hideyukiさんの、令和もみんなガンバってますね!笑み字も!Webにも愛と光を!

日々の楽しい話、成長の糧などを綴ります。
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(^_^)私はとっても普通の人です。

まさかのバトンタッチ①

2017-12-26 16:37:57 | お話
①まさかのバトンタッチ


🔹伊藤、諏訪さんとは政府の委員会でご一緒させていただいたことがありますが、深くお話しする機会はなかったので、今日はとても楽しみにしていました。

🔸諏訪、私もです。伊藤さんとは年齢も近くて、お互い32歳のときに突然父の会社の社長を引き継いだという点では、似ているところがありますよね。

だから、結構伊藤さんと間違われるんです(笑)。

🔹伊藤、今度諏訪さんの話がドラマ化されるって聞きました。

🔸諏訪、そうなんです。2013年に出版した『町工場の娘』が原則となって、NHKの金曜夜10時の枠で「マチ工場のオンナ」というドラマが11月24日から全7回で放映されます。

舘ひろしさんと内山理名さんが私たち親子の役を演じてくださっていて、主題歌は松田聖子さんがストーリーに合わせて作詞作曲を手がけてくださったんですよ。

🔹伊藤、へえ、すごい。

🔸諏訪、会社名が「ダリア精機」で、最初に競馬の話が出てくるんですけど、馬の名前が「スワダイヤモンド」(笑)。

🔹伊藤、面白いですね(笑)。

🔸諏訪、伊藤さんの会社は違いますけど、まだやっぱり中小企業って景気がいいというところまで行っていないので、

このドラマが少しでも経営者の方のモチベーションやヒントになればと思っています。

高度経済成長の後半に創業された経営者がいまバトンタッチを迎える時期になっていて、

これからが中小企業の事業継承のピークに当たるんですよ。

伊藤さんもそうですけど、私は人も早く事業継承して、何をしたらいいのか全くわからない中、

何とか赤字の会社を立て直してきましたから、

これまで自分が培ってきた経営手法をすべて公開しようと。

新聞や雑誌の取材を受けたり、本を書いたり、Facebookで発信したり、

1番力を入れている講演活動は全国各地で年間100回ぐらい。

🔹伊藤、ということは、3日に1回ほどのペース。

🔸諏訪、なので、どこに行くのも全部日帰り出来るようにしています。

で、朝は必ず会社に行くと。

うちは自動車や機械の部品を計測するゲージという製品を主に作っていて、

年商3億円、社員数34名のすごく小さな町工場なんですけど、

本気で中小企業の活性化を考えて日々活動しています。

それには、中小企業の活性化に熱心だった父が64歳にして志半ばで逝ってしまったので、

その志を引き継がなきゃいけないという思いもありますね。

🔸諏訪、伊藤さんの会社はメッキ加工を手がけられていますが、いまどんなことに注力されていますか。

🔹伊藤、私も社長になっても18年目になりますけど、

前期は就任以来最高の売り上げと利益を出すことができました。

年商は9億円、社員は70名います。

その中でいま一番力を入れているのは、人材育成ですね。

当社は来年ちょうど創業60周年を迎えるんですよ。

🔸諏訪、おめでとうございます。

🔹伊藤、創業者である父は50周年も見届けることができず、33周年の1991年に65歳で亡くなりました。

なので、私自身どうしても50年は見届けたいなという気持ちがあって、まずは100年企業を目指そうと。

自分の命というのはどこで終わるか分からないので、

何があっても会社は継続していけるように、経営のバトンをしっかり渡せる人を育てていくことが大事だと思っています。

🔸諏訪、人材育成においてどんなことを重んじていますか。

🔹伊藤、人それぞれ個性があるので、その個性をうまく伸ばす。

出る杭は打たれずに伸ばし続けようと思っているんですね。

ですから、メッキの技術的な教育も当然必要なんですけど、

人間力というか、物事を自分で考えながら、それをちゃんと言葉で伝えたり、行動に繋げられる人になってもらいたい。

🔸諏訪、ああ、人間力が大事だと。

🔹伊藤、それと、社員がワクワクするような夢を掲げたいなと思って、

2020年の東京五輪で使用する金メダルのメッキ加工の受注を目指しています。

金メダルは銀製のメダルを6グラム以上の金で覆う必要がありまして、

そのように厚く均一に施すのは非常に難しいんです。

当社は創業以来、腕時計や楽器など厚付けのメッキ加工を得意としてきたので手を挙げました。

これに関しては再生金属から製作するという話も出ていて、まだどうなるかわからないんですけど、

とにかく社員がワクワクしながら働いたり、自分の夢を叶えられる会社にしたいなと。

社員が家を買いたい、子供を海外留学させたいと思った時に、

それを叶えてあげられるように、

しっかりと利益を出して社員に還元していきたいです。


(つづく)

(「致知」1月号 諏訪貴子さん伊藤麻美さん対談より)

