6🌟「他力」を活かす🌟
将棋では、対局中、相手の集中力によって自分の集中力が呼び起こされることがある。
脳が共感するとでもいうのだろうか。
お互いにピンポンのボールを打ちあっているように、
リズムが合ってくるようなもの、といったら分かっていただけるだろうか。
対局しているうちにだんだんと相手の集中に乗っていく感覚を得ることがある。
心理学ではミラー効果というそうだが、
相対した相手と同じ動きをしているうちに、心理的にも同調することができ、
安心した相手の話を受け入れやすくなったり、相手に好意を持ったりすることになるそうだ。
対局の場合は勝ち負けだから、相手と同調することを目指しているわけではないのだが、
盤面を挟んで向かい合い、交互に駒を動かしていくうちに、自然とそういった現象が起きるのかもしれない。
そしてそれは、勝負をおざなりにするものではなく、むしろ、その質を高めるものだ。
そして向かい合う2人でいかに美しい局面を生み出していくか…
それが将棋の醍醐味であり、直感を磨くための道筋であると思っている。
将棋また、その瞬間の指し手で自分の持てる力を全部出せばいいというものではない。
たとえば重量挙げは、持てる力を全部出さなければならない競技だろう。
バーを持ち上げるまさにその一瞬に、あらゆる力を一気に投入する。
それまでのトレーニングの積み重ね、筋力と気力をピークに高め、タイミングを合わせる。
そこで力を爆発させるのだ。
しかし将棋では、強さの加減をはかることが必要になる。
常に一番強い手で行ってはいけないということだ。
その時々で加減をしながら、結果的に玉を取る、勝負に勝つことが求められる。
テニスにおいても、思いっきり打ってはラインから外れてしまう。
加減をしてスピードのあるボールを返す感じだ。
その局面において一番強い手が最善の手ではない。
それが将棋の性質だ。
とはいえ、やはり気持ちとしては一番強い手で行きたい。
目の前に見える状況で、考え得る最後の手を指したい。
しかし、その瞬間だけで見れば相手に大きな打撃を与えるかもしれな一手が、
その先へと行った際、反作用も大きくなってしまう。
それを見越した一手を選ぶには、先を見通す目とともに、
そこで気持ちを抑え、自分の手を意識的に弱めることのできる理性が必要なのだ。
それには、単なる「読み」だけでは足りない。
自分の「読み」だけで事足りてしまうと考えれば、すぐにその偏狭さを思い知らされることになる。
将棋は相手と築いていくものだからだ。
「手渡す」という言い方がある。
自分が指した瞬間に相手に手番が渡れば、
その瞬間から、自分は何もできなくなるのだ。
自分だけではどうにもならない。
つい先ほど指した自分の手が最善のものになるか、
手痛い失策となるかは、相手の出方次第でまったく変わってしまう。
つまりは、他力。
将棋は他力によるところが大きいのだ。
自分が何を選択するかも大事だが、トッププロ同士で1番のかけひきは、
いかに自分が何もしないで相手に手を渡すかだ。
そして相手の出方を見てから指す。
その対応がいかに柔軟にできるか。
自分で流れを構想したからといって、それでよし、ということはない。
それは、武術にも似ている。
相手の出方、相手の力を利用するということだ。
こちらから何かしようとするよりも、相手が動く、その力を自分の力に変える。
少し手を出しただけなら受ける反応も小さいが、
強い力で行けば、その分強い力で投げ返される。
しかし、常にダメージを受けないことだけを考えて踏み出さずにいては、勝負は前進まない。
いかに、投げ返されない程度の強い力でいくか…これが、大切になる。
そしてある意味協働して流れを築いていきながら、
タイミングを見て、ここぞというときは相手が投げ返すことのできないような一手を繰り出す。
そこが勝負どころなのだ。
(「直感力」羽生善治さんより)
将棋では、対局中、相手の集中力によって自分の集中力が呼び起こされることがある。
脳が共感するとでもいうのだろうか。
お互いにピンポンのボールを打ちあっているように、
リズムが合ってくるようなもの、といったら分かっていただけるだろうか。
対局しているうちにだんだんと相手の集中に乗っていく感覚を得ることがある。
心理学ではミラー効果というそうだが、
相対した相手と同じ動きをしているうちに、心理的にも同調することができ、
安心した相手の話を受け入れやすくなったり、相手に好意を持ったりすることになるそうだ。
対局の場合は勝ち負けだから、相手と同調することを目指しているわけではないのだが、
盤面を挟んで向かい合い、交互に駒を動かしていくうちに、自然とそういった現象が起きるのかもしれない。
そしてそれは、勝負をおざなりにするものではなく、むしろ、その質を高めるものだ。
そして向かい合う2人でいかに美しい局面を生み出していくか…
それが将棋の醍醐味であり、直感を磨くための道筋であると思っている。
将棋また、その瞬間の指し手で自分の持てる力を全部出せばいいというものではない。
たとえば重量挙げは、持てる力を全部出さなければならない競技だろう。
バーを持ち上げるまさにその一瞬に、あらゆる力を一気に投入する。
それまでのトレーニングの積み重ね、筋力と気力をピークに高め、タイミングを合わせる。
そこで力を爆発させるのだ。
しかし将棋では、強さの加減をはかることが必要になる。
常に一番強い手で行ってはいけないということだ。
その時々で加減をしながら、結果的に玉を取る、勝負に勝つことが求められる。
テニスにおいても、思いっきり打ってはラインから外れてしまう。
加減をしてスピードのあるボールを返す感じだ。
その局面において一番強い手が最善の手ではない。
それが将棋の性質だ。
とはいえ、やはり気持ちとしては一番強い手で行きたい。
目の前に見える状況で、考え得る最後の手を指したい。
しかし、その瞬間だけで見れば相手に大きな打撃を与えるかもしれな一手が、
その先へと行った際、反作用も大きくなってしまう。
それを見越した一手を選ぶには、先を見通す目とともに、
そこで気持ちを抑え、自分の手を意識的に弱めることのできる理性が必要なのだ。
それには、単なる「読み」だけでは足りない。
自分の「読み」だけで事足りてしまうと考えれば、すぐにその偏狭さを思い知らされることになる。
将棋は相手と築いていくものだからだ。
「手渡す」という言い方がある。
自分が指した瞬間に相手に手番が渡れば、
その瞬間から、自分は何もできなくなるのだ。
自分だけではどうにもならない。
つい先ほど指した自分の手が最善のものになるか、
手痛い失策となるかは、相手の出方次第でまったく変わってしまう。
つまりは、他力。
将棋は他力によるところが大きいのだ。
自分が何を選択するかも大事だが、トッププロ同士で1番のかけひきは、
いかに自分が何もしないで相手に手を渡すかだ。
そして相手の出方を見てから指す。
その対応がいかに柔軟にできるか。
自分で流れを構想したからといって、それでよし、ということはない。
それは、武術にも似ている。
相手の出方、相手の力を利用するということだ。
こちらから何かしようとするよりも、相手が動く、その力を自分の力に変える。
少し手を出しただけなら受ける反応も小さいが、
強い力で行けば、その分強い力で投げ返される。
しかし、常にダメージを受けないことだけを考えて踏み出さずにいては、勝負は前進まない。
いかに、投げ返されない程度の強い力でいくか…これが、大切になる。
そしてある意味協働して流れを築いていきながら、
タイミングを見て、ここぞというときは相手が投げ返すことのできないような一手を繰り出す。
そこが勝負どころなのだ。
(「直感力」羽生善治さんより)