではとても一丁前にはなれません。
自分の時間をたくさん持っているようになった分、有効に使って努力すべきです。
仕事ばかりでなく、遊びだって思いっきりやればいいんですよ。
働く、遊ぶ、学ぶ、この三つに全力投球する。
その中で、これをやろうと思い浮かんだものをメモに取って、
ワクワクしながら会社に来るくらいでなければね。
🔸落合、そういう意味では、堤さんのもとで仕事をする機会を得られたことが、林野さんの原点になったわけですね。
🔹林野、おっしゃるとおりです。私は人事部に配属されたので、若いうちから幹部集会などにも同席して、横で話を聞くことができました。
そうしたら堤さんの口から、
経営思想とか、顧客最優先とか、組織理念とか、そんな言葉がどんどん飛び出すんです。
いまでこそどの会社でも言っていますけど、
昭和40年代前半の当時から、堤さんはもうそんなことをおっしゃっていた。
並じゃないなと思いましたね。
だから私は、いずれ自分が経営する立場に立ったら、必ずそれを実現してやろうと思いました。
男女平等とか、学歴無用とか、堤さんの口から出たインパクトのある言葉を、自分の手で実現するんだというのが、生涯の目標になりましたね。
それから堤さんは、経済界の人ばかりでなく、政治家とも文化人とも付き合うんですよ。
スケジュール表を見ると、毎晩だいたい2つずつ宴会が入っている。
交遊の広さはすごかった。
しかし、こっちは夜の時間を自由に使えるんだから勝てるなと(笑)。
堤さんは10年くらいお仕えしましたが、
2人きりで親しく言葉を交わす機会にも恵まれて、
本当に貴重な勉強させていただきました。
(つづく)
(「致知」2月号 西武信金理事長 落合寛司さん、クレディセゾン社長 林野宏さん対談より)