人の観念②

2017-12-25 08:59:28 | ひとりさん
🍀人の観念🍀②


私は中学校しか出てないんけど、高校とか大学へ行っておけばよかったなんて考えたこともないんです。

むしろ、行かなくてよかったと思っているくらいなんだよね。

勉強が嫌いだったから、

学校みたいなめんどくさいところ行かないでよかったって、

いまだに本気で思っているの。

そうすると、学校に行かなくても成功するような現象が起きるんです。

反対に、自分はろくに学校も出てないからダメなんだって思っていたら、

その通りダメな現象が起きるんだよね。

もし私のそういうことを考えていたら、長寿番付に乗ることがなかったの。

誤解があるといけないから言っておくけど、

学校がダメなんじゃないよ。

学校が好きな人、勉強が好きな人は学校に行けばいいの。

それぞれみんな正しいんだけど、私の場合は学校が苦手だったというだけのことだからね。


人間っていうのは、とにかく思い込みやすいんです。

だけど、その思い込みを取り去ってしまえば、人生は思い通りに動かせるんだよ。

幸せな考え方ができる人には、その幸せな波動に引き寄せられ、もっと幸せなことが起きるの。

だから毎日楽しくなるんだよね。

不幸な考え方しかできない人は、不幸な波動が出るの。

そうすると、その波動に見合った嫌な事しか起きなくなるから、

ますます気分が悪くなって楽しめないんです。


それとね、神様って本当にいるんだよね。

で、私たちがやってることが世間の役に立てば、役に立った分だけ、

神はお金でも名誉でも何でもくれるようになっているんです。

この世のすべては神のものだから、神がくれるって言ったら絶対にくれるんです。

私はこんなに顔晴って人の役に立っているのに何ももらえないって言うけど、

そういう人は、心のどこかで「お金を求めちゃいけない」って思い込んでるからなの。

精神論をやってる人ほど、清く生きるにはお金を求めちゃいけないとかって言うけど、

じゃあ意地悪の悪い奴とか性格の悪い奴がお金持ちになったほうがいいんですかって話になっちゃうんだよね。

で、そうだって言う人はそれでいいの。

清く貧しく生きたいって言う人は、その人にとってはそれが正しいんだよね。

だけど、私はそれが理解できないんだよね。

何で清い人が貧しくなきゃいけないんだって思うの。

私はね、人の役に立っている人ほど豊かになるべきだと思っているんです。

人の役に立ったのに豊かになっちゃいけないっていうのは、

食べ物を売ってもいいけど、お代をもらっちゃいけないって言ってるのと同じなんです。

ちょっと考えるだけで、おかしいってわかるよね。

私の知ってる神様は本当に豊かなの。

この地球を作り、海を作り、空を作り、金をつくり、銀を作り、ダイヤモンドを作り、

ありとあらゆる富を作り出した。

そんな神が、「貧しく生きろ」なんて言うわけがない。

だから、私の人生では「清く貧しく」っていうのは違うの。

私にとっては「清く豊か」が正しいんです。


ほかの人は失敗したかもしれないけど、自分だけは成功するって思うことも私のなかで正しいんだよね。

一番いいのは、自分が正しいと思ったことで成功して、

そのやり方を人に教えるということ。

自分が望むことを一生懸命やって、

それが正しいとわかったとき、惜しみなく人に教えるんです。

これは、自分を愛して人を愛するということであり、

神が必要とする人間になるということなの。

私は、だれが何と言おうと清く豊かになると決めて生きてきたし、

私と縁のある人はみんな豊かになって欲しいと思うから、

私の知ってることを全部教えるんです。

お金持ちは嫌われるって言うけど、好かれるお金持ちになるばいいんだよね。

そう思ってるから、私のことを好きな人はいっぱいいるんです。

もちろん、全員から好かれることはできないよ。

だけど、少なからず私のファンだと言ってくれる人もいるんだよね。

それは、正々堂々と自分の正しいことをやってて、その方法をお弟子さんに教えて、お弟子さんがそのお弟子さんに教えて…、って、

みんなが豊かで幸せになれるように考えているからだと思うんです。


幸せになりたいのなら、まずはあなた自身がどう生きたいのか、自分に問いかけてみてください。

それで平均に生きたいんだって心から望んでいるなら、そう思うことがあなたの成功だよね。

だけど、本当はお金持ちになりたいんだとしたら、

自分だけは必ず豊になれるんだっていう気持ちのこと気持ちになること。

それがたいせつだよね。

苦しんだ人しか天国へ行けないと言うと、

国の政策が悪かろうが何だろうが、みんな我慢しちゃうんだよ。

そうすると国としては都合がいいから、昔の指導者たちは国民にそうやって思い込ませてきたんです。

でも、そんなことはもうやめようって言いたいんだよね。

絶対にそんなこと言わないよ。

神は絶対にそんなこと言わないし、犠牲になれとか言わないし、

犠牲を求めないのが神だから。

少なくとも、私にいろんなことを教えてくれた神様は、そうことそういうことを言っていないんです。

だから、私はそのことを、人生をかけて証明するだけなの。

はい、ありがとうございました。


(「斎藤一人 奇跡を起こす大丈夫の法則」舛岡はなゑさんより)

人の観念①

2017-12-24 11:56:33 | ひとりさん
🍀人の観念🍀①
(人にはどうして「観念」があるんですか?)


はい、お答えします。

観念て、要するに思い込みなんだけど、人が育ったウチの家風みたいなのがあったり、

「これはこうよ」「これはダメよ」

とか言われてるしているうちに、

だんだん親の言ってることが正しいような気になっちゃうんです。

だけど、それは自分の親から言われたことだよね。

親は、そのまた親から言われたことなんです。

だれにでも、そういう観念てあるんだよね。

よく「俺はこういう人間なんだ」とか言う人がいるんだけど、

それって本当の自分なの?

それって人から言われたことじゃない?

ってことなの。

だから一回、自分って本当はどういう人間だんだろう、

自分が本当に好きなことって何だろうって考えてみるといいよね。


チョコレートパフェが好きだとか、サンマが好きだとかね。

そういう些細なことが大事なんです。

小さいときに、黄色い靴下が欲しいって言ったとき、お母さんから

「ダメよ、そんなの」

って返されて、

そのうち言わなくなったけど本当は黄色い靴下が好きなんだとか。

死ぬ前に何がいちばん食べたい?

って聞かれたら、私だったらお茶漬けが食べたいんです。

そうやってね、改めて自分の好きなものは何だろうって考えてみると、

本当の自分が少しずつわかってくるの。

本当に食べたいもの、本当に着たい服…、そういう小さなことを大事にしていると、

自分を見失わないでいられますよ。

🍀🍀🍀

あのね、人って全員違うんです。

違うのが当たり前なの。

周りがみんなこうだからって、自分まで周りと同じにするのはおかしいことなんだよ。

目の形から鼻の穴の形まで、同じ人は1人もいないの。

全部違うんだよね。

それなのに、何とかして子供を平均にしようとして、

平均まで行くと、今度は平均以上にしようと望む親がいるんだよね。

じゃあ聞くけど、平均って何の平気なんですかって。

平均て、みんなの成績を合わせて、人数で割った数なんです。

はっきり言って、そんな奴いるのかって思うよね(笑)。

たとえそういう人がいるとしても、1000人に1人いればいい程度の話で、999人は平均じゃないの。

そもそも、平均を出しちゃダメなものってあるんだよ。

平均っていうのは学校の先生が出すもので、

自分のなかで平均を出しちゃったら、

もうそれ以上どっちにも行けなくなってしまうんです。

1億2,000万人いたら、1億2,000万通の道があるんです。

それを、みんなと同じ道しかないような考え方をするのはおかしいんだよね。

ほかの人はそうじゃないからとか、ああじゃないからとかって、

あなたはほかの人と同じじゃないんです。

神が創った、絶対なる存在なんです。


アインシュタインが新しい理論を発見したときだって、

「自分だけは」というつもりにならなきゃ発見なんかできなかったんだよね。

みんなはできないんだから、自分もできないって言ってたら、

世のなか何もできないんです。

自分が正しいと思うことを楽しく行えばいいの。


(「斎藤一人 奇跡を起こす大丈夫の法則」舛岡はなゑさんより)

2歳の先生

2017-12-23 14:11:52 | お話
🌸🌸『2歳の「先生」~父に感謝できるようになったのは…~』🌸🌸


私が14歳の時、父が経営する会社が倒産し、父は私と母を残して愛人と夜逃げしました。

病弱だった母は一生懸命働いて私を高校へ入れてくれました。しかし働き過ぎによる急性心不全で死んでしまいました。

私は16歳で天涯孤独になりました。

高校を中退した私は、起業を決意してアルバイトをしながらお金を貯めました。

18歳の時、カラオケのリース会社を起業しました。でも悪質な仲介業者が機械を持って行方をくらましてしまいました。

私は三畳一間の住まいを引き払い、上野公園をさまよいました。

そこで「自衛官募集」のチラシを見つけ、今度は自衛隊に入りました。

除隊するまでに貯めたお金で24歳の時に福岡で起業しました。資本金も人も、全て自分で集めました。

必死に働きましたが、従業員に給料を払うと1円も残りません。

銀行で「お金を貸してください」と頭を下げても、断られるばかりでした。

でも諦めず、2年間無給で社員の3倍働きました。インスタントラーメンを三つに分けて3食分にして食べたり、水だけで5日間しのいだこともありました。


ある日、福岡地方裁判所からの出頭命令書が届きました。封を開けてビックリしました。

あの親父が、私が起業したことを知って勝手に私の実印を作り、6000万円の借金を作っていたのです。

私1人で裁判を戦いましたが、負けることも多く、持ち物がどんどん差し押さえられていきました。

借金の取り立てに来たヤクザが私に同情し、「おまえ、腹減ったろう」と食事を作ってくれるほど貧しい生活でした。

27歳で何とか借金にも片がつき、結婚をしました。

子どもも生まれ、「ようやく温かい家庭ができた」と思っていたら、またとんでもないことが起こりました。


5月の日曜日、2歳8か月の長女は家内に抱かれ、昼寝をしていました。

しばらくして家内の絶叫が聞こえました。「お父さん、早く来て!」

慌てて駆けつけると、娘が涙をポロポロ流しながら「痛いよ~」と胸を押さえ、家内に抱きついていました。家内は必死で娘を抱きしめていました。

10分ほどして病院に着いた時、家内がつぶやきました。「お父さん、この子、息してない」

急性心不全でした。お骨になった娘は手のひらに乗るほど小さくなっていました。

涙も枯れ果て、放心状態の私は「世の中には神も仏もないんだ」と思いました。

しかし1年くらい経つと冷静になり、「娘は何か俺に教えてくれたんじゃないだろうか」と考えるようになりました。

そのうち、人の生きる道や経営のやり方、部下の使い方、従業員との接し方、そのすべてがだんだん分かってきました。

私はずっと父を恨んでいましたが、でもそれは間違いだと気付きました。

父は私に必要な試練を与えてくれていたのです。

その後、20年ぶりに私は父と奇跡の再会を果たしました。

父は別人と思えるくらいにやせ衰え、汚い服装のみすぼらしい老人になっていました。

父を看取っていく中で、私は反面教師となっていろんな経験をさせてくれた父に感謝できるほどになりました。

私の「先生」は、2歳8か月でこの世を去った娘です。

娘の死を考える中で、私は大切なことに気付くことができたのです。


(「みやざき中央新聞」H29.12.18 市川善彦さんより)


Appleも、カッコ悪いこと、やったもんだね。

カッコイイAppleが、ブサイクなことやったら、意味ないよね。

新商品が出るたびなんで、

やってるのは、感じてわかってたけど、今回はあまりに露骨でしたね。

これで信用を落としてしまったな。

仕方ないね。

大きな問題にならなければ、いいのだが。

クリスマスごみ拾い

2017-12-22 18:05:38 | お話
🌸🌸『「クリスマスごみ拾い」を全世界に発信したい』🌸🌸


今でも心に残っている東井先生の言葉はいくつもあります。

「ほんものはつづく。つづけるとほんものになる」

「ほんものとにせものはみえないところのあり方で決まる」

「根を養えば樹は自ら育つ」

「太陽は夜が明けるのを待って昇るのではない。太陽が昇るから夜が明けるのだ」

私たちは小学生の時に、こういう言葉を東井先生から何度も聞いてきました。

その時には分かりませんでしたが、年齢を重ねるうちに本当の意味が分かってきて心に響き、それが生きる支えになってきました。

先生はこんな詩も残されています。

「心にスイッチを。…人間の素晴らしい目も、見ようという心のスイッチが入らないと見ていても見えない。

仕組みのせいじゃない、スイッチのせいなんだ。

心のスイッチが人間を駄目にもし、素晴らしくもしていく」

~~~~~~~~~~~

初めて特別支援学級を受け持った時、その学級のA君と一緒に3年間歩いて下校したのですが、その通学路にごみがいくつも落ちていることに気付いていました。

でも私はいろんな理由を探しては拾おうとしませんでした。

しかし2年9か月くらい経って、ようやく「ごみを拾おう」と心にスイッチが入りました。

するとA君も、ごみを見つけては私に教えてくれるようになり、私たちは歩きながら二人三脚でごみを拾っていきました。

6年生を受け持った時、子どもたちに「先生は2年9か月の間、ごみが拾えなかったんだよ」と話しました。

すると次の日の朝、男の子2人がやってきて、「先生、拾ってきました」と、登校中に拾ったごみを私に見せてくれました。

「子どもたちは何と心にスイッチを入れるのが早いんだ!」と思いました。

私は2年9か月かかったのに、その子たちは1日で心のスイッチを入れたのです。

それからしばらく経って、6年生のある子が家族旅行に出掛けました。

車がサービスエリアに停まった時、いつの間にか彼の姿が見えなくなりました。

なかなか帰ってこないので家族が探しに行くと、彼はごみ箱からあふれ出ているごみを一生懸命片付けていたそうです。

「スイッチが入ると本当にすごいんだなぁ」と感動したことを覚えています。


「みんなで美しい地域をプレゼントしよう」ということで、毎年12月に「クリスマスごみ拾い」をやっています。

みんなでサンタクロースの格好をしながらごみを拾うという企画です。

今年は4回目で、昨年度は12都道府県と、海外で初めてエルサルバドルでも行いました。

27地区500人がこの「クリスマスごみ拾い」に参加しました。

2020年のオリンピックまでやり続けて、

「日本人はこうやって自分たちの地域を美しくしてるんだ」

という姿を世界の人々に見てもらい、できれば一緒にごみを拾いたいと思っています。


(「みやざき中央新聞」H29.12.18 小学校教諭 西村徹